街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビールvol.3(日光御成道その2)

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杉江松恋です。2日前は38度以上の熱がありました。

徳川将軍家のお墓参り専用・日光御成道を行くウォーキングの第二回は、2017年11月5日に決行した。前回のゴール、埼玉高速鉄道・川口元郷駅から出発である。

 前にも書いたとおり、現在の日光御成道は、川口市内では国道122号を歩くことになる。車線が多く、歩道も広いことから歩きやすいのだが、退屈でもある。川口元郷を出てすぐ右に見えるのが旧田中家住宅、この地の豪農で、その資本を元に味噌醸造や材木取り引きでも成功を収めたという名士が建てたという煉瓦造りの洋館である。貼ってあるポスターによれば、去る九月には評論家の東雅夫氏を招いて、ここで文芸怪談のイベントも開かれたとのことだった。

ここを過ぎると後は平坦な道が続く。次の鳩ケ谷宿まで、途中に分岐はあるものの基本的には単調な道筋なのである。こういうときは、街の風景を眺めて地勢に思いを馳せながら歩くのもよし、放り出してきた仕事のことを思い浮かべつつ自由に連想などを働かせるのもよし。つまり歩くリズムを脳のそれと同調させることを第一に考えるのである。脳と両脚が直結した、極めて単純な生物になったような気持ちで歩くのだ。

長い距離を行くときは音楽を聴きながら歩くという人もいるかもしれないが、私は基本的にそれをしないようにしている。知らない道を歩くのに注意が逸れて危ないということもあるが、聴きなれた音楽を流すことによって、見なれないはずの場所にいつもの日常の要素が持ち込まれてしまうことを避けたい気持ちがあるのだ。十代のころはどこに行くにもウォークマンとお気に入りのカセットを持って行っていた。それはそれで楽しかったのだが、行った場所の記憶を蘇らせようとすると、そのとき聞いていた音楽の旋律までが同時に再現されるのである。もしかするとそれで何かを聞き逃した可能性もあり、最近ではなるべく音楽は聴かないことにしている。

差し迫った仕事がないので、自由に考えを巡らせながら歩く楽しみを満喫できるはずであった。しかし、問題が生じる。

穿いていたジーンズが緩いのである。

実はこの前々日、私は高熱を出して臥せっていた。仕事のスケジュール調整に失敗し、徹夜の翌日に都内をあちこち駆け巡るという無茶をやってしまった。案の定、その翌日に発熱してしまったのである。幸い体調は一日で快復し、こうやって街道歩きに出られるまでになった。それはいいのだが、発熱のせいで体重が激減していたことを忘れていた。

ジーンズが落ちる。

ストンと落ちる。

歩き始めてしばらく経って気が付いた。ベルトはいちばんきつい穴にして締めているのだが、それが意味をなさないぐらい緩い。発熱のせいで一気に痩せてしまっていたらしいのである。人一倍体重のある人間なので、ちょっと痩せると何キロも減ってしまうことがある。今回もどうやら、腰回りが何センチか縮んでしまったようである。

歩き始めてしばらく経つと腰骨のあたりにからみつく感じにジーンズが落ちてしまう。それを引き上げてまたとぼとぼ歩く。またジーンズが落ちてくる。

トコトコ、ストン。

トコトコ、ストン。

こうなると落ちてくるジーンズを引き上げることしか考えられなくなる。優雅な思考時間を持つつもりが、自分の腰と尻のことにしか注意が向かないのである。

こういうとき、われわれの世代は「ピンポンパン体操」に思いを馳せることになっている。ご存じない方は申し訳ない。ピンポンパンというのは正式名称を「ママとあそぼう! ピンポンパン」といって1970年代に人気を博した幼児番組である。その中の体操の歌に、パンツがずり落ちて仕方ない虎のプロレスラーを唄った箇所があるのだ。ご存じの方はもう頭の中にメロディが流れてきていると思うが、サビの「ガンバラクチャ、ガンバラナクチャ、ガンバラナクチャー」というフレーズは、CFなどにも使われて流行した。社会の荒波に揉まれる会社員の呟きとして共感を得る部分があったからあろう。

ガンバラクチャ―、と言いながらジーンズを引き上げ引き上げ、歩いていく。

初めはシャツの裾を丸め気味にして中に押し込み、その摩擦によって落下を押し止めんとしていたのだが、それぐらいでは阻止できるものではないということがすぐに判った。

なにしろ、こちらは歩き続けているわけである。歩行によって体は上下するので、皮膚とシャツとジーンズがそれぞれ別方向に揺れ動き、結果としてそれぞれの摩擦を無化することになる。トコトコ、ストンである。

やがて、シャツの援護を頼まずに、もっとも直径の大きな腹部にジーンズを引っかけ、そこに力を込めることで落下を阻止するのが有効であろうということが判明した。もっとも直径が大きいのが腹部だというのは残念極まりないが、この場合は良しとするしかない。ただ困ったことに、先日来の体重減少によりこの腹部も些かの収縮を見ている。ゆえに、常に腹に力を入れ続けていないと、あっという間にジーンズは落下してしまうのであった。

