街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2017年6月東海道再訪その5 三島~吉原、富士駅

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東田子の浦の素敵な本屋、grow booksさんにて。

古本屋巡り、という点では三島には苦い思い出がある。三島の市街地に唯一残っていた個人経営の古本屋、北山書店にわずかの時間差で間に合わず、訪問しそこねたからだ。

藤田香織氏との共著『東海道でしょう!』によれば、最初の東海道踏破の旅で二回三島宿に滞在している。一度目は大磯~原間を歩いたときだ。東海道ビギナーだった我々は、その時点で箱根を越える自信がなかった。そこで小田原まででいったん行程を棚上げし、小田原~三島間の箱根越えを後回しにしたのである。小田原まで歩いたあとで新幹線で三島に移動し、一泊。翌日、沼津宿を経由して原まで歩いた。

本によれば、その日が2012年3月10日。北山書店はこのときまだ営業していたのである。現に、店舗が開いているところも目撃している。ただ、三島到着が遅かったため北山書店はもう閉店間近であった。すぐそばの老舗鰻屋、元祖うなよしを予約してしまってもいた。鰻か古本か迷った末、私は北山書店に寄らずにうなよしに直行してしまったのである。おなかが空いていたとはいえ、取り返しのつかない判断ミスであった。

二回目の三島訪問は、箱根越えを果たした2013年3月18日のことである。山を下って三島の市域に迫る間、私の脳裏には元祖うなよしと北山書店のことしかなかった。一年前の宿題をようやく果たすことができる。しかし、鰻屋と古本屋が向かい合っているはずの街路に立ったとき、前者は健在であったものの、後者はすでに跡方もなくなっていた。ネットで検索し、ちょっと前に閉店したと知って、悶絶したものである。その日の鰻もたしかに美味かったが、後悔の味が勝った。

そんな思い出が三島にはある。この先ずっと忘れることはないだろう。

東海道歩き直しの行程、三島駅に再び降り立ったのは2017年6月6日の早朝だった。前述したように、一回目のときは大磯~小田原間を歩いた翌日だったため、三島を発したときにはすでに足が痛くてどうしようもない状態だった。思い出したが、二日連続で歩いたのもそのときが初めてだったのである。三島~沼津間の道も、足が痛かったということ以外ほとんど記憶にないという体たらく。

今回はそういうこともなく、すいすいと歩けていく。二日目ではないということもあるが、やはり足が前回とは格段に慣れているのである。晴天で、非常に気持ちがいい。三島宿を出て最初にある一里塚は玉井寺の一里塚で、ここも保存状態がいいのである。一対のうち片方は当時のまま、もう片方も小山の形状を保っている。三島は東海道で唯一伊豆国中にあり、基本的には山中の宿場だ。海に向って少しずつ下りてくるような形で歩くことになり、その突き当りに沼津宿がある。ここからしばらくの間、沼津、原、吉原と海伝いの道が続く。

玉井寺一里塚。

前回は足が痛くて痛くて仕方なかった沼津宿であったが、再訪してみて意外なことに気づいた。町全体が一つのアニメを押している。言わずと知れた「ラブライブ!」である。この訪問までうっかりしていて聖地になっていることに気づかなかったのだが(後に何度も訪れてそのたびに認識を改めることになる)、沼津は本当に「ラブライブ!」愛が強い。何の気なしに訪れた喫茶店で初老の店長から「ラブライバーの方ですか」と聞かれたときには、びっくりして、「ええ、の、ようなものです」と返事をしてしまった。違うんだけどね。

その店は千本松原公園の入口にあり、喫茶室ダイヤコーヒーという名前である。どうやら「ラブライブ!」の黒澤ダイヤの聖地ということになっているようなのだ。店内にはそのグッズが溢れている。店主が集めたわけではなく、熱心なファンが持ってきて献上していくらしい。構図としては出雲大社に信者が大黒様を奉納するのと同じである。奉納されたグッズを眺めながらコーヒーを飲んだ。

