チミの犠牲はムダにしない! その4『ナポリタン』上野玲

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「ゲッツ板谷マンション」の原稿、どういうわけか第3回のものが見当たらない。そのうちに出てくると思うので、第4回原稿を先に掲載する。別に順番を追って読んでいただく意味はないからだ。

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杉江松恋のチミの犠牲はムダにしない

第4回 『ナポリタン』上野玲(扶桑社)

 変なものに注目している人に注目したくなる。

ゲッツ板谷さんといえば、身辺に変人が集ってきてしまうことでおなじみだが、何かを引き寄せてしまう特異体質というのは確かにあるだろう(例:毒蝮三太夫→ジジババ、根本敬→蛭子能収)。それは、努力して獲得するようなものではなくて、おそらく先天的に身に備わったものなのである。いや、備わって嬉しいかどうかは別問題だけどさ。

私を含めた一般人というのは、幸か不幸か、そういう体質には恵まれていない。だからなのだろう。私はついつい変なものに注目している人に注目したくなってしまうのである。変なものに注目している人が別に変人ということではないと思うのだけど、その人の肩越しに変なものを覗き見すると、何か奇妙な世界が見えるかもしれないではないか。毎日がつまらない、新しく興味を惹くものなんて何もない、なんて嘆いている人は、いっぺんインターネットで適当なキーワードを入れて検索してみるといいと思う。他人には単なるガラクタにしか見えない、意外なものに情熱を注ぎまくっている人間が世の中にはたくさんいることがわかるはずだ。

私にとって、上野玲もそうやってお名前を知ったライターさんの一人。上野さんを探し当てたキーワードはズバリ「耳かき」だった。え、耳かき? そんなもの関心ないよ、と言いたくなったあなた。とりあえず耳鼻科に行ってたまった耳垢を取ってきてもらって。きっとあなたは耳垢栓塞になっているから。サザエのはらわたみたいな耳垢が耳穴から飛び出してきても、責任はもてないから! それはともかく、実は私、耳かき中毒者なのだ。机の上には常に耳かきを常備しているし、海外にも愛用の耳かきを持参する。なんでかというと、外国では耳かきが手に入らないことが多いからだ。インド洋に沈む夕陽を見ながらトロピカルドリンクの入ったグラスを傾けるひと時、なんて瞬間に、耳に入った海水がぐじゅぐじゅいっていたら嫌でしょう? プライベート・ビーチで入りこんだ砂が耳の中でサラサラ動いていたら頭がおかしくなるでしょう? だから耳かきは海外旅行の必需品なの。わかった?(あ、でも専門医によれば耳かきのしすぎは耳の中を傷つける危険性があるので、あまりやりすぎるのはよくないそうです)

ええと。話が脱線したが、上野玲には二冊の耳かきに関する著書がある。『耳かきこしょこしょ』(99年、双葉社)と『耳かきがしたい』(04年、ジャイブ)だ。この2冊の中に、耳かきを販売している国が日本を含む東アジアの一部に集中していることがちゃんと書いてある(上野さんは、あのティファニー本店に耳かきを買いに行って門前払いされた体験があるそうだ。そりゃ無理ってものだと思う)。現存する日本最古の耳かきが平安末期から鎌倉初期にかけて作られたものであることや、戦前の日本では華僑の理髪師がヒビキガネと呼ばれる道具を使って魔法のように気持ちいい耳かきサービスをしてくれていたことなど、耳かきに関する情報が満載だ。この2冊、内容の重複が多いのが玉に瑕なのだけど、とりあえず入手しやすいのは『耳かきがしたい』の方。『耳かきこしょこしょ』はAmazonのマーケットプレイスで見たら6千円近い値付けがしてあってびっくりした。耳かきに6千円、出す人がいるんだねえ。ちなみに上野さんは理容・美容業界にも詳しいライターで、2002年に『理容師・美容師になろう』(オーエス出版社)という本も出しているのだけど、その中でも耳かきサービスのことを書いている。もしかすると、理容・美容業界のことを調べているうちに耳かきについて強い関心を持つようになったのかもね。

さて、その上野玲のもう一つの珍本が『ナポリタン』(04年、扶桑社)である。あのケチャップを絡めてちゅるちゅるって食べるナポリタンね。パスタを扱った本というのは世の中にいくらでもある。グルメガイドから料理本、中にはパスタの写真集なんてものもあるぐらいだ(本当)。だが、それらの本の中にナポリタンが採り上げられることはまずない。なぜかといえば、ナポリタンというのが日本で発明されて日本で広まった、純和食だからだ。通説では、ナポリタン・スパゲッティの発明者は横浜のホテルニューグランドの二代目総料理長・入江茂忠氏だということになっている。1945年に日本が戦争に負けてGHQがやって来たとき、外国兵をもてなすために考え出したメニューが全国に広まったというのである。『ナポリタン』では、さらにナポリタン前夜、つまり戦前にナポリタンに似た料理が無かったのか、というところにまで論証を進めている。そんなことにまで論証を進めてどうなるの、と思ったあなたは、スパゲティ・ボンゴレ・ビアンコでも食べてとっとと寝てください。ついでに、熱したアサリの貝殻で唇を火傷して、アッチッチとか言ってください。上野論証はやや強引の気はあるものの、注目に値するものである。

