杉江松恋不善閑居 「僕らはすべてをノートにつける」

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内容とまったく関係ないけど10年前に買ったパチモノのマーベル。

大学に入る前の人間関係はほぼすべて断ち切っているのだが、唯一高校時代にわずかな縁が残っている。たぶんこれは一生のもので、よほど何かたいへんな事態が出でない限り、この縁が切れることはないだろう。自意識の最も高い、恥ずかしい時期からのつきあいである。こういうのを腐れ縁という。

ただ、その縁が切れかかった時期があった。理由は簡単で、金である。私もその友人たちも、幾年かの差はあったが大学に入り、卒業して社会人になった。貧乏だった高校生がバイトで小金の稼げる大学生になり、そして可処分所得のある勤め人になったわけである。そこでつきあいの仕方は、年齢相応のものとなった。といっても、終電で帰るべきところをだらだら居座り、朝までファミリーレストランで粘っていたときにタクシーで帰るようになった、というぐらいのごく地味なものだったが。

そんなつきあいに、あるとき変化が起きた。

つきあいの深かった友人が、突如、これまでのように飲みに行ったりはできなくなった、と言い出したのである。理由は単純なものだ。彼は三年勤めていた会社を辞めた。そして大学院に戻ったのである。上場企業勤務から学生へ。年収面では大きな違いである。勤めていたのは決して大企業ではなかったが、彼は結構な高学歴者だったので、新入社員時代に就職活動のパンフレットに載せられていたのを私は知っている。そこには岩城晃一みたいな表情をして、プールサイドのデッキチェアに座らされている彼の姿があった。

――会社が終わった後は気の合う仲間とスポーツクラブで一汗流します。今日もいい仕事をしたな、という充実感がこみあげてきます。

みたいなコメントと共に、ローレックスの時計をはめた彼の左腕が写っていた。あとで聞いたら、写真撮影のときに代理店の男がこれをつけろと言って持ってきたらしい。

そんなプールサイド=ローレックス=例のプール、みたいな生活をしていた人間が一介の大学生に戻ったわけである。金の切れ目は縁の切れ目とはよく言ったもので、そこでつきあいが無くなってもおかしくはなかった。だって割り勘にしても払えないのである。彼の収入レベルまで落としたら、全員が学生時代に逆戻りなのである。一晩愉快に遊ぶことなど夢のまた夢でお小遣いを気にして帰ることになるのである。

しかし、彼はいいことを思いついた。

「ノートにつけよう」

というのである。

「俺はそのうち博士号をとって偉くなってどこかの国立大学で先生になる。そのときにはちゃんと返すから、今は全部ノートにつけておこう」

と彼は言った。いや、もしかすると、我々の誰かが提案したのかもしれぬ。彼と遊ぶのはおもしろく、中断するのはもったいなかった。それで、なんとかして今を対等につきあえる方法を考えよう、と相談した可能性もある。

飲み代はすべて割り勘にする。

当然だが彼はその金を払えないし払わない。

しかし、永遠に払えないのではなくて、あくまで今だけの話だから、割り勘の額はすべてノートにつける。いずれ精算はするのである。一年後か二年後か、もしかすると十年かかるかもしれないが、絶対に自分の割り前は払う。

そういう認識の元にノートを付け始めた。飲みに行ってはつけ、麻雀をしてはつけ、旅行をしてはつける。そのうちにとんでもない額になったが、それはそういうものだということで誰も問題視はしなかった。やがて別のもう一人が大学院に進学し、さらにノートにつける人数は増えた。おもしろくなって、じゃんけんでその日に払う人間を決めたりもした。割り勘にせずに、誰か一人だけが払うのである。払うといっても金を持っているのは大学院生ではない人間なので、そいつが負けても債務の額は増えるだけである。そうやってノートにつけてすべてを記録する癖がついた。

以来、20年ぐらいその方式でやってきている。幸い経理に勤めている人間がいて、ずっとノートを保存している。途中で大学院組は無事に就職し、一括支払いではないがぼちぼち金を払ってくれて、ノートの貸方と借方もだいぶたいらになってきた。しかし、まだ凸凹はしている。あと10年後にもたぶんノートは残っていると思うが、完全に貸借表がプラスマイナスゼロになる日はいつのことだかわからない。

こんなことを書いたのは、ネットで「貧乏な友人ともう一緒に遊べない」という記事を見たからだ。あのとき、私たちも「貧乏な君とはもう一緒に遊べない」と宣言していたかもしれない。しかしそれよりも「貧乏な君と一緒に遊ぶには条件がある」と誰かが言い出して、それがうまくいったということである。

金は大事で、借金は人間関係を壊す。

しかし、金では買えない人間関係があることも確かである。

二十代前半のあのころ、私たちはそのことをなんとなく察知していて、ここで今までの付き合い方を変えたらもう元には戻れなくなるのだということを理解していた。そこで無い知恵を振り絞った結果があのノートだったのだろう。

金は貸さない。

しかしノートにはつける。

ノートの金を未返済のままで死んだら、葬式に踏み込んでも回収する。

そんな暗黙の了解がある。

今でも飲みに行く時、経理担当の彼は必ずノートを持ってくる。

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