芸人本書く列伝classsic vol.10 槙田雄司『一億総ツッコミ時代』

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一億総ツッコミ時代 (星海社新書)

前々回のこの欄で扱った『間抜けの構造』(新潮新書)著者のビートたけしが、現在の漫才が変わった原因を「ツッコミの進化」に求めていることを紹介したと思う。漫才のコンビにおいて会話のリズムを制御する役割を担っているのはツッコミだが、その技術が多様化し、速度が飛躍的に上昇したことによって漫才は変わったのだとビートたけしは指摘していた。芸談の核は、こうした技術論の部分にある。板に上がったことのある演者ならではの指摘だからこそ興味深く感じられる。あの本を読んだ中には、では自分も漫才のツッコミのような会話術を身につけてみたい、と思った人もいただろう。私は文章で身を立てている人間なので、そうした制御の術を自分で書くときに応用してみたい、という考えを持った。

かつてツービートがTVで活躍を始めたころ、世の中にはビートたけしのレプリカが大量に出現した。少し後ならとんねるずだ。石橋貴明や木梨憲武の口調がクラスの男子にうつるにはそんなに時間がかからなかった。自分では体感していないが、ダウンタウンのときもそうだったのだろう。笑いの芸の影響力はすさまじいものがある。それがTVによって広められれば、世間の人の「しゃべり」の様式は一瞬にして塗りかえられるのである。よく言われることだが、一般人の会話にまで「落ち」が必須とされたり、「ほら、つっこんで」と芸人のような応答を求められたりする風潮は、そうした長い間の馴化によって出来上がったものだ。改めて思い返してみると、酒席などにおいて自分がいかに相手を「笑わせよう」「楽しませよう」と考えながら話しているかということに気づかされる。なんでそんなサービスをしなければならないのか、と感じないでもないが、それはそれでいいことではないかとも思うのである。「相手を」楽しませようとしている分にはね。

ただ、「気の張り合い」は本当に必要なのか、という考え方もあろう。

槙田雄司『一億総ツッコミ時代』(星海社新書)は、いつのまにか日本人全員が巻き込まれることになった不思議な風潮について書かれた本である。著者はマキタスポーツの名前で活動している芸人だ。

槙田の指摘するツッコミ志向とは、他人の細かいミスをあげつらったり、会話が「おもしろくない」ことを悪であるかのように言う他罰的な傾向のことだ。「ツッコミは他罰的」の項で槙田はこう書いている。

他罰的とは思い通りに物事が運ばないときに自分以外のものや状況、他人のせいにしようとする傾向のことです。何かが思い通りにならなくて苛立ちを覚えるとき、他者を批判するためのツールとしてツッコミを使うのです。

そして、こうも言っている。

私は、せっかくお笑い的な能力を身につけるなら、他人を笑うためのツッコミの技術ではなく、「自らまわりに笑いをもたらすような存在」になったほうがいいのではないかと思います。もしくは、他人を笑わず、自分で面白いものを見つける能力を育てたほうがいいい。

本書の主題になる部分はほぼこの二つの文章で言い尽くされている。序章にあった表現を引くなら、ひとつは「ツッコミ志向」から「ボケ志向」になること、もうひとつは「メタ」から「ベタ」への転向、ということになる。

「ツッコミ志向」から「ボケ志向」ということは比較理解しやすいだろうと思う。要は他者を「いじる」よりも自分を「磨け」ということだ。他人の前で「ボケ」るためには相応のセンスと度胸が必要になる。その二つを欠いた者が安易に「ツッコミ」に逃げ込んでいるのが現状だと著者は指摘しているのである。

もうひとつの「メタ」から「ベタ」への転向については、少し言葉を補っておきたい。「ベタ」という言葉もバラエティ番組によって普及したものの一つだが、本書の中では「自身を省みる前にまず一歩前に出てみる」態度、というぐらいに使われている。特にヤンキーの行動力に注目し、彼らには「主役感」があると評価している点は、速水健朗『ケータイ的 “再ヤンキー化” 時代の少女たち』(原書房)などを想起させておもしろい。その「ベタ」と対比する意味で使われている「メタ」は槙田によれば「客観的に、鳥瞰的に、ものごとを「引いて」見ること」だ。これは一般的な意味で使われる語法とはかなり異なっている。要するに、かっこつけて(と著者が言っているわけではないが)一歩引いて評論家みたいなことを言う前に自分が手を汚せよ、ということである。

