日野原重明先生のこと (杉江松恋不善閑居)

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日野原重明先生には一度だけお会いしたことがある。

私がPTA会長の職にあったとき、小学校に講演でいらしてくださったのだ。伝手があって学校からお願いすることができた。有名人だから講演料もたいへんなのでは、と下衆な心配をしてしまったが、先生は子供たちに自分の話をすることをその当時の大事なテーマだとお考えになっていて、雀の涙ほどのお車代で来てくださった。あの額だと、高級車を運転してこられたお付きの方の日当にもならなかったのではないか。

体育館に高学年の生徒が集められ、「いのちの授業」を1時間聴いた。地域住民にも開放したため、近隣からお年寄りも集まってきていた。中には日野原先生をありがたそうに拝んでいる人もいたようである。まるで生き仏である。

講演の最後に先生は、「しゃぼん玉」を児童たちと合唱された。よく知られているようにこの「しゃぼん玉」は若くして亡くなった子供の魂のことである。はかなく散った幼い命について哀惜の念をこめて日野原先生は歌われた。そして、こうおっしゃった。

「ここにいるみなさんが大人になるまで、あと10年ぐらいかかります。そのとき、またここでお会いしましょう。僕はそれまでずっと生きていますから」

あのとき約束した子供たちは、ずっと日野原先生のことを覚えていると思います。残念ながら再会は叶いませんでしたが、先生がお話しくださったいのちの大切さについては、みんなの胸にしっかりと刻み込まれたものと思います。本当にありがとうございました。

私もPTAの役員として体育館でお話を伺ったのだが、控室からやって来られた先生は、他にも人はいるのに、なぜか私のことを教師だと勘違いされて、資料を持たせたり、どっちのほうに行けばいいか訊ねられたりしましたね。教職員のみなさんがハラハラしていたので、失礼があってはいけないと、アテンドを務めさせていただきました。かつて知ったる他人の(子供の)学校ですから、そこは朝飯前でございました。お手を取ってご案内できたことを光栄に思っております。日野原先生、どうぞ安らかにお眠りください。

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