街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 石橋駅にて

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今から数年前、孝謙天皇を祀った神社を訪れた。そのことを書こうと思う。

日本には無数の神社が存在する。その中には神格化された個人が祀られているものがいくつかある。最も有名なものは、明治天皇に殉職した乃木希典を祀った、東京都渋谷区の乃木神社ではないだろうか。よく考えてみると単なる軍人だ。なぜ神社に祀ったか、平成も終わろうとしている現在から振り返ると、遠すぎる昔でよくわからない。

それに比べると天皇を祀った神社はわかりやすい。たとえば山口県の赤間神宮だ。ここの神様は、壇ノ浦の合戦で数え年七歳にして波間に散った安徳天皇なのである。とても痛ましいことだし、鎮魂を祈りたくなる気持ちはよくわかる。

孝謙天皇神社は、栃木県下野市にある。駅で言うと、JR東北線の石橋が最寄りになる。行き方は簡単で、駅をロータリー側に出たらひたすら真っ直ぐ。グーグルマップで見ればわかるが、とにかく真っ直ぐ。どんな方向音痴でも迷わない。絶対に曲がらず、真っ直ぐ。

各駅停車を乗り継いで石橋駅で下りたのは、かんかん照りの真夏日だったと記憶している。他には誰も下りなかった。駅は跨線橋の上にあるタイプである。神社のある側に出てみると、駅前はロータリーになっていて、なぜかヨーロッパ風の雰囲気がした。行ったことはないけど、オランダみたいだ。

そんな気分になった理由は明らかで、ロータリーの中央に風車を思わせる時計台があるからだ。ペディストリアンからその時計台の向こうに下りるなだらかな階段がある。

そこの手すりにもたれかかって、一人の女性が煙草を吸っていた。茶色い髪が風になびいている。ロングスリーブの黒いTシャツを着ていて、腕組みをしながら携帯をいじっていた。

遠かったけど横顔が見えた。ちょっとどきっとするほど綺麗だった。

歩き始める準備をしながら、ちらちら女性を見る。私は長距離を歩くとき、LEKI社のノルディックスティックを突くのである。その支度をしているのであって女性を見ているのではないのである。それにしても綺麗である。

下のホームに電車が到着する音が聞こえた。私が乗ってきたのとは反対の、上りの電車だろう。今度は何人が改札口から出てきた。その中に若い男性が一人いた。小太りだが、若いと思う。駅舎を出た瞬間、彼は手にした煙草に火をつけた。もう一方の手を振る。と、茶髪の女性がこっちに来い、というように手招きをするのが見えた。小太りの彼は、階段を忙しく下りていく。仲良く手にした煙草を路面に捨てると、二人は停めてあったワゴン車に乗り込み、走り去っていった。

さて、歩く時間である。

周辺には空いている店がなかった。午前十一時台なのだが、おそらくは目的地近くまでいくと昼どきになる。経験からいって、この手の駅から百メートルも離れると、幹線道路にでもぶつからない限りは食事のできるところはないのである。付近を見回してみたが、夜にならないと開かないような店ばかりで、食事はできそうになかった。

かんぴょうの看板を掲げた店がいくつかある。石橋の名物なのである。しかし、そのかんぴょう屋もまだ開店準備中であった。いや、買ってどうするかんぴょう。戻して食べるのか、かんぴょう。

諦めて歩き出す。石橋駅付近は、荒廃感が漂わない程度に寂れていて、悪くない雰囲気だった。閉店したまま放置された建物があまりない。

しばらく歩いていくと、米屋が開いていた。その店頭にガラス製のショーケースがあって、中におむすびを並べていた。これは珍しい。米屋が自分のところで炊いた飯で作って売っているのだろう。覗くと、おばあさんがショーケースの向こうに座っていた。

何になさいますか、と聞かれたので、焼きたらこと梅を一つずつもらう。とりあえずこういうときは、一つは梅である。一つ、百六十円だったと思う。ビニール袋に入れてもらい、また歩き出す。

朝食抜きだったので、もうかなり腹が減っていた。お行儀が悪いのは勘弁してもらうことにして、たらこの方を食べる。

美味い。

ふっくらとした米が、かぶりつくとほろほろ口の中にこぼれてくるように握られている。それなのに、ちゃんと手で持っても崩れないのだ。噛みしめるとしっかり甘味を感じる米、パックされずに売られていたので、海苔もまだ湿っていなかった。磯っ気のあとにちゃりっとした塩味がくる。