世の中にはいろいろなナポリタンがあるんだな、と判るのがこの本の魅力。ゲッツ板谷ファンならおなじみの国立災害医療センター内「カフェ・デュ・ルポ」や立川第一デパート内「サン・モリノ」のナポリタン……は残念ながら載ってないが、その代わりに日本全国のナポリタンが掲載されている。たとえば人口一人当たりの喫茶店密度が日本一高い喫茶店王国・名古屋の鉄板載せナポリタン・スパゲティ、通称「イタスパ」。あるいは新潟独自の食メニュー「イタリアン」。これはパスタの代わりに焼きそばの麺を使ったナポリタンだ。はたまた鎌倉・宮代商店のナポリタン入りコロッケ、「ナポリッケコロポリタン」。この名前は常連客から寄せられた提案の中から選ばれたものらしく、他にもいろいろな名前候補があったそうなのだが、「ナポリの赤い風」とか「スパらしいコロッケ」とか勘違いした店にありがちな自己満足的なダジャレ・ネーミングにしなかった点に店長の良識を感じる。よし、合格! 鎌倉の名士・桑田圭祐が舌鼓を打ったというのもむべなるかな、である。

このようにさまざまなナポリタンを知ることができてありがたい反面、もっと普通のナポリタンを出す店を紹介してもらいたかったという不満もちょっと残る。いやさ、レトルトではない本当のナポリタンを出してくれる店って、意外に少ないのだ。作り置きしてレンジでチンして出してくるようなところもあるしさ。一応名店ガイドもついているのだけど、載っているのが東京・ヨシカミ、名古屋・マウンテン、京都・イノダコーヒと、名の知れた店ばかり、というのはちょっと。他のガイド本には名前が挙がらない、普通の街の喫茶店などを紹介してもらえたら、実にありがたかったと思うのだ。ちなみに私の住んでいる東京・中目黒のお薦め店は、キッチン・パンチね。ここのナポリタンは甘さも酸っぱさも程よい絶品で、ちょっと贅沢をしたいときにはこれにオプションでエビフライをつけると千円ちょっとで天下を取ったような気持ちになる。近くの人はお試しを……というような情報が欲しかったんだけどね。

無いものねだりはさておき、『ナポリタン』には他にもいろいろな興味深い情報が掲載されている。たとえばコンビニ弁当のナポリタンの食べ比べであるとか。著者はミニストップの弁当工場まで見学に行っていて、普段は見ることのできないナポリタン大量生産の謎に迫っている。そう、茹でたパスタの上にソースを載せればいいだけの他のメニューと違い、ナポリタンは均一にケチャップ・ソースを絡めて炒めねばならないという条件があって、大量に作るのが難しいメニューであるはずなのだ。それをどうやって、という種明かしは、ぜひこの本を読んでみてください。また、ナポリタンが本当に日本だけのメニューで海外に似たメニューはないのか、という実証のためにわざわざスウェーデンにまで行く話もおかしい。なんでスウェーデンなのかというと、かの国はケチャップ消費が世界一だからなのだそうだ。そうなのか、てっきりアメリカが1位なんだと思っていた(実際にはオーストラリアに次いで3位。日本は8位)。スウェーデンといえばフリーセックスの国、という昭和世代の誤った思い込みを是正する情報である。さて、はたして上野さんはスウェーデンで真のフリーセ……いやナポリタンに巡り遭えたのだろうか。

最後に。ここまで紹介した内容だと、上野玲という人に対して「変なものに関心を持つ変なライター」という印象だけが強くなると思うので、ちょっとフォローを。実は上野さんはNPOうつコミュニティという、うつ病患者のための連絡コミュニティを主宰しており、ご自身も1998年にうつが発症し、以来定期的な通院生活を送っておられる。注目したいのは文中に挿入した著書の出版年度だ。見てみ。全部、そのうつが発症して以降のものなのである。私が素直に感心するのはその点。うつになったからといってただ深刻な顔をしているだけでは何も事態は改善されないのである。むしろ機会があったらよく笑った方がいい、と上野さんは『アカルイうつうつ生活』(04年、しょういん)などの著書の中で繰り返し書いている。耳かきにこだわったり、ナポリタンの歴史を追及したりするのも、そうした日常を楽しく生きるための一つの方策だったのではないか、と私は思うのだ。その姿勢は、「チミの犠牲はムダにしない」の執筆方針とも重なりあうものがあるので、ここでぜひ紹介したいと思った次第である。悩む暇があったら、ナポリタンでも食べて、笑え!(でも耳かきはほどほどに)

本書のお買い得度:

本書帯に推薦文を寄せておられるのは、『センセイの鞄』(01年、現文春文庫)で芥川賞作家となった川上弘美氏である。そのコピーとは「スパゲッティなら、ナポリタン。」という、「男は黙ってサッポロビール」とかに通じる、まん真ん中の剛速球である。これはおそらく、大のナポリタン好きという川上氏が「光ってみえるもの、あれは」と目を凝らした果てに「あるようなないような」微妙な差異を嗅ぎわけ、「神様」「おめでとう」「いとしい」と出会いを祝福しつつ、「なんとなくな日々」の中から「物語が、始まる」、ナポリタンに「溺レる」と、のめりこむ心情を表現したものに違いないのだ。その熱気に免じて買ってくださいな。川上さんのファンなら、最新刊『東京日記 卵一個ぶんのお祝い』(平凡社 定価1260円)を買ったついでにどうぞ。

初出:「ゲッツ板谷マンション」2005年10月19日

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