書評の・ようなもの 町中華とはなんだ・その3

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(その1)

(その2)

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なぜ町中華探検隊に入れてもらうようにお願いしなかったのか。

もし理由があるとすれば、僕にとって町中華通いが、ごくごく私的な性質のものだったから、というものだろう。

僕が頻繁に町中華に行くのは、一人で飯を食うのに適しているからだ。時分どきを外し、ある程度つまみになるものを頼めば、ちびちびビールをのみながら本を読み、長居をしても嫌な顔はされない。僕にとって町中華は、もっとも一人飲みしやすい場所なのだ。

そして町中華は、未成年の子供と一緒に晩飯を食うのにも適した店である。夜8時を過ぎて夕食の場所を探すと、飲み屋ばっかりになってしまう。そういう店に子供を連れていくわけにはいかないので、選択肢は当然限られてくる。子供にはもちろん飲ませないが、僕は外食のときにはビールが欲しいのだ。そうなると町中華は、おなかを空かせた子供とビールを飲みたい僕が、同じテーブルを囲める唯一の選択肢ということになる。

たぶんそういうことなのだろうと思う。トロさんは『町中華とはなんだ』で、現存する町中華の店は地元住民に選ばれたのだという意味のことを書いている。その通りだ。

僕はたぶん、自分が選んだ町中華があるということに満足で、それ以上の何かに踏み出す気力を持っていなかったのだろう。それを探検するのは他の人に任せて、僕は自分の町中華を大事にしていきたい。だからこそ町中華探検隊の活動には賛成だ。がんばって町中華がこの世にあることの意味を、多くの人に伝えてもらいたい。僕も自分の町の片隅から、ビールを飲みながら応援しようと思う。

ここからはさらに私的な、どうでもいい話になる。

僕は今の町に10年以上前に引っ越してきた。

その前に住んでいたのは新宿区西新宿5丁目で、周囲にはラーメン専門店よりもむしろ中国料理店のほうが多かった。代表例が、赤塚不二夫先生が贔屓にしたことで知られる台湾料理屋・山珍居である。腸詰うまかったなあ。

だから、今の場所に引っ越してきたときはちょっと絶望した。探しても探しても、これは、というような中国料理店を見つけられなかったからだ。いや、そう書いてしまったら今の地元の店に失礼だが、なにしろ舌が肥えてしまっていたのである。新しい店を開拓しては、これも違う、まただめだ、と失望する日々が続いた。

そんなある日のことである。

僕は徹夜仕事が終わって、猛烈に腹を空かしていた。時計の針は午前四時をさしている。

当然だがそんな時間にやっている店は終夜営業のラーメン屋か、立ち食いそば、牛丼屋ぐらいのものである。もしくはちょっと遠出してファミリーレストランにでも入るか。

しかし、僕は動揺しなかった。その当時、この町には午前七時まで店を開けている町中華があったのだ。ラーメンだけではなくてなんでもある。トロさんの定義ではないが、カツ丼だって、カレーライスだってあった(オムライスは忘れた)。

僕はまだ世の明けきらぬ街路を縫って、Eに向かった。

案の定開いている。そして、数人の酔っ払いが騒々しく杯を酌み交わしていた。

僕は引き戸を開けて店に入った。やや油でぬるぬるする(北尾トロ定義!)床で滑らないように注意しながら歩いていく。そして入口を背にする場所のテーブルにつこうとした瞬間、厨房の様子が目に入った。

料理人が、上半身丸裸で中華鍋をふるっていた。

エアコンの効きが悪い店だったという記憶がある。客も少ないし、たぶん常連ばっかりなのだろうし、かまわないと思ったのだろう。

だけど。

乳首丸出しで作った炒飯を客に食べさせるのはあんまりだ。

僕はその光景をじっと眺めながら、あ、もしかしたらこの町でうまくやっていけるかも、と思っていた。

(つづく)

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