トコトコストンが、トコトコトコストンぐらいになったところで鳩ケ谷宿の入り口までやって来た。

交差点に突如出現した。

旧鳩ケ谷市は平成の大合併によって川口市に編入された。日本で最も小さい市は同じ埼玉県の蕨市だが、それに次ぐ第二位だったという。鳩ケ谷宿の入り口を示す記念碑があり、そこから先は街道の雰囲気がガラリと変わる。宿場についての案内板が増え、観光客に親切になるのだ。あくまで想像だが、これは2011年に合併される前の旧鳩ケ谷市の教育委員会がやった施策なのではないだろうか。大きな産業や別の観光資源などがある自治体は、とかく旧街道に冷たいのである。川口市の大半はそういう感じなのに、鳩ケ谷宿周辺だけ違うのはそういう理由があるとしか思えなかった。

江戸時代の鳩ケ谷宿は上・中・下の三つの町から成り、毎月三・八の日には市が立つなど(三八市)、地域経済の中心地としても栄えていた。全体が坂になっており、中宿にあたる付近の商店街には、古い建築も残っている。昔の風情を残した商店もあり、歩いていて楽しかった。ただ、その絶対数は多くないし、変革を余儀なくされている店も少なくはないはずだ。現に前を通った書店は、昨年から書籍の取り扱いを止めて文房具だけで商いを行っているとの貼り紙が店頭にあった。そうした状況を考えると5年後にはどうなっているかわからないと思う。

鳩ケ谷宿の旧家。現役の商店である。

三八市の中心となった、市神社

この宿で見るべきは郷土資料館で、入館料100円とは思えない充実ぶりであった。ここで知ったのだが、鳩ケ谷出身者の中には小谷三志というおもしろい人物がいるという。

小谷は1766年生まれで1841年没、富士講の流れを汲む不二道という教えを説いた。富士講は霊峰を信奉する山岳信仰であり、多くの民間信者を有した。不二道のおもしろいところは単に富士山を崇拝するだけではなく、心学のように日常の道徳律・行動指針としてそれを広めようとしたこと、また常識の逆転を進んで行った点にある。後者についていえば、小谷は男性優位が当たり前だった当時の価値観をひっくり返し、男女という表記を女男としたり、当時は禁止されていた富士への女性登山を実現したりしたらしい。

このへんがどういう理屈だったのかはわからない。江戸時代も後期になると従来の価値観を疑い、脱却を試みる思想家が出てくる。そうした変革者の一人だったのではないか。小谷三志と不二道については、もう少し調べてみたい。

鳩ケ谷宿を過ぎると、急に道の様子が変わる。道路の舗装が新しくなり、歩道が広くなって一気に今風の街路になるのだ。新しい住宅が建ち並ぶ道がゆっくりと丘陵地を降っていく。

ここからしばらく、また何もない道である。川口宿から鳩ケ谷宿までのそれと違うのは、道幅が狭く、歩道がまったくと言っていいほどなくて、常に車との接触を気にしながら歩かなければならないことだ。たまに広い道にも出るのだが、埼玉高速鉄道の新井宿前駅から同じく東川口駅までの間は、ほとんどがそうであった。おかげでずり落ちるジーンズのことも忘れて、びくびくとしながら歩くことになった。何かの抜け道になっているのか、けっこう交通量は多い。また、植え込みが民家の軒先からはみ出していることも多く、そのたびに車を気にしながら迂回しなければならないのである。

歩道のない道路にやや疲れ気味の私。このあと、犬の糞を発見してさらにげんなりする。

途中に一里塚ポケットパークという小さな公園があった。日光御成道六つ目になる、戸塚一里塚跡に設けられたものだ。そこで一休みさせてもらった。写真を撮り、お茶を飲んで寛いでいるときに、案内板の下に犬の糞が転がっているのを見つけてしまった。犬だって別にわざとやったわけではないだろうが、何もそこにすることもないだろう、とげんなりした。道といい、この公園といい、どうも川口市と今回の街道歩きは相性がよくないようだ。

やがて街道は武蔵野線を越える。ここから再び上りが目立つようになり、気が付くと御成道はさいたま市に入っていた。旧浦和市である。畑地が多くなってきたな、と思っていると郊外のバイパスのような道路に出た。それを東北自動車道のほうへ向かって歩いていったあたりが次の大門宿なのである。住宅地として再開発されつつあるようだが、道幅やときおり見かける古い家屋などに旧街道の名残りがある。

大門宿本陣表門。もう一つ脇本陣の門も現存している。

そしてこの大門宿には見事な史跡が残っているのだった。本陣であった会田家の表門だ。その前で記念撮影をしてこの日はおしまい。前回とほぼ同じ、14kmほどの道のりである。

踏破を祝ってビールで乾杯、あるいはひとっ風呂と行きたいところだが、あいにく周囲にそれに適した施設は見当たらない。埼玉高速鉄道の始発駅・浦和美園まで歩き、おとなしく帰宅することにしたのであった。おなかが減って、またジーンズも落ちやすくなってきたし。

トコトコ、ストン。

浦和美園駅にて。近くにあったさいたまスタジアムを、ずっと川口オートレース場と勘違いしていた。

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