街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビールvol.2(日光御成道その1)

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赤羽といえばまるます家。五郎も行ったまるます家。

2017年10月26日、日光御成道を歩いてみようと思いついた。

日光街道、または日光道中は数年前に踏破している。東京都中央区の日本橋から栃木県日光市の東照宮に至る、全長140㎞の街道だ。東照宮に至るものは他にもあり、一つは日光例幣使街道である。これは京の御所から東照宮に定期的に派遣されていた例幣使が通った道で、中山道から群馬県の高崎市で分岐する。日光御成道は徳川家が社参に使った道で、平たく言えば将軍家の墓参りのために整備された街道である。中山道から東京都文京区の本郷追分で分岐し、埼玉県葛飾郡の幸手追分で日光街道に合流する。13里というから約46.8km、短い脇街道だが将軍家の威信を周囲に誇示するための重要な道だったのだ。

正午過ぎに現地に着いた。地下鉄丸ノ内線を本郷三丁目で降りて東京大学本郷キャンパス前まで歩く。知っている古本屋がずいぶん閉店していた。学生時代、早稲田大学と東京大学前は古本を探すのでだいぶお世話になった。特に本郷三丁目のこのあたりは、学術書の掘り出し物が多くて珍重したものである。

また、鳳明館森川別館も懐かしい場所である。第1回の翻訳ミステリー大賞コンベンションはここでやった。大学1年のとき、初めて参加した全日本大学ミステリ連合の会場も森川別館である。ゲストは『カディスの赤い星』で直木賞を受けたばかりの逢坂剛だった。やって来るなり開口一番、「私は欲しい古本は全部買ってしまいました」と言ったので、おもしろい人だな、と学生の身分で失礼ながら思ったのだった。

当たり前だが、周囲は東大生ばかりである。と、見知った顔に出会った。

ワセダ・ミステリクラブ出身の笛吹太郎氏である。

声をかけると驚いた顔をしていた。

「なんでこんなところにいるんですか」

「街道を歩こうと思って」

「また東海道ですか」

「いや、日光御成道」

「はあ」

諏訪山吉祥寺

日光御成道がどれくらい一般的かは知らないが、少なくとも道で会った同士の挨拶に出てくるような固有名詞ではない。彼と別れて赤門前の道をぐんぐん北上していくと、やがて本郷追分である。左に行けば中山道、真っ直ぐ行けば日光御成道だ。この道を左に行ったところに、かつて『名探偵ベスト101』などでお世話になった新書館がある。担当編集氏が退社されたので、今はご縁のない会社である。まっすぐ行って地下鉄南北線東大前駅を過ぎる。このへんは寺院の密集地であり、右に諏訪山吉祥寺がすぐ見える。武蔵野市吉祥寺の地名はここからきている。寺の門徒が開発したことからあの地名がついた。

六義園や旧古賀庭園などの名園の脇も通っていく。それはいいのだが、どこかで昼飯を、と思っていたのに、手頃な店がないので困ってしまった。街道歩きにおいては、昼食をどうやって摂るかは切実な問題だ。そんなもの適当に店に入って食べればいいだろう、と言う方もあるだろうが、なかなかそうもいかない。一つには街道沿いに飲食店が無いことが多いのである。腹の減った時分どきに手頃な店が見つからない。また、これから長い距離を歩くというのに腹にもたれるようなものを出す店しかない、ということもある。歩くのだからスタミナをつけよう、と頑張ってトンカツなど食べると、その後の行程は眠くて仕方がなくなり、結局は効率が悪いのだ。

この場合は前者で、旧古賀庭園の前を通り過ぎると飲食店自体が見当たらなくなってしまった。さっきJR駒込駅のあたりを通ったときに餃子の王将があったからあそこに入ればよかった、などと思っても後の祭りである。滝野川公園の南あたりを歩いているわけだが、このあたりは江戸時代には鄙の扱いであったはずで、東京市に編入されたのも昭和になってからである。比較的新しい街なので、文句を言うほうが筋違いだ。