ダイヤコーヒーの奉納物。

他のお店もこのとおりラブライブ押し。

千本松原に出てしばらく歩いたあと、本来の街道へと戻る。最初の東海道歩きでは、のんびりと浜辺を歩きすぎてその後道を間違えたんだっけ。

三島から原までは特に見るべきものもない一本道である。もともとは浮島ヶ原という沼沢地帯だったということは本にも書いた。そのために鰻漁が盛んだったのだろうが、今は干拓され住宅地になっているので見る影もない。ただ単調な一本道があるだけである。原宿で昼食、と書くと東京人はこじゃれたカフェ飯か何かを連想するのだが、ここは静岡県である。三光楼という様子のいい店でラーメン餃子という折り目正しき中華の昼食。

 ここから吉原までもひたすら一本道が続くが、途中に一つ楽しみがあった。JR東海道線の東田子の浦駅前にgrow booksという個性的な書店があるのだ。以前立ち寄ったときは残念ながら営業時間外だったため、中に入るのはこれが初めてである。広めの店内には古本のコーナーもあり、郊外型の書店とは一線を画した品ぞろえである。これは何か買わなければならない、と思って清野茂樹『1000のプロレスレコードを持つ男』(立東舎)を購入した。旅先で買うには少し大判の本だが、これでいいのだ。店主とちょっと話して、写真を撮っていただく。

そこからしばらく行ったところに大きな放水路がある。浮島沼の水害を防ぐために設けられたものだが、ここにはもともと明治初年にスイホシと呼ばれる掘割が築かれていた。原宿の人・増田平四郎が一念発起し、身延山久遠寺から多額の寄付を得るなど働きかけて作ったもので、惜しくも完成直後に高波で壊されてしまった。結局は壊れてしまう掘割を作るために一生を投げ打ったのだから、壮絶な人生だ。しかしその志は無駄にならず、後に昭和の大工事で放水路が築かれることになるのである。放水路のそばに増田平四郎の像があり、その傍らにあるのが一里塚跡だ。この付近には他にも干拓事業にまつわる史跡が多く、高橋勇吉の天文堀跡などがある。

この人が増田平四郎。土木のえらい人。

歩いていくうちに道は内陸部に入り始める。吉原宿は二度の移転を経験しており、海岸近くから内側に引っ込んでいるのだ。やはり水害があったからだろう。また前回の話になるが、最初の東海道歩きで吉原に到達したときは嵐と遭遇してしまい、吉原駅近くで進退窮まったのであった。風雨のため、とある会社の軒先に釘付けにされ、前に進むことも退くこともできなくなった。その記念の地で写真を撮る。何の変哲もない写真だが、私にとっては遭難未遂の碑に等しい。

東海道線に乗っていると、下り列車で車窓の左側に富士山が見える箇所がこの吉原近辺にあることが知られている。歩きの街道にもやはり同様の名所があり左富士と呼ばれているのだが、周囲に工場が密集しているせいもあってか、左も何も富士山を望めるほどの見晴らしがまずない。この日も霊峰は影も形もなかった。平家の軍勢が水鳥の羽音を源氏の夜襲と間違えて逃げ去ったというひどい伝説のある平家越の碑を過ぎると吉原宿に入る。この付近には二軒の古本屋があるはずなのだが、この日は寄らず。ずっと西まで行ってJR富士駅で行程を終えた。帰宅して家で夕食の支度をする約束があったので、少々急いでいたのである。というわけで、次は富士駅からの出発となる。

※2018/10/16追記。twitterで教えてくれた人があって、grow booksさんはすでに閉店されているとのこと。周囲に文化施設がないのによく頑張っていると思っていたが、残念だ。もしどこかに移転して継続しておられるのであれば、どなたか情報提供いただきたい。

遭難しかけた場所にて。会社の人が出てきたら「実は前回ここで難を逃れたんです」と説明しようと思ったが、果たせず。

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