街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2017年5月東海道再訪その4の下 箱根~三島

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箱根山西坂。写真は明るく写るが、もっと暗く感じた。こんなところで「彼」に出会った。

南関東の住人は、子供のころに一度は箱根に来ている。芦ノ湖で遊覧船に乗ったり、大涌谷で黒玉子を作って食べたり。私も多摩の子としてご多分に漏れず箱根で遊んだ記憶を持つ身なのだが、前回の『東海道でしょう!』旅行の際にもっとも驚いたのは、箱根関所が記憶の場所になく、展示内容もまったく違っていたことだった。実は私が子供のころに見ていた関所はなんらかの事情で史実通りの場所にはなかったのである。そこで何年か前にきちんとした位置に一から建設し直したそうなのだが、そうだとすると子供の私が見せられていたのはいったい何だったのだろうか。完全なフェイクの関所を見せられていたわけで、逆にそのときの体験こそが貴重だという気さえする。

そんな思い出深い芦ノ湖畔であるが、遊覧船どころか関所でも一切足を止めず、ずいずいと歩く。ここで遊んでいる人のほとんどは今日車か箱根登山鉄道で帰るのだろう。そうではない人はこの元箱根付近のホテルに泊まるのだろう。しかし私は違うのである。たぶんこのへんにいる中では数少ない「歩いて下山する」派だ。そして「早く下山しないと麓に着く前に日が暮れてしまう」派でもある。

芦ノ湖の遊覧船。もう何十年も乗ってない。

食事をする暇も惜しいのでコンビニエンスストアでおむすびと水を補給し、名高い杉並木をずいずいと歩いていく。ここの木立は本当に美しく、苦労して登ってことが報われる思いがする。松並木もよいが、天に向かってまっすぐに伸びていく杉を眺めていると、さっぱりした心持ちになっていく。気分が良い。前回『東海道でしょう!』の際に泊まったホテルの前を過ぎると、駅伝のゴールになっている広場である。そこを過ぎると観光地っぽい雰囲気は薄くなり、住宅地のほうに道は入っていく。それも過ぎて野っ原のようになっているところに戸山の石仏群がある。このへんで箱根宿が西の端に達する。箱根峠に向う旧街道は、その先だ。

まずは向坂という短いが急な坂を上る。日照の関係なのか知らないが、箱根山の東側は石畳の道などもあって比較的整備されている箇所が多いのに対し、西側は雑草が生い茂っている道が多いことに気づく。道の両側から笹がかぶさってきてトンネルのようになっている箇所も多く、それもあって昼なお暗いという表現がぴったり来るのだ。

向坂を上り切ったところで道路の下をくぐる。五年前に放置されていたマットレスが、まだあった。ちょっとした怪奇スポットみたいになっているので、早く片付けたほうがいいと思う。

向坂にて。全般的にひとけがなくてちょっと西坂は淋しいのである。

こんな風に両側から茂みが迫ってくる。

ここからは車の通行量が多い道端を歩いていかなければならない。歩道すらない。東海道危険地帯ベスト3には必ず入るのがこの箱根峠周辺の道である。前回来たときはここで濃霧に巻き込まれ、危うく遭難しかけたのであった。

さらに剣呑なことに、このへんにはきちんとした道標がない。かなり進んで駐車場になっている茨ヶ平から甲石坂に入らないと駄目なのだが、どこから降りれば箱根山の西坂なのか、初めての人には極めてわかりにくいのである。整備が行われていないのは、もしかするとこの付近が神奈川県箱根町と静岡県函南町の境界だからなのだろうか。現時点でもっとも頼りになるのは、少しいったところにある道の駅に貼ってある、手書きの地図だ。おそらくは何度も何度もわからなくなってしまった旅人から道を聞かれて、いちいち教えるのもたいへんだから、ということで貼りだしたのではないだろうか。官の足りない部分を一般の人が補っているわけである。

東坂の階段になった道とはまったく趣きのある石畳の道が西坂には敷かれている。石の並びを斜めに切って排水路にしてあるのが箱根の伝統的な工法だ。前述したように両側から笹や茅がかぶさってきて、怪奇漫画の挿絵のようだ。葉と葉の切れ目から細切れになった光が落ちてくるが、網のように細くなった光は地面を照らすには十分ではない。日暮れが近いだけが薄暗い理由ではないだろう。

