杉江松恋不善閑居 (一生は無理かもしれないけど)とりあえずは食べ続けられるフリーライターの条件

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今から4年前の2013年2月23日に、発作的に「(一生は無理かもしれないけど)とりあえずは食べ続けられるフリーライターの条件」というツイートをtwitterで連発した。「一生食べ続けられるフリーランスの条件」というエントリーがタイムラインで流れてきて、だいたいは同意だけど、ライターという職業に限定した場合はどうなんだろうか、と思いつくままに書いてみたのだ。

あれから5年も経たないうちに、ライターという仕事を巡る状況は激変している。最大の要因はネットメディアの乱立と二極化で、原稿料とも言えないような薄謝で人を使おうとするサイトが驚くほど増え、ライターの裾野は広がった。なりやすさという点だけならば、4年前よりも明らかにライターは身近な職業になったのである。

一方で既存の雑誌媒体は急角度で減衰しつつあり、紙の原稿依頼自体が希少な機会になっている。現時点で総合出版社や新聞社系の原稿依頼は旧体制、すなわちプロの編集者・校閲者による検品を伴うシステムを維持しているが、5年後にはどうなっているかわからない。編集者との協同作業という性質がライティングから失われる日は、案外近いかもしれないのである。そうなれば仕事の手法も自ずと変質していくだろう。しかしその場合でも、編集者(もしくは原稿の発注者)との信頼関係を基調としたやり方はそう変わらないのではないか、と私は考えている。もし変わるとしたら、私のライターとしての寿命はたぶんそこでおしまいだ。それはそれで仕方のないことである。

というわけで「(一生は無理かもしれないけど)とりあえずは食べ続けられるフリーライターの条件」七か条を再掲しておきたい。何かの参考になれば幸いである。

条件その一。

「こういう企画があるんだけど誰か関心がある人いませんか」という打診に手を挙げるのが早く、そして好意を持ってもらえる仕方でできる人。

「好意を持ってもらえる仕方」とは「技の掛け逃げ」ではダメということだ。とりあえず「ハイ」と言ったのはいいけど後は音信不通とか、メールを出すだけ出しておしまい、ということではなくて、企画が自分に合わないものだということがわかったら他の人を紹介してくれるとか、そういう親切が挙手する側にも必要だということである。

以前、bookjapanという書評サイトを運営していた際(というか、このbookaholicのサーバー自体、bookjapanを引き継いで使っているのだが)、ずいぶんライター応募のご連絡をいただいた。パーティーなどで直接お会いした方から「今度書いてみたいです」と言ってもらったこともある。しかし、そうしたご縁は、だいたい実らずに終わった。声を掛けるだけ、では駄目なのである。

これは逆の立場でもあることで、「うちでライティングをしませんか」という打診をたまに頂戴する。そういう場合は当該の媒体を見て、「私の専門とは違うと思いますが、どういうことが可能でしょうか」と返事をすることにしている。そこで「では、こういうことで」と再信をいただけるのはまれで「ああ、最近のメディアはいくつも愛を持っているのね。あちこちにバラまいて私を悩ませるわ」と思うのである。

条件その二。

「わからないことがあるときに「わかりません」と言うことを恥じない人。そして、誰かが教えてくれたときに「ありがとうございます」と言うのが上手な人。

これは、案外難しい。

「わかりません、すいません」と言うと、そこで教えてくれる人と知り合えることがある。「そんなこともわからないのか」と嘲笑する声は無視して、教えてくれる親切な人とだけ積極的に良い関係を結んでいきたいものである。「わからない」と人に言うのは自分の弱点を見せる行為でもあり、いつでも無邪気に「教えてー」とねだってばかりいるのも問題ではある。当然タイミングを見計らって言うわけで、そういう機微を理解してくれる人を見つけるためにやるわけである。教えを乞いつつ、新しい人脈を作っていることになる。空振りになるかもしれないけど、そうしたらまあ、うどん食って寝ちゃうしかない。

絶好の機会を逃さないために、普段から「お願い、教えて」と言う練習はしておく必要があるわけだ。打算的に聞こえるかもしれないが、必要なことである。

条件その三。

人に仕事を廻すことが上手な人。

これは行って来いの関係になるので、紹介するのが上手ければ紹介してくれる機会もある。仕事を廻すのに上手い下手があるのか、という話についてはあると断言したい。

仕事を廻すのが下手な人の多くはフォローが悪い。不利な条件の仕事を廻したり、担当者に問題があることを断らないで紹介したりして、その後に何があるかを確認しない。もちろん知らずにそういう筋の悪い仕事をまわしてしまう可能性は誰にでもあるので、フォローは絶対に必要なのである。私も駆け出しのころはだいぶ仕事を回していただいたが、「何か問題はないですか?」と後から聞いてくださる方が多かった。本当の親切とはそういうことである。

