街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2018年9月北沢川緑道で豪徳寺、そして三軒茶屋

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三軒茶屋・五臓六腑久のカウンターにて。ビールじゃなくてホッピー。

北沢川緑道を歩いてみた。
桜の名所としても知られる目黒川は、最近では桜の名所としても知られる。世田谷区を流れる北沢川と烏山川が合流したものが目黒川である。
東急田園都市線の池尻大橋駅から上流は暗渠化されていて、その上は緑道として開放されている。道沿いには下水を再利用した小川が流れており、知らなければかつての河川がそのままに保存されているのかと勘違いするかもしれない。
ここしばらく気温も落ち着いてきて、午後の遅い時間には秋風を快く感じることも多かったのだが、緑道を歩いた日は暑さがぶり返し、夕刻になっても陽射しは強いままだった。うっかり薄い上着をはおって出てきてしまっていたので、背中に汗が溜まる。
しかし夏日の楽しみということで、小川で遊ぶ親子連れを幾度も見かけた。あるいはたも網を手に、また別の場所では手釣りで糸を流れに垂らし、何を狙っているのかはしばらく歩いているうちに判明した。四歳ぐらいの女の子が道にぺたんと尻をつき、目の前で動くものを熱心に見つめている。それは赤いざりがにだった。ちいさなはさみを振りかざし、女の子を懸命に威嚇している。
植物を大切にしよう、流れに生き物を放さないようにしよう、という掲示が緑道のあちこちに出ているのだが、ざりがに釣りを禁止する文言はどこにもないのだった。おそらくは掲示をした時点では、そこまで生物が繁殖することは考えていなかったのではないか。
北沢川緑道は池尻から北西に向かう。その起点は玉川上水なのだというが、もちろん分水地点も今は暗渠化されているはずだ。並木と水の流れが気持ちいい道を歩いていると、ところどころに地図や文学碑を見かける。このあたり一帯にはかつて文士が多く居住しており、それを下北沢文士町として文化遺産保存しようとしている方たちがいるのである。
その一つが萩原朔太郎・娘葉子の旧居跡だ。世田谷区代田一丁目の丘にそびえる鉄塔のすぐ下に朔太郎が自分の設計になる家を建てたのは一九三三年のことだが、三年後に刊行された詩集『定本青猫』の自序には「都會の空に映る電線の青白いスパークを、大きな青猫のイメーヂに見てゐるので、當時田舍にゐて詩を書いてた私が、都會への切ない郷愁を表象してゐる」とある。『詩集青猫』は一九二三年の作であり、当時の朔太郎は生地である前橋の人だった。上京によって都会への憧れが現実に手の届くものとなったとき、鉄塔はかつての思いを象徴するものと感じられたのだろう。

世田谷代田一丁目の鉄塔。萩原朔太郎はこの下に居を構えた。

緑道は小田急線の梅が丘駅につきあたる。ここから線路沿いに西へ一駅行けば豪徳寺で、今回の目的地だ。世田谷を散歩しようと考えたとき、豪徳寺に二軒ある古本屋のことが頭に浮かんだのだった。駅の南側にある靖文堂と玄華堂である。どちらもはるか昔に行ったきりになっているので、この機会に訪ねてみようと思ったのだった。
最近の豪徳寺は、駅の北側しか知らない。お世話になっている落語家の立川談四楼さんが近くにお住まいなので何度か来たことがあるのだが、南側に延びている商店街にはなぜか足が向かなかったのだ。そういえば小田急線豪徳寺駅と東急世田谷線山下駅を結ぶごく短い商店街に、かつては満来という中華料理屋があった。店主が高齢のために閉めてしまったのだが、地元の人に言わせると驚くほど安いのに味が良い、良心的な店だったのだそうだ。満来の存在を知ったのが閉店直後だったため、残念ながら私は間に合っていない。あまりに悔しかったので、意味もなく閉まった店の前をうろうろした覚えがある。
豪徳寺商店街と世田谷線は並行している。駅からやや下ったところで路地に入るとあるのが玄華堂(と憶えていたのだが、看板には玄華書房とあった)なのだが、この日は閉まっていた。定休は別の日のはずなので、やっていない理由はわからない。そこから南にまた少し下りたところに、古い文庫にやたらと強い靖文堂がある。
青い看板の下、電気がついているのを確認して店に入った。ところが店主から声がかかる。「日曜日(だった)は閉店午後六時。あと五分」
あれま、と思ったがそういうことならば仕方がない。あとで店の前を見たらたしかにそう書いてある。知らないほうが悪いのである。急いで文学関係の棚だけ見たが、五分では何をすることもできず。店主の見ていたテレビから「それでは笑点また来週」という声が流れてきたのを潮時として外に出た。ここでとんでもない掘り出し物があれば、本のほうから呼ぶから残り時間が五分だろうと一分だろうと、見つかるものは見つかるのである。それがないということは、今日は縁遠いのだろう。

