杉江の読書 第157回直木賞について 20170719

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 続いて直木賞である。

木下昌輝『敵の名は、宮本武蔵』(角川書店)は、剣豪と敵対して剣を交えた者たちを主人公とし、彼らの視点から宮本武蔵という人物を浮かび上がらせていくという形式の作品だ。木下にはデビュー作であり最初の直木賞候補作となった『宇喜多の捨て嫁』や『戦国24時 さいごの刻』などオムニバス形式をとった作品が多数ある。ミステリーで用いられる、複数のエピソードに仕掛けられた伏線が終盤になって一つの像を結ぶように機能していくという技法を時代小説に応用した点がおもしろく、すでに木下のお家芸といっていいほどに自家薬籠中のものにしている。今回もそうした意味でおもしろかったし、なんといっても剣戟場面に緊迫感がある。真剣で立ち合いながら寸前で刃を返す「飛刀の間」という奥義が話の焦点になっていることも、物語に一本の筋を通す役割を果たしている。後半で怪物と見えた登場人物の真意が描かれることによって、物語がありきたりの地点に着地してしまったのが私は残念と思ったのだが、これは好みがあるだろう。

佐藤巖太郎『会津執権の栄誉』(文藝春秋)も構造は木下作品と似ており、戦国大名芦名家の興亡を群像形式で描いている。すべてのエピソードが、ある人物の抱える屈託から始まり、それが何かのきっかけによって解消されるという心理の動きを中心に据えている。起承転結の前半と後半で逆転が起きるというのはプロットの基本だが、それをしっかりと守っているので非常に読みやすい。新人らしく基本を押さえた作品である。ただ、あることに気づくことで心理状態が一変するというプロットの連用は読者に先を読まれてしまい、損なのではないかとも思う。

柚月麻子『BUTTER』(新潮社)は複数の男性を殺害したとして罪に問われている女性を取材しようとする雑誌記者を主人公とする物語で、明らかに実在の人物と事件がモデルになっている。獄中の人物に肩入れする取材者がそのために危機的な状況に陥っていくというタイプの小説なのだが、途中で意外な転換があって初めに読者が思ったとおりに進んでいかないところがよく考えられている。題名の『BUTTER』がカロリーを多く含むことから、肥満についての禁忌が小説の前半では繰り返して書かれ、そこから男性の望む形で好ましい女性像が規定される風潮への批判が浮かび上がってくる。反男性優位主義といった側面があって興味深かったのだが、この作者の癖として最初に「梶井真奈子に取材することがもし叶ったら、事件の真相に迫るだけではなく、自分自身の生きづらさのようなものにもしっかり向き合ってみたいという思いがある」(P23)というようなそのものズバリのテーマがまず呈示され、それが言葉を変えて繰り返されたり、それに関するエピソードが書かれたり、というような反復が過剰なほどに多く、小説としてはやや書きすぎなのではないかと私は感じた。だからこそ題名は「バター」なのだ、というのであれば返す言葉はないのだが。

『BUTTER』とタイプは違うが宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(角川書店)も情報量が多い小説である。中央アジアの架空国家で元首暗殺事件が起き、彼によって高等教育の恩恵を受けていた若い女性の側近たちが政権を簒奪して国家を運営しようとするという物語だ。架空国家をこの世に存在させるための理論武装はしっかりしていて、この小説の読みどころは第一にそこだろうと思う。ただし、気になる点があり、冒険小説としてはすべてが後出しである。本来は正当な権利のない主人公たちがさまざまな闘いで勝利できるためには、それなりの理由が必要になる。その伏線が不足しているのである。また、主人公たちの努力ではなく、勝利が偶然によって転がりこんできているように見える点も冒険小説の骨組みとしては弱い。さらに、主人公たちが若い女性であるという設定が特に活かされていないことも弱点なのではないだろうか。この小説からはあらかじめ性の要素が排除されている。だからこそ安心して読めるのだが、若い女性が動乱の中に投げ出されたときに味わうであろう苦悩や怒りをはじめから排除してしまうのは、物語としてはもったいないと感じた。

芥川賞とは意味が異なるが、今回の直木賞にも評価の対象とすべき軸があると思う。それは作者がフィクションの中でいかに不自由でいられるか。それによってフィクションをどのくらい浮遊させることができるかということだ。上に挙げた四作は、どこかに作者に都合のいい形でデザインされた構築物という印象があり、私は乗り切れなかった。その点で今回の首席に推したいのが佐藤正午『月の満ち欠け』(岩波書店)である。

佐藤はこれまで人生の選択が生む数奇な運命を長篇の主題として何度も書いてきた。前作『鳩の撃退法』は、その珍妙な題名の意味がわかった瞬間、作者が読者に向けて放って来たものの重さに仰天させられる小説だった。何が起きているのかわからず不安なままに時が過ぎていくのが佐藤作品の特徴だが、『鳩の撃退法』は投擲物が着地するまでの対空時間があまりに長かったのである。『月の満ち欠け』も同様の趣向を持つ作品で、実は要約してしまえば単純なことを書いているのだが、像を結べるほどの情報量、しっかりと物語を受け止められるほどの地盤の固さが得られるまで、とにかく小説が浮遊しまくる。この感覚、何が起きているのか本当によくわからないおもしろさこそが、エンターテインメントには最も必要なのであると私は考える。

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