こうして要約すると、好奇心を催させる題名の割には、わりと常識的なことが書かれた本という印象を受ける。著者の言葉を使えば「ベタ」志向ということになるので、それはそれで正解なのであるが。ただ、物足りなさが残ることは否めない。たとえば本書には、それぞれの場面における「ツッコミ志向」的な人間の行動の例や「ボケ志向」のそれが挙げられているのだが、網羅を目指したものではないし、取り上げ方も恣意的で読者を得心させるまでには至らない。また、ツッコミとボケの用語にも期待したほどの洗練がされておらず、ところどころで都合よく用いられているのが残念な点である。以下はオリンピック級のアスリートについて書かれた個所だが、果たしてこれを「ツッコミ」と「ボケ」という言葉で語る意味はあったのだろうか。

身体をストイックに管理することは、ダイエットの文脈で言えば、自分の甘さに対する「ツッコミ」なのかもしれません。ただ、アスリートの自己管理はものすごく意識の強い人たちがやっている。そして、その管理に夢中になっているという点で「ボケ」なのです。

本書を読みながら思い出したのは、バラエティ番組がいじめの温床になっている、という言説が盛んに流布された時期のことである。槙田の主張はバラエティ批判ではなく、人を笑わせるために切磋琢磨している芸人たちの行動を素人が安易に真似るのはおかしいということだ(「逆ギレ」という言葉を松本人志が広めたということは有名だが、松本ほどの鋭敏な感覚があってこそ成立する行動を一般人が真似ることの危険を書いた個所などは一読の価値があっておもしろい)。

正確にいえばバラエティ番組が広めたものは上で書いたように「いじめ」ではなくて「いじり」だろう。「いじり」とは、対人関係において、さながら第三者が存在するかのように振る舞う態度のことだ。自分と相手だけではなく、当事者を観察している者を想定して動く。それはまるでTVカメラの前の芸人のような態度である。第三者に対し、自分が制御権を持っていることを示そうとすればツッコミの役割をとるのが有効な手段であることは、「お笑い」の手法が浸透した現在では比較的よく知られている。そうした芸人の手法を一般人がごく普通に真似ているということに私は不思議さを感じる。

芸人が、TVカメラと、その向こうにいる視聴者を気にするのと同じように、一般人もまた存在しない第三者を意識してしまうのである。そうした形で自我の一部が身体の外に流出していってしまう状況、不在の第三者を含めた自分のありかたをスケッチしようとする言説は、ゼロ年代に東浩紀らによって盛んに語られた。意地悪な言い方をするならば、槙田の「ツッコミ・ボケ」「メタ・ベタ」という二元二項の整理は、そうした言説の焼き直しということになる。そして「メタ」を「客観的に、鳥瞰的に、ものごとを「引いて」見ること」という態度の問題として見ている限りにおいては、先人たちの言説が踏みこんだ領域には決して入ることができない。「自我のありよう」というレベルにまで深化させて語るべき内容なのだ。ここが『一億総ツッコミ時代』という本の最大の弱点だと私は考える。

以上、私が本書を読んで感じた「物足りなさ」をできるだけ噛み砕いて文章化してみた。この本はそうしたゲンロンのためではなく、読者にある指針を示すために書かれた行動の書だ、という再ツッコミが著者からは入るかもしれない。それはそれで構わないし、本書の中には興味深い個所も多数あった。やはり芸人が現場の感覚から語る「芸談」の部分には重みがあり、状況は特殊なのに、自分のこととして一般化してみたくなる魅力を感じる。たとえばこんな記述がそうだ。

ちなみにバラエティ番組には、サッカーのチームと同じような芸人たちのフォーメーション、「座組み」があるのですが、パスを供給する先がたくさんありすぎてもバランスが悪いわけです。それよりもボケでゴールを決める、得点力のある人がいたほうがいい。

でも現状は「ツッコまれたくない」という意識からか、ディフェンシブな戦い方をしている芸人が増えています。何人も何人も「自分が華麗な中盤を演出してやろう」とツッコミのボールまわしばかりしようとしている。でも、そんなものは不要なのです。実際にはロンブーの淳さんと狩野英孝がいれば十分回ります。(中略)あとは、国生さゆりや矢口真里がディフェンスしてくれるから大丈夫なんです。

私はこの「ロンブーの淳さんと狩野英孝がいれば十分」という個所にいちばん痺れたのだが、みなさんはどうだろうか。その組合せが出てくるのが現場にいる芸人の力なのだと思う。そうか、ロンブーの淳と狩野英孝か。そしてディフェンスが国生さゆりと矢口真里か。なるほどなあ。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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