もちろん、仕事を紹介したライターだけではなく、担当者にもそれとなく様子を確認するぐらいのことはしたほうがいい。何か問題があったら、自分が収める必要があるかもしれないからだ。考えたくないことだが、代理で原稿を書くとか。そこで手間は惜しむぐらいなら、最初から紹介者の役割など担わないほうがいい。いちばん駄目なのは、そうやって間に入ったときに「そうなんです、あのライターは人はいいんですけど〆切を守らないんですよ。お困りになったでしょう」などと同業者の悪口を担当者に吹き込むことである。私はやられたことがあるが、言っている当人は親切のつもりだから始末が悪い。

条件その四。

代打が上手い人。

どんな媒体でも、穴が空きそうになることはある。そういうときに「代打行きます」と言うためには、瞬発力にあたる体力が必要で、普段から「行く」準備をしておかないと無理なのだ。上に書いたように仕事を第三者に紹介したような場合、結局代理原稿を引き受ける羽目になることがある。自分に余裕がないから紹介したのに、そういう事態になる。かなり切羽詰まった状況になるわけで、そこで体力が問われるのである。

私はけっこうこの代打が得意で、誰かの原稿が落ちそうなときに待機することが以前はよくあった。「これこれの時刻までに〇〇さんの原稿が入らなかったら、あなたが書いてね」と言われるわけである。「落ちた」って言われないといいな、でも準備はしておいたほうがいいから何書くか決めないとな、などと考えながら編集部でぶらぶらしているのは、けっこう楽しかったものである。ネットメディアでも初期のころは「明日のアップ分が足りないから」というのに手を挙げたりしていたが、最近は早書きに自信がなくなったので自重するようにしている。自分が代打を必要としないようにがんばるので精一杯なのである。

条件その五。

自分だけのルールや中心線のようなものが決めてあって、それだけは絶対に守るという人。

ここで大事なのは「自分だけの」の部分で、他人にはわからなくても自分の中の論理、あるいは生理に忠実に行動するということである。

文章の直しを指示されたときを例に出すとわかりやすい。エンピツ(編集者からの疑問)が入った個所のどこに同意してどこを拒否するかは、このルールに沿わなければいけない。編集・校閲者は一般的なルールを重視するので衝突する可能性があるが、そこで譲らないで自分のやり方を通す必要がある。それもただ言い張るだけでは駄目で、筋道立てて編集者を説得しなければならないのである。筋を通して我を通すやり方を学ぶことで、地力が養われる。編集者によっては面倒くさがる人もいると思う。だが、エンピツ通りに直していてはいつまで経っても編集者の想像を上回る書き手にはならないのだ。譲歩と拒絶の境界線は、つまりそのライターの個性ということでもある。文章は商品なのだから、自分がどういう表現を理想とするかは常に考えていたほうがいい。

条件その六。

これは前項にも関係するが、自分の弱点や限界をよく理解していて、自己愛が薄い人。

自己愛の部分には、物欲や独占欲といったものも含まれる。自分という箱の容量を明確に把握しているということだ。観察していると、よく仕事が回ってくる人は自然な形で自分を捨てることができる。「オレがオレが」の部分が本当に少なくて、自分に空いている穴を故意に見せるようにしているので、誰もがそこに何かを詰めたくなるのだ。完全体の自分を他人に見せないと不安な人は、この仕事に向いてない。

隙を見せるのが巧い人は、自分自身についての分析ができているのだと思う。ここを押すとあれが出てくる、みたいに自分のことをメカニズムとしてとらえている。私の場合でいえば、書評でどうしても「エモーション」が表現できないことについて考えた時期があった。感情を露わにするのが恥ずかしいので、自分がどうしてそう思ったのか、を客観的に説明してしまうのである。「もっと押して煽ったほうがいいのではないか」と悩んだのだが、最終的にそれは無理だと判断した。感情を抑えていく方向でいくのが文体の特徴なのだから、できないことをしても仕方ないのである。いかに回りくどく感じられても、その感情の迂回に意味を持たせるようなやり方でいこうと今は考えている。

条件その七。

インプットとアウトプットのバランスにいつも気をつけている人。

これができないと、インプットがないのにアウトプットをし続けて自己再生産をすることになる。そして痩せて消えていく。アウトプットをするためにインプットを増やすのは当たり前で、本当にすべきなのはインプットを増やすためにどんどんアウトプットすることである。中にあるものを出していくと希薄になるので、そこに知識が吸い込まれる。そういう仕組みを作るのは大変だが、システムが回り始めれば自然と出し入れができるようになる。

情報の出し惜しみはしても仕方がなく、たとえば10の情報を2つに分けて5ずつ出してはいけない。私は可能な限り1冊の本で2回原稿を書かないことにしていて、著者インタビューをした作品以外に書評で取り上げたい本がないときなどは非常に苦労する。インタビューと書評では形式が違うのだが、その中で情報が重なる部分が出てくるのが嫌なのだ。新鮮さを失うことへの恐怖が自分の中にあるのだろう。

以上の七つである。自分ですべてできているとは思わないのだが、守ろうとしていることでもある。あとは深酒をして二日酔いにならないこと、仕事ばかりして家族など大事な人をないがしろにしないこと、などと日常生活に関した事項もあると思うが、ここでは割愛する。ライターの生活設計についても、いつかまた別に書いてみたい。

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