芸人本書く列伝classic vol.5 水道橋博士『藝人春秋』

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下記の文章は「水道橋博士のメルマ旬報」に掲載されたものだが、初出はエキサイトレビューである。公開した後で博士と話す機会があり、あれをぜひメルマ旬報に、という要請があったので再掲することになった。ただし、そのまま載せるだけでは原稿料の二度取りみたいであまりにも芸がない。そこで、エキサイトレビューへの発表時には内容に一般性がないと考えてあえて書かなかったことを追加してメルマ旬報に送ったのである。読んでいただければわかるが、追加した箇所は芸人・水道橋博士に対する檄文のような内容になっている。メルマ旬報の連載が博士との往復書簡のような形を当初目指していたので、こうした形で直接編集長に意見をぶつけることにしたのだ。私の意見が的を射ていたか否かは読者にご判断を願いたい。

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藝人春秋 (文春文庫)

語り部は自分語りをしない。

語り部が自分について語るときは、何かのためという他の目的が必ず存在する。それを多くの人に伝えられれば、自分の存在は無に近いものであっても構わないと語り部は考えている。

水道橋博士という芸人がいる。一般には「浅草キッドの小さいほう」、「前科があるほう」で通じるはずだ。過去に芸人としての受け狙いで変装した写真で自動車運転免許を何度も取得し、道路交通法違反で罰金刑を受けたことがある。師匠ビートたけしの懲役6ヶ月執行猶予2年という判決とは比べものにならない微罪ではあるが。

本読みの間では水道橋博士は、自らの見聞したことを文章という形で後世に残さなければ気がすまないルポルタージュ芸人として知られている。博士が相棒の玉袋筋太郎とのコンビ、浅草キッド名で世に問うた『お笑い男の星座』は、梶原一騎の未完の自伝『男の星座』に題名を倣った名著である。この中で博士は、芸能界の花形たちを手の届かない星にたとえた。自分は、いつかは星をつかみたいと感じながらも地上にいる存在にすぎないと宣言し、星たちの数々のエピソードを書き記したのである。

すなわち、語り部だ。

『藝人春秋』は、その水道橋博士がひさびさに世に問う、芸人列伝の一冊である。

収録原稿の大半は2000年代の前半に高田文夫責任編集の演芸マガジン『笑芸人』に掲載されたものである。2011年に電子書籍としていったんまとめられ、取捨選択の上今回紙の本として刊行されることになった。最初から始めて最後まで読まれるという、紙の本ならではの特質を活かし、大きく分けて3部、序破急の構成になっている。

「序」に当たるのは『お笑い男の星座』の流れを汲んだ芸人列伝の部である。そのまんま東、甲本ヒロト(よく知られていることだが博士と甲本とは、岡山大学教育学部付属高校の同学年である)、石倉三郎、草野仁、古舘伊知郎、三又又三といった名前が並ぶ。それぞれの章で雑誌掲載当時の原稿の後に「その後のはなし」が付け加えられているのが特徴である。

たけし軍団の後輩である三又の章では、三又が小山ゆう『おーい竜馬!』の舞台化を狙っているという挿話が紹介されているのだが(2005年に実現)、それが「破」へのブリッジとなっている。次の章で紹介されている堀江貴文・元ライブドア社長に水道橋博士が、三又の舞台への出資を打診する場面があるからだ。当時の堀江貴文はニッポン放送買収の意図を表明して財界から総スカンを食う直前で、同じベンチャー創業者のさきがけとして坂本龍馬に対する敬意を表明していた。

「破」は見事なトリコロールになっている。その意図は章題を上げるだけで理解可能だろう。

「堀江貴文〜フジテレビ買います〜」

「湯浅卓〜ロックフェラーセンター売ります〜」

「苫米地英人〜ロックフェラー買います〜」

どーですか、お客さん?(アントニオ猪木の物真似をする春一番の声で)

「浅草橋ヤング洋品店」はかつてテレビ東京で放映されていた伝説のバラエティー番組だが、その中で量販店グループ城南電機の総帥、宮路年雄(故人。通称・宮路社長)をフィーチャーしたコーナーが存在した。銀行を介した信用取引を信用せず、常に多額の現金を所持して移動するため「歩くキャッシュディスペンサー」と浅草キッドに呼ばれるなど、宮路社長は経営者としてもかなり癖の強い人物で、はっきり言えば奇人であった。こうした奇人の発する空気をとらえ、笑いの形で大衆に公開するという芸は浅草キッドが確立したものである。宮路社長が大塚美容外科の石井院長と愛車のロースルロイス同士で綱引きを行うという馬鹿企画は、まだテレビが野蛮だったころを象徴する素晴らしい一場面であった。その後浅草キッドは深夜番組「未来ナース」で株式会社TOKINO(当時)社長の鈴木その子に着目し、ガングロブームに叛旗を翻す美白の象徴としてブレイクさせる。こうした一連の著名人いじりの集大成が、堀江・湯浅・苫米地の3人を扱った章なのである。