両手でスティックを突きながら歩いていく。おむすびはたくさん噛んで食べたが、最初に見た横断歩道を渡るころにはなくなってしまった。

信号を渡ると、駅前の雰囲気が消え、人家も道から奥まったところに建つようになってくる。設備工事の会社があって、機材が軒先に置かれている。

そのうちに人家は絶え、目に入るのは田んぼと畑だけになった。その中をひたすら歩いていく。道を曲がろうにも左右に見えるのは田畑しかないので、間違いようがないのである。

孝謙天皇も、何が悲しくてこんなだだっ広いところまで来たのか。

重祚によって二度皇位を引き継ぎ、後には称徳天皇とも呼ばれるようになった帝は、奈良時代の人で、父親は大仏建立を命じたことで有名な聖武天皇である。生涯独身で過ごし、子女がいなかったため、天武系がここで絶えて、彼女の後は天智系の白壁王が光仁帝として皇位に就いてしまう。光仁の息子が平安京に遷都した桓武天皇だ。

伴侶となる人がいなかったせいか、孝謙帝はひどく不名誉な噂を奉られている。道鏡を愛人として近づけ、天皇家でもない彼を次の帝にしようとされた云々。道鏡は出自のよくわからない僧侶で、藤原氏となんの関係もない彼が孝謙天皇から寵愛を受けたため、生臭坊主扱いされているのだろう。孝謙天皇崩御後はたちまち失脚して下野国、つまり今の栃木県の薬師寺に別当として赴任させられた。つまり左遷である。中央には戻ることなく、二年後に死んだ。

流刑になった道鏡を追って孝謙天皇が下野の地までやって来て、そこで亡くなった、というのが孝謙天皇社の由来である。時間軸が逆転している。つまり史実ではないのだが、地元の人はここに来なかった天皇を憐れみ、御霊を慰めるために神社を建立したのである。どのような経緯で伝説ができあがったのかは、私は知らない。

果てしなく続くように見えた田んぼ道の向こうに、ようやくそれらしい影が見えてきた。車の往来の激しい道を渡ると、木立の中に石の鳥居があり、その向こうに小さな神殿がある。鎮守の森、というにはあまりにもささやかな林であるが、一応は立木が並び、神殿の上に涼しい影を落としていた。

道に面したところに説明版がある。孝謙天皇と、彼女に付き従ってきた侍女二人が祀られているのだという。

いなかった天皇についてやってきたいなかった二人の侍女。

地元の方によって整備されているのか、心配したような荒れ方はしておらず、神域は清浄に保たれていた。女帝の神前に参拝する。

裏に回ってみると、いくつかの小さな祠が木立の影の中、静かに佇んでいた。由緒を見れば、周辺の郷社として信仰されていたものがここに合祀されたものらしい。おそらくは、これららの神々を祀った社が先に存在して、後から女帝の伝説ができたのだろう。そちらの小さな祠も拝んで、神社を後にした。

帰りながら気がついた。どうやら藪蚊にとってはありがたい珍客だったらしく、むき出しになっている箇所を思う存分に刺されていた。人を刺す蚊は雌だけというから、女性陣総出で迎えられたことになる。

そういえば石橋駅を下りてから、あの小太りの彼以外は女性しか見ていないのであった。

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上の文章は私がやっている池袋コミュニティカレッジ「ミステリーの書き方」講座Bコースの課題で出した「どこかの神社に行ってその模様を書く」のため、試しに自分でも書いてみたものです。石橋駅に行ってから結構な時間が経つため、細部の記憶違いはご容赦ください。

「ミステリーの書き方」Bコースは、前にも書きましたが、今すぐに何かの小説執筆を開始できない人のために、のちのち効いてきそうな筋トレとして、文章の課題を出すものです。

どこかに行ってそのことを書くというのは、カメラをどういう風に扱うかの練習になります。まず、どこから録画を始めるのか。最初に撮るのは引きの絵か、それとも寄るのか。道中の描写を延々と続ければいくらでも文章は長くなりますが、それでは読者を退屈させるでしょうから、部分部分を切り取らなければいけない。そのカットの練習にもなるでしょう。

また、神社に入ると境内を書くことになります。境内という空間の描き方は視点移動の勉強になるはずです。まずどこを見るのか。そこからどうやって視点を動かしていくのか。視線の動きによって空間が描き出せれば、どのような場所でも書けるようになります。

私の文章は上記のようなことをあまり意識せずに書いたものなので、課題に対するものとして自分で点をつけるとあまり高くありません。そのへんはよくない見本ということで。ひとつ。

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