杉江の読書 bookaholic認定2016年度翻訳ミステリーベスト候補作 ドン・ウィンズロウ『ザ・カルテル』(峯村利雄訳/角川文庫

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%e3%82%b6%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%86%e3%83%ab%e4%b8%8a メキシコ・カルテルの撲滅という使命を奉じる男アート・ケラーと若き麻薬王アダン・バレーラの三十年戦争を描いた『犬の力』(角川文庫)は、喩えるならば麻薬戦争の神話、すなわち神と悪魔の間で繰り広げられる最終戦争を描いた作品だった。その続篇である『ザ・カルテル』の舞台となるのは、もはや神の存在しない世界である。絶対的な力を持つ者が全体を統御できる時代は終わった。麻薬戦争に関わる者たちの思惑はあまりにも多様になりすぎた。己の権益を守るために他を排そうという動きはやがてそれ自体が目的化し、他者を殺すために殺すという無意味な殺戮のみが地上を支配することになる。誰も止めることはできないのである。殺すことを止めた瞬間、殺されるのは自分だからだ。『犬の力』で麻薬戦争の叙事詩を語り終えなかったドン・ウィンズロウは、混沌を言葉として表すという困難な事業に手を染めた。前作完結から十年ぶりの続篇である。

%e3%82%b6%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%86%e3%83%ab%e4%b8%8b ケラーの働きによって一旦は身柄を押さえられたバレーラだったが、メキシコ当局は彼をいつまでも拘束しておけるほど強くなかった。やすやすと脱獄し、カルテルの指導者に復帰する。彼によって賞金首とされたケラーもまた、組織との完全決着を望んで最前線に戻り、麻薬取締官としての活動を開始する。これが序盤で成立する対立構造だが、すぐに有名無実化する。バレーラが支配力を強めようとする動きが対抗勢力の反発を生み、武装部隊が常時ぶつかり合う非常事態を招いてしまうからだ。本書において人命は前作よりもはるかに安く、軽い。その意味では、暴力組織の一つであるセータ隊に参加する十一歳の少年、ヘスース・ザ・キッドの人生模様は暴力に頼る以外に生きるすべを持てない登場人物の典型である。

前作と違い本書にヒーローは存在しない。全員が暴力に飲み込まれ、憑かれてしまうからである。暴力を御することはできない。己の力を過信する者に、まず読んでもらいたい。

(800字書評)

川出正樹・杉江松恋が選ぶ2016年度翻訳ミステリー・ベストテン結果速報

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