坂を下り始めてすぐのところに静岡県が設置した道標がある。特徴的な形をしたこの道標はおそらく東海道ルネッサンス事業のとき作られたもので、静岡県全域にわたって同形のものが置いてある。これを見ると東海道の本場に来た、という気がするのである。やはり静岡県は観光資源として東海道をどこよりも大事にしている。

これを見ると静岡に来た、という気持ちになる。

西坂は東坂の七曲り付近ほどは急ではないが、だらだらと長いうえに、石畳なのでところどころ滑って危ない箇所がある。かなり下りきって笹原の一里塚を過ぎると下長坂である。そこは急坂がどこまでもどこまでも続く難所で、旅人の背中で米が汗を吸って強飯になってしまうというところから「こわめし坂」の別名がある。箱根越えで西から来た旅人が最初に心を折られるのは、たぶんそこである。

順調に下りていると思ったのだが、一つ誤算があった。旧街道の補修工事が行われている箇所があり、そこでは旧国道一号線を通らなければならなくなっていたのだ。回り道であり、時間が余計にかかってしまう。

山腹に山中城址公園がある。後北條氏が築いた山城があった要衝の地だが、ここを通過した時点ですでに時刻は午後五時になっていた。ここから三島駅まで、たぶんまだ十キロ近くある。一応バスは出ているが、最終便が早いのである。ギブアップするならそれに乗ることができる。乗らなければ後は泣いても笑っても自分の足以外に交通機関はない。通りかかった停留所で便の時刻は調べたが、結局バスに乗ることはなかった。人家も増えてきて、なだらかな道が続くことも多くなった。これならばもしものことがあってもなんとかなるだろうと思った。

五時の段階でまだこんな上にいたのである。

彼に会ったのはおそらく、市の山新田を過ぎ、こわめし坂が間もなく、というあたりである。なだらかな舗装された道の合間合間に、やはりトンネルのような旧道になる部分がある。これで終わりか、と思うとまたそれが出てくる。懐中電灯を持ってこなかったことを本気で後悔した。木のトンネルに入ると街路灯がないので、本当の闇になってしまう可能性があるのだ。何度か目をこらしながら旧道を抜けて、いよいよこれが限界、今より暗くなったら回り道でも一般道路を歩くしかない、という場所に出た。目の前には石畳、それも部分的でほぼ土の道に近い。

手探りをするような気持ちで進んでいった。そのとき、前方の道路ががばりとめくれて、浮き上がったのである。

人だった。路傍に自転車が止めてあるのが見える。野宿でもするつもりなのだろうか、地べたに敷物をして、そこに寝そべっていたのだ。日もほとんど暮れ、もう通りかかる人間などいないだろうと思って、安心していたのだと思う。そこに私がずかずかと踏み込んでいったから、驚いて飛び上がったのだ。いや、飛び上がられた私だって驚いた。

うわわ、と心中で叫び声を上げながら通り過ぎる。挨拶どころの騒ぎではない。もしかすると山賊が一休みしているところなのかもしれないではないか。いや、冗談抜きで本当にそう思ったのだった。暗い山の中で見知らぬ人に出くわすほど怖いことはない。

こわめし坂をうんざりしながら下りきると、もう夕闇の中だった。この日はいくつもの一里塚を見たが、三島宿に入る前の最後に通過したのが錦田一里塚であった。道の両側に対になった塚が保存されている。ここから三島宿までは2kmもない。東海道線の踏切を越え、新たに植樹された松で綺麗な並木となった公園道路を歩いていく。

錦田一里塚にて。もう完全に夜になっていた。

この日の目的地と定めた三島大社に着いたのは、午後七時半近い頃だった。十二時間歩き通しである。この日歩いたのも約30km、ただし途中に箱根山がある30kmだ。駅前で納得のいかない味のホルモン焼きを食べ、さすがに新幹線に乗って帰る。次は三島から出発である。

夜の三島大社。ここは朝来ると気持ちのいい場所なのだけど。

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