水道橋博士は浅草キッドの漫才台本作者でもある。単語の反復や連想のずらしを利用し、イメージの無限連鎖ともいうべき言葉の連なりを作り出すのが浅草キッドの漫才の特徴であった。その芸を文章に応用するとき、それは果てしない「謳いあげ」に転化する。さながら講釈における修羅場読みの如し。湯浅卓の章から一部を紹介しよう。

とにかく口を開けば連発するのが、

「ウォール街的には……」

その枕詞は、すでにウォール=「壁」ならぬ「癖」の域。

いや、むしろ、聞くものを「辟易」とさせていた。

「いいですかぁ、大統領ですら足を運ぶ街、それがウォール街です!!」

どこの壁新聞に書いてあるのか分からないことを吹き、

「ウォール街こそが世界の支配者なんです!」と陰謀史観のバカの壁を万里に築き、

「ウォール街は金持ちの涙で出来ています!」と周囲のツッコミを高い参入障壁で封じた後は、

「ワタシがウォール街を選んだのではない。ウォール街がYUASAを選んだのです!」

最後は聖書からもフレーズをパクる。

もはや、こっちが嘆きの壁で懺悔したくなるほどだ。

2000年代、この言語遊戯の力をもって水道橋博士は文筆業界に殴り込みをかけてきたのである。自らの書評集の題名で「内職」ではなく『本業』と言い切る鼻息の荒さ。しかしそれは思い上がりではなく、自身に備わっているのは語り部体質であり、どこまでも恒星にはなれずにその輝きを反照する惑星の存在なのだという自覚のなせるわざであっただろう。だからこそ書評が「本業」なのである。

このへんで水道橋博士という存在は、私・杉江松恋が住む書評家の領分を侵食してくる。

そして第3部「急」である(念のため書いておくが、この3部構成という読みは評者のもので、本に記されたものではない)。実は『藝人春秋』という本に対しては2つの不満がある。その1つは、文章の大半が2000年代前半に書かれ、現在のものではないということだ。強いて言えばこの「破」の第3部に収められた文章は、水道橋博士が今ある姿への道のりを作ったひとびとの列伝であり、それを再収録することで自己を表現することを狙ったものといえるだろう。

「破」からのブリッジとして、「浅草橋ヤング洋品店」プロデューサーとして1990年代までは狂気のまま暴れまくり、2000年代になるとお茶の間サイズに見事転身を果たしたテリー伊藤を最初に取り上げる。続いては故・ポール牧を取り上げ、喜劇に徹するためには不要だった何かを持っていた芸人の人生に思いを馳せる。続いては甲本ヒロトの再登場だ。ミュージシャンなのに立川談志の跡を継ぎたいと願う元学友に刺激され、自身もまたビートたけしという巨星を生涯追い続けることを誓い直す。そして、最後の3章でようやく水道橋博士は、自らの素の心境を吐露し始めるのである。

「爆笑“いじめ”問題」と題された文章は「WEBダ・ヴィンチ」に2006年に発表された。その後2012年に学校におけるいじめが社会問題として再び重要視されるようになった際、水道橋博士は「朝日新聞」から「いじめられている君へ」のリレー連載への執筆依頼を受ける。しかし新聞の短いスペースでは真意が伝えられないと判断し、それを断って、すでに電子書籍として公開されていたこの文章を一般に無料で解放したのである。

現在も無料公開は継続中なので興味がある方はそちらを当たってほしい。この文章を読んで私が強い印象を受けたのは、かつて自分に「生きていても死んでいるような」空疎な時間を過ごしているだけの時期があったという博士が「ダメな自分を常にやさしく包み込んでくれる社会があるかのように保証している空手形に馴染めない」という一言だった。水道橋博士が留保つきで認める屹立する権威の壁や父性の象徴を、私はどうしても肯定することができない(〈私〉は耐えられるが、それを他人にも耐えろと促すことができない)。しかし、優しさを餌にするだけでは何も解決には至らないのではないか、という指摘には深く頷けるものがある。

それはさておき、「ダメな自分」「空疎な自分」の存在をさらけ出し、次の「北野武と松本人志を巡る30年」の章で対極にある巨星について博士は言及する。この章は一見第1部と同じ列伝記述をしているだけに見えるが、自身の卑小さを対比する強い意図がある点が異なっている。そして次の「稲川淳二」の章へと続くのである。