靖文堂と玄華堂の間ぐらいに銭湯がある。鶴の湯である。前もって調べてあったので、ちゃんと手ぬぐいも持参していた。知らなかったがここは、ボディソープやシャンプーも備えつけのものを使わせてくれるので、手ぶらで入っても何も問題ないのだ。洗い場から脇に入る引き戸があって、そこから外の露天風呂に出ることができる。露天風呂といっても、銭湯の横の路地に湯舟を据え付けて囲いをしたような塩梅だが、空を仰ぎ見ながら湯につかることができるのは気持ちいい。ここで緑道漫歩の汗を流した。

帰りは同じ道を帰らず、豪徳寺商店街を南下してみた。道はやがて東へ向けて大きく曲がり、世田谷通りに合流する。これは世田谷線と並行しているのであり、その先は三軒茶屋駅に行きつく。そういえば三軒茶屋から西側を歩くのもひさしぶりである。以前、東京農業大学を訪ねたことがあり、そのときにぶらぶら通って以来ではないだろうか。何年前のことだか忘れたが、散歩している最中に中古住宅が売りに出されているのにぶつかり、それがさる映画監督の旧居だったのでびっくりしたことを思い出した。
三軒茶屋も以前よく来たが、最近はごぶさたしている。思い立って、駅前のすずらん通りに行ってみた。交番側から入ると、つきあたりの右側が今は工事中である。休業している大衆割烹味とめだ。ここは大学時代に作家の故・北森鴻氏がアルバイトをしていた店である。料理をテーマにした連作短篇集『メイン・ディッシュ』についてインタビューをした際にその話になり、当時の話をいろいろ聞かせてもらった。アルバイトながら調理場にも入っていたそうで、そのころから料理は玄人級であったという。それが貧乏生活には強い味方となった。
「宴会をやるでしょう。料理なんか全部自分で作れるから、集まった人から会費をもらう。そのときにちょっとずつ上がりが出るようにするわけ。それを生活費に回せるから、当時は宴会ばっかりやってた」
そう言って北森氏は微笑んだのであった。仕事が行き詰ったときのストレス発散も料理がいちばん、とおっしゃっていたような。味とめが再開したらぜひ訪問して、北森氏のことも聞いてみたいものである。
いいかげんよく歩いたので、近くの五臓六腑久へ。五臓六腑の名を冠した店は三軒茶屋界隈に多く、別の店では以前、鶏一羽を解体していろいろな形で食べさせるというコースを振る舞われたことがある。久はもつ焼きが美味い店だ。ここも以前の行きつけだが、数年は不義理を働いていた。店員さんも見覚えのない方に替わっていたが味は同じ。一本百三十円のもつ焼きが五本セットだと五百円になってたいへんお得である。ゆっくり飲んで、また歩いて帰る。家に着いてから確認したら、十二キロ弱を歩いたことになっていた。足もだいぶ復活してきたようである。

三軒茶屋味とめのおかみさんからメッセージ。現在はビルに改築中なのです。

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