石神井川はJR王子駅近辺で渓谷を作っており、滝のような流れから滝野川の名がついた。平坦な道はこのへんから起伏が多くなる。桜の名所である飛鳥山は本郷から歩いてくると立派な丘陵である。落語「王子の狐」は、神田あたりから王子神社に参った男が人を化かそうとした雌狐を逆に騙すという噺だが、なるほど凹凸の多い地形ならば獣の棲むような穴もあちこちにあったはずだ、と納得する。神田から王子まで、風景は次第に寂しくなっていっただろうし、だからこそ自分を騙そうとした狐に意趣返ししようという腹いせの気持ちも生まれたのだ。

そんなことを思いながら飛鳥山へ続く道を上っていく。途中にこの街道では最初のものとなる西ヶ原一里塚がある。日光御成道の一里塚は棄却されたものが多く、ここは道の左右に現存している珍しい場所だ。

西ヶ原一里塚。反対側の中央分離帯に対になった塚がある。

音無川親水公園。石神井川(滝野川)が作った渓谷である。現在改修工事中。

結局王子駅近辺でラーメン屋に入ってしまった。立ち食いそば屋は富士そばしかなく、その前で数人のお年寄りが順番を待っていたので、入り損ねてしまったのである。後で調べたところラーメン屋はそこそこ有名な店だったようだが、特にこれといった感想はない。

JR王子駅を過ぎ、京浜東北線と並行しながらまた長い上り坂を歩いていく。先ほど駒込駅近辺でも見かけたのだが、立派な破風造りの銭湯がある。銭湯好きにとっては、北区は羨ましい街である。坂を上りきったところに十条台小学校がある。ここからは比較的平坦な道だ。武蔵野の台地を少しずつ上っている、という感覚がある。

十条駅近くに妻の実家があるので、その周辺はよく知っているつもりだったが、今歩いているのはそこからかなり東に来た道だ。埼京線の東側はあまり来たことがないので、歩いていると、改めて十条という街を知ったような気持ちになる。街歩きとはそういうもので、知らない道を行くたびに、その街の違った側面を知る。人と親しくなるようなもので、付き合えば付き合うほど違った表情を知るようになり、それによって親しみが深くなったり、逆に敬遠したくなったりする。義父の家の菩提寺が東十条にあり、その法事に訪れたことがあった。寺は今歩いているような京浜東北線近くにあり、丘陵の斜面を段状に切り開いたところが墓苑になっていた。おそらく新幹線で通るたびに車窓で眺めていたはずであり、そうした意味では見なれば場所だった。しかし実際に墓参ということでその地を踏み、改めて東十条という土地を、知った、気持ちになったのであった。

同じような気持ちを味わいながら、十条の東側を歩いていく。

やがて道はJR赤羽駅前に到達した。今回、最大の難所である。

赤羽といえば鰻と焼鳥のまるます家だ。かの名作『孤独のグルメ』にも出てきたし、居酒屋好きの人間にとっては聖地といってもいい。また、この店は朝からやっているのだ。

しかし今日は街道歩きのために来ているのだし、夕飯は家に帰って食べると言ってある。まるます屋で一杯ひっかければ当然一杯ということでは収まらず二杯、三杯。さらには一軒では収まりが悪いということになり、河岸を替えて飲み直そう、なんなら暇な奴を呼び出して腰を据えて飲もう、ということになるはずである。私にとってまるます家とはそういう店なのである。

今日は寄らないぞ、絶対に寄らないぞ、と思って歩いていると、なんとまるます家の看板が目に入った。本店は東口だが、今歩いている側の赤羽駅西口にも支店があるのだ。ええい、と振り切って歩いていく。なんだか、まるます家がおいでおいでをしているようである。

赤羽駅を通り過ぎ、日光御成道はすぐに左折する。駅前の繁華街がそのまま街道なのである。将軍様もまさか自分が威光を示しながら通った墓参の街道が都内でも指折りの居酒屋密集地になっているとは夢にも思うまい。うろうろと歩いていたら本当にまるます家総本店の前に出てしまった。年季の入った店は建物そのものからいい匂いがする。後ろ髪を引かれる思いでその前を通り過ぎた。後日、改めてまるまる家だけのために来ようと誓う。