稲川淳二について語ったこの章は、2002年に書かれたものである。編集者からは強く書籍化を望まれたが、内容の深刻さを考慮して博士はそれに踏み切れなかった。語られているのは、稲川淳二というかつてリアクション芸で鳴らした人物の知られざるプライベートを吐露した実話である。その深刻さを人に伝えることが問題なのではなく、他の文章のように笑いへと昇華できているものではなかったからだ。しかしその後の状況の変化を受けてついに、ありのままをあるがままにさらけだすことが大事なのだ、という心境に至る。そして『藝人春秋』を出すことを決意したのである。

その葛藤について書いた文章の中に、さらりとであるが自身の苦悩について触れた個所がある。50歳の直前で東日本大震災が起き、福島第1原発事故が日本を揺るがす大問題となったこと、震災前に複数メディアで原子力発電所の安全性を巡る広告記事に出演していたため“原発芸人”と揶揄され、一時は50歳をもって芸人を引退しようとまで思い悩んだこと。さらりとは書かれているが、紛れもない本音であろう。

稲川淳二の章を本のトメの位置に持ってきたのは、10年前に書いた文章に自身の今、心境を仮託しようという意図である。繰り返し書くが、「語り部は自分語りをしない」。語るべきものを語ることができれば、自分の存在は無であっても構わないと考えているものである。しかし、ここでは逆に、記事をもって自身を表現することを水道橋博士は選んだ。その苦衷の心境、差し出がましいようであるが書評という形式の文章書きを生業としている私には痛いようにわかる。本書を出すにはコペルニクスの転回のような決意を必要としたはずである。

しかしここで第2の不満を述べさせていただく。

10年前の文章が主となっていることに続き、もう1つ。ここまでさらけだすのであれば、むしろ優先すべきは語り部としての自分ではなかったのではないか。今回に限っては「語り」ではなく、「水道橋博士」を素材としていただきたかった。リリー・フランキーに「私小説」(帯の文言)と褒められて喜んでいる場合ではないんじゃないのか。

その昔、参議院議員だった立川談志は、二日酔いで記者会見に臨んで沖縄開発庁政務次官を辞任するはめになったが、その事実を世間にさらけ出すことによって芸人として開眼したという。倣え、とは言わない。芸人が何を言っても許される時代だったのは昔の話で、今は芸人にも世間並みの常識が求められる。早い話が、お旦がしくじったら面倒みてもらっていた芸人も頭を丸めて反省しろと言われるのが今の世の中なのだ。さらに言えば自我のモロ出しは世間に嫌われる。トルコで全裸でんでん太鼓を披露して逮捕された江頭2:50のように。『藝人春秋』のような物語と表現の鎧があって、初めて受け入れられるのである。それをよくやっている。世間の壁を突破するには十分な芸である。だからこそ次の課題は全裸で強行突破だ。すっぱだかであの夜空の星をつかんでくれよ、博士!

(エキレビ! 2012年12月7日掲載)

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以上が『藝人春秋』に対する私の書評である。

博士がひさしぶりに著書を出すと聞き、これは絶対に書評をやらなければ、と考えた。この媒体でやるという選択肢もあった。あえてエキレビ!というポータルサイトを選んだのは博士のファンではない人が多数を占める公開の場所で以上の文章を最初に発表したかったからである。その理由はおわかりいただけるのではないだろうか。100%の賛辞ではなく本の内容、特に著者の姿勢に対して一部批判を行っているからである。

『お笑い男の星座』『本業』からの読者であれば、『藝人春秋』には間違いなくおもしろい本である。著者の特質が存分に発揮されている。特に話芸における語り口にあたる「文体」は確固としており見事だ。加えてエピソードの配置に芸があり、次第にグラデーションがかかっていって水道橋博士という著者自身が前面に現れてくるという構成の妙がある。今、以前からの読者としたが、もちろんまったく著者の本を読んだことがない人が手にとっても十分に楽しめるはずである。極端な話、水道橋博士が芸人であるということを知らなくてもかまわない。エンターテインメントとしての必要十分条件は満たしている。

……というようなことを書いて終わりにしたくなかった、ということだ。

それは誰でも書ける。

書評家ではなくても、小説家でも、大学教授でも、芸能人でも、有名ブロガーでも、それこそアマゾンのレビュワーでも誰でも書くことはできる。

そして、それだけで十分なのである。「エンターテインメントとしての必要十分条件は満たしている」本だということを伝えるのが、書評の機能なのである。

私は「その先」に踏み出したかったということだ。

水道橋博士は『藝人春秋』を書きながら「語り部」としての本分から逸脱せずに自分を語ろうとし、どこかそれに飽き足りずに逡巡しているように見える。迷いがある。その迷いがもっとも顕著なのは甲本ヒロトを扱った章だ。自身が価値の創造者となり、自身が発信源となって世の中にそれを問うていくことについて、無意識の願望をここで口にしていると私は考えた。それは「語り部」の職分からは大きく外れている。

その二律背反、その自己矛盾を誰がいちばん皮膚感覚としてとらえられるのだろうか。

私だ。

私、それがし、me、オレオレ、俺だよおばーちゃん!

