書評の・ようなもの 町中華とはなんだ・その4(終)

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(その1)

(その2)

(その3)

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町中華探検隊が僕の町に来るかどうかは知らない。

だから僕なりに、うちの地元の町中華のことを書いておこうと思う。こういうのが町中華だ、というサンプルのつもりである。お断りしておくが、以下のイニシャルは単純なアルファベット順で、まったく店名とは関係ない。もしかすると同じ地元の方は、あ、うちだ、とわかるかもしれないが、できればSNSなどに書かず、近くに住んでいるのね、ぐらいに思ってもらえれば幸いである。

A店。

そんなに足繫く通うわけではないのだが、午後の遅い時間になってもやっているので、二か月に一度ぐらいは行くことがある。ここの売り物は麺類やご飯物よ%e3%81%ab%e3%81%a3%e3%81%bd%e3%82%93%e6%8b%9d%e8%a6%8bりも定食である。一度知らずに大盛りにしてもらったら、いわゆる昔話のご販だったので食うのに苦労した。

ごくごく普通の町中華なので行きつけにしてもいいのだが、一つだけ欠点がある。ご夫婦でやっている店なのに、お二人の雰囲気が微妙な感じなのだ。夫婦でなかったら申し訳ない。男性の店員のほうがちょっとつっけんどんな物言いをすることがあり、そのたびに厨房の空気が冷えるのである。東海林さだお『ショージ君のにっぽん拝見』だと思うが、険悪な夫婦仲でやっているラーメン屋があって、タンメンが抜群に旨いので行きたいのだが、空気が冷たいので困る、ということを書いたエッセイがあった。あの気持ちが実によくわかる。他のお客は慣れているのか平気な顔をして唐揚げとか食べている。

消化が悪くならないのだろうか。

B店。

ここはたぶん地元でいちばんメニューの数が多い。壁いっぱいに料理の名を書いた短冊が貼り付けてあって、しかも同一カテゴリー内のものがいくつも書いてあったりする。『孤独のグルメ』のドラマ販だったかに、下丸子にある誰もラーメンを頼まず酒のつまみばかり注文する町中華店が出てきたが、あれに近い状態だ。『町中華とはなんだ』で竜超さんが、チェーンではなくて個人経営であることの魅力があると書いているが、増殖する品書きというのはまさにその一つだろう。ぜひ通って制覇してみたいのだが、ここは定食だけではなくてすべての盛りが多いのである。いっぺん昼食で焼きそばを頼んでみたら、そのあとまったく仕事にならず、昼寝することになってしまった。まだ数回か行ったことがないが、たぶん制覇は夢のまた夢だ。

C店。

僕が子供といちばん多く行く店だ。妻も心得ていて、彼女がいないときに外食してくると帰ってきたときに「またCに行った?」と聞かれる。あまりにも子供と二人でばかり行くので、もしかしたら父子家庭だと思われているかもしれない。僕が栗林の餃子の味をたぶん生涯忘れないように、子供にとってはこの店のラーメンが基本の味になっていくのだろう。地元の知り合いともよく会う店で、入ってみると声を掛けられることもある。定食評論家の今柊二さんもこの店のことはご存じで、ときどき利用されているとおっしゃっていた。残念ながら店でお会いしたことはまだない。

D店。

この店の特徴はラーメンとご飯物の組み合わせにある。炒飯を例にとれば、半炒飯と半ラーメン、炒飯と半ラーメン、半炒飯とラーメンといった具合に、それぞれ半分か全部にするかの選択で組み合わせが可能なのである。いつだったかこの店に六人ぐらいの客がきて、それぞれに違う組み合わせで頼んでいたことがあった。店員さんがそれを一度で把握したのである。昔、香月の本店が恵比寿にあったころ、ラーメンの種類だけではなく、麺の固さだとかニンニクの有無だとかを口々に言うのを、メモもとらずに把握する店員さんがいた。彼はフロア担当で、それだけに専念していたのだが、Dの店員さんは厨房の中でやっているのだからすごいと思った。

E店。

さっき書いた店である。ただし現在は移転して、ちゃんとみんなコック服を着るようになった。というよりも厨房の中にいる人が違うのだと思う。この店にもなんの不満もないのだが、一つだけ麺類で合わないものがある。困ったことにそれが何か、いつも忘れてしまうのである。仕方がないので一人で行くときは麺類を頼まず、子供と行ったときだけ「ほら、あの頼んじゃいけないのなんだっけ」と聞いてから注文するようにしている。

以前はカツ丼もあったので、一度だけだが「箸じゃなくてスプーンをください」と頼んでみたことがある。非常に食べやすかった。カツ丼とはカツと飯の地層を縦に掘って食べていくものだが、当然だが掘削作業はスプーンのほうがやりやすい。本を読みながらでも文字通りサクサク食べられるのである。あまりにも楽に食べられるので、以降は禁じ手とした。あれは危険な技だ。

この店については一つ、不思議な思い出がある。上に書いたように移転したのだが、いったん閉店してから再開するまでちょっと間が空き、もしかしたらこのまま廃業してしまうのかもしれない、と僕は寂しい気持ちになった。

そのころはまだPTAの役員はしていなかったし、居職の仕事だからあまり出歩かなかった。だから街中にも知らない路地がいっぱい残っていたのだ。

ある日僕は、その路地の中で迷った。近道をするつもりが袋小路にいくつもぶつかってしまい、方角を見失ってしまったのだ。住宅地というものは俯瞰の地図が頭に入っていないと歩きようがなくなる。出たり入ったりを繰り返しているうちに、片側が高い塀、もう一方は古い住居の並んだ細い道筋に出た。その家並みの一軒に目が留まった。黒い角パイプ製のありふれた門に、その奥の家屋もごく普通のものだ。しかし、その門に札が掛かっていたのである。

こう書かれていた。

――お客様へ。餃子をお分けしております。ご用の方はチャイムを鳴らしてください。E。

休業が長引き、常連客の中から、せめてあの餃子だけでも、というような要望が出たのだろうか。それで自宅で、注文販売のような形に踏み切ったのだろう。

それを見たのは一度だけで、あとは二度とその路地には入らなかった。だから、餃子販売が日常的な営業だったのか、それともあのときだけの特別措置なのかはわからない。もしかすると僕の見間違いだったかもしれないわけで、今となっては確かめようもない出来事である。確かめるすべがない。だからこそ不思議なのだ。

Eの餃子は、わざわざ買い求めたくなるほどおいしくはないからである。

(おしまい)

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