西口にもあったまるます家。呼ばれている。

こちらが総本店。今度ちゃんと来る。

赤羽岩淵駅にて。旧跡らしきものが見つからなかったので仕方ない。

赤羽駅を出て新荒川大橋を渡るまでの間に日光御成道最初の宿である岩淵宿がある。もっとも宿としては次の川口宿と合わせて一つの勘定で、毎月の問屋仕事も分担してこなしていた。荒川を渡るために両岸に置かれていた宿なのだから、ということだろう。本陣などは残っていないので、とりあえず地下鉄の赤羽岩淵駅で写真を撮る。新荒川大橋を渡るときにはもう日が暮れ始めていた。2017年の夏から秋にかけては雨が多く、あまり歩くことができなかった。もうこんなに日が短くなったのか、と驚きながら荒川を渡っていく。

味のあるシルエットの中学校

橋の向こうは埼玉県川口市である。江戸時代から鋳物業が発達しており、明治以降はそれによって大いに発展を遂げた。吉永小百合が主演した映画の原作、早船ちよ『キューポラのある街』の舞台として有名である。橋を渡っていくと前方に工場のシルエットのようなものが見えたが、それは中学校の屋上に作られた造形物なのだった。

橋を渡り切り、左側に曲がって下りたあたりから北に延びた道が旧川口宿の所在地である。道の西側奥にある錫杖寺は、二代秀忠が立ち寄って以来、歴代将軍の休息所となった。今は特に何もない道だが、たたずまいが静かで昔を偲ばせる。

ここを抜け、国道122号線に合流する。この道の下には地下鉄南北線からつながった埼玉高速鉄道が走っている。今回歩いてみてわかったが、日光御成街道の南半分は南北線と埼玉高速鉄道の沿線なのであった。歩いていき、同線の川口元郷駅で今回は終了。

川口宿の北の外れにある。かつては綺麗な水の湧く井戸があったが、ビール会社が汲み上げたために涸れたとのこと。

川口元郷駅にて。

 川口元郷駅でバスに乗り、JR京浜東北線の川口駅へ向かった。この駅にはちょっとしたご縁がある。2014年に『僕のきっかけ ひまわりと子犬の7日間 ~一也の場合』(MF文庫)というノベライズを出した。堺雅人主演映画を元にしたものだが、共演のオードリー・若林正恭を主人公にしたスピンオフ小説である。当時若林氏が「ダ・ヴィンチ」に連載を持っており、読者から支持を得ていたため、彼を視点人物とした物語を書いてもらいたい、という依頼があったのだ。映画の脇役を主人公として長篇を作るためには既存の情報が不足しており、独自の設定などを盛り込む必要があった。そこで私は、一也(若林)には東京でニート生活を送っていた時期があったという設定を考えたのである。

東京といっても、上京してきた若者が住むのが中央線や東急線の沿線ではありきたりすぎる。ではどうしようか、と考えて、東京とは言うものの一駅違いで埼玉県になる川口駅あたりではどうか、と思いついた。本人はもっと東京の中枢のような場所がよかったのだが、親戚が下宿を決めてしまったために仕方なく住み始めた。そのへんの行き違いが尾を引き、結局彼はせっかく入った専門学校も辞めてしまい、無為の日々を送るようになるのである。冒頭の場面は、川口駅前で彼がぼうっとしているところから始まる。どこにも行くあてがなく、お金もないため、ただ座っているしかないのだ。そして下宿に帰ってみると、二階からの漏水事故のために部屋がひどいことになっている。それでついに心が折れ、彼は故郷の宮崎に帰っていく。

川口駅前に着いてみると、もう完全な夜である。かつて一也を座らせた場所を探してみたが、見当たらない。たぶんここか、と思う場所には立派な駅ビルが建っていた。

一也はたぶんこのへんに座っていた。

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