「語り部」と同じように対象とする本に仮託することでしか自分語りが許されない書評家こそが、その逡巡について言及すべき職業なのである。

水道橋博士の気持ちがわかる、などと口はばったいことを言うつもりはない。

私はこの本を読んでそう考えた、というだけの話である。

私は水道橋博士は「語り部」であることの飽き足りなさに倦んだのだと考えている。

その芸を磨くのは素晴らしいことである。しかし芸に飽きてしまったら、それをあっさり捨てて他の何かをやり始めてもまったく構わない。むしろ芸人らしい態度である。

だからこそ「さらけだす」ことの大事さを殊更に強調して書いた。その点が『藝人春秋』という本の物足りない点だと書いた。偽らざる本音である。さらけだし、「どこか別の場所」へ行く水道橋博士が見たいと心から思う。

先日、このメールマガジンで立川談志の追悼本について何冊か取り上げた。時間の都合で書けなかったのだが、もう一冊言及したかった本が実はあった。

立川談志とビートたけし、太田光の鼎談本『立川談志最後の大独演会』(新潮社)である。鼎談といっても題名が示すとおり、主に話しているのは立川談志だ。がんの療養中だった談志を励ますべく、ビートたけしが太田光を誘って席を設けた。しかしその席では神妙な話題など一切出ず、とことんくだらない方向へと会は進んでいったのである。結果としてはこれが談志とたけしとの別れになった。なんともくだらなく、なんとも粋な別れだ。

なにしろ最初が例のオマンコマークの話から始まるので、どんな内容なのかはそれで推測していただきたい。

こんなくだりがある。上野の伊豆栄で3人が会食をしたときの話だという。

太田――あれ、最高でしたよ。バスで帰るという師匠(談志)と僕が立ち話しているところへ、たけしさんがロールスロイスでパアーッと出てきた。そこで師匠が「これ、どこで盗んできた?」って訊くと、たけしさんが「いえ、バッタもんで、安かったんです」。僕はあのやり取りを見ているだけで、すごく幸せでした。で、ロールスロイスが走り去ってく時に、後ろから大声で「このインチキ野郎!」。鰻屋から出てきたサラリーマンたちが目を白黒させてましたよ。「わっ、たけしだ、えっ、談志だ。何だかわかんないけど、二人が騒いでる」って。

たけし――そりゃ、おいらは自分のことをインチキ野郎とは思ってないけどさ、あの状況で口にすべき一番適切な言葉って「このインチキ野郎!」だね。この言葉を選ぶのがセンスなんだよね。

この「センス」を語る本なのである。私はどうしても夢想してしまう。「語り部」水道橋博士であれば、この場面をどう語ったのだろうと。そしてどのようなセンスで、この場面を語る言葉を選んだのだろうかと。「この場所」に、私は水道橋博士にいてもらいたかったのだ。

そしてもう一箇所引用する。談志がよく口にしていた芸人論だ。

談志――たけしはテレビでもチンボコ出せるわな。出せるって、むろんモザイクはかかるにしろね。チンボコ出せるか出せないかで、芸人の一つのセンスがわかるんです。これはバカバカしいようで、重要かもしれないポイントで、出すやつもいれば、出せないやつもいる。たけしは出す。上岡も出す。三枝は出せない。太田はぎりぎりだけど、状況判断ができるから、ここは出さなきゃいけねえとなったら出すんじゃないか。鶴瓶は放っておいても勝手に出すだろう。

私は「水道橋博士も出す」と思っているのだが、どうなのだろうか。

そういうセンスについて考えながら私は『大独演会』を読み終えた。その印象を振り返りながら『藝人春秋』を再読した。そして達したのが「このセンスの書き手であれば、まだまだ見せていないものがあるはずだ」という結論だったのである。見せてないって別にチンボコのことじゃないですよ、奥さん。

もしかすると誤読であるのかもしれない。だとしても著者に謝るつもりは特にないのだが、誤読をしたという事実については少し恥じるだろう。いや、誤読ではないはずだ。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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