杉江の読書 キット・リード『ドロシアの虎』(サンリオSF文庫)

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中村融編の〈奇妙な味〉アンソロジー、『夜の夢見の川』(創元SF文庫)に収録された「お待ち」があまりに強烈だったもので、キット・リード作品をもっと読みたいと思った。

リードは1932年生まれで、ジャーナリスト出身の作家である。二桁に届く長篇があるのだが、邦訳は『ドロシアの虎』(友枝康子訳/サンリオSF文庫)しかない(注:細谷正充さんの指摘で気づいたのだが、別名のキット・クレイグで1冊ホラーが出ている。『過去がおいかけてくる』扶桑社ミステリー)。近所の図書館に幸い在架していたので、借りて読んだ。持つべきものは良い図書館、である。

「お待ち」は自動車旅行中の母娘が地方の小共同体に迷い込むところから始まる。『ドロシアの虎』の舞台も「お待ち」と同じような、アメリカのどこであってもおかしくないような小さな町だ。住民の多くはそこから一歩も出ずに暮らしており、進取の意志のある若者だけが脱出を試みては失敗する。まさに蛸壺のような場所だ。

物語の冒頭、ドロシアの幼なじみであるリチャードが惨殺体で発見されたことが告げられる。10歳の夏、リチャードは彼女にとって最も近い友人だった。その死に衝撃を受けたドロシアはすぐに「ゲイ・ラフキンに実際なにが起きたっていうの?」と考え始める。ここが本書のミステリーとしての要で、なぜ主人公は、かつての友人の死と無関係な男の身に起きた出来事を結び付けてしまうのか、という謎が全体を貫くものとして示される。それを解くための鍵は10歳の夏に存在するのである。

物語は1950年8月に向けてゆっくりと遡行していく。視点人物はドロシアだが、随時その他の人物のモノローグが挟まれていく。それによって主人公の立場が立体化される仕掛だ。ドロシアの母・マールは望まない妊娠によって彼女を産み、我が子よりも新しい男を捕まえることに熱心だったということが明かされる。10歳のときにドロシアを捨て、それから一度も会っていないのである。そのことを正当化する言い訳にまず驚かされる。ドロシアの夫・ビリーは典型的な男性優位主義者であり、彼女に求めているのが「可愛い奥さん」であることだということもわかる。小さい共同体の中で同性同士の紐帯を第一に考える思考が染みついているのだ。モノローグを重ねられていくうちに、ドロシアには息子・サム以外には我が物として愛情を注げる対象がないということが読者にもわかってくる。

題名にある虎とは、ドロシアがリチャードの死以降、憂鬱に沈みながら描くようになった油絵の題材である。ビリーは妻が虎の絵ばかりを描いていることを訝しむが、読者にはその真意は明白だ。孤独を実感したドロシアにとっては、自分を具体的な形で表現することが必要なのである。しかしその題材は、別の物に侵食され始める。暴力の結果命を失った無辜の人々のイメージが、ドロシアを苛むためである。すべてを吸い込むブラックホールと彼女はそれを表現する。虎とブラックホールが拮抗するドロシアの精神状態をビリーはまったく理解できない。

第二部で話は1950年に戻り、10歳のドロシアによって何があったかが語られる。ゲイ・ラフキンなる人物は、マールが理想の結婚相手として捕まえた男だった。しかし娘ドロシアは、本能的にゲイを拒絶し、憎むようになる。彼を嫌って街に逃げ出したときに出会ったのがリチャードなのだ。ゲイのマールに対する思惑が邪なものであることはすぐに読者にも伝わる。わからないのはマールだけなのだ。女を「綺麗で便利な愛玩物」として扱おうとする男、その意図に積極的に乗ろうとする女という構図は、やがて破綻することになる。

小説におけるもう一つの大事な要素は暴力だ。無軌道なマールを見続けたためか、娘ドロシアは性に対する嫌悪感を抱いている。彼女は「ゼナとゾナ」というキャラクターを生み出してオリジナルの冒険物語を考えることに没頭しており、それによって醜い現実を遮断しようとするのだ。同世代の子供のいない場所で、育児放棄の母親にすがるようにして生きてきた娘ドロシアは、やがて学校に通うことでまっとうな環境を取り戻し、それ以前とは違った生き方をするようになる。そこで封印されたのが、かつて暴力に触れたことがあるという記憶だったのである。醜い事実から目を背けながら生きてきた彼女にとって、暴力は見えない個所に打ち込まれた楔のようなものだった。存在に気づいてしまえば、楔の箇所からひびが広がり、やがては全体が砕けてしまう。その不安こそが彼女を悩ませたものではないか。

誰にでも幸福な家庭という戻るべき場所がある。幸福な家庭こそが至上のものであり、そこを目指すべきである。そういった観念、幸福への幻想を描いた小説だとも思う。「可愛い奥さん」を求めたビリーしかり、理想の夫を追い続けたマールしかり。物語の終わりでドロシアは自分の問題に解決をつけるのだが、その結末を純粋なハッピーエンドと見るか、物語全体を包む虚偽のベールはここでも剥がされていないと考えるか、読者によって判断は異なると思う。私は後者だが、それは「お待ち」の作者だとう先入観があるからかもしれない。入手困難な本であるが、ぜひ再刊して、多くの読者にこの結末について考えてもらいたい。

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