芸人本書く列伝classic vol.12 園子温『非道に生きる』

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

非道に生きる (ideaink 〈アイデアインク〉)

4月30日に映画監督の園子温氏が水道橋博士と組んで芸人デビューを果たすという(注:2013年当時)。これを聞いて最初に思ったことをまず書かせていただく。

立川流かよ!

Bコースかよ!

立川流Bコースについてこのメルマガを読んでいる方に説明する必要はないかもしれないが一応。七代目立川談志(故人)が1983年に落語協会を脱退した際、通常の手順を踏んで弟子になった者(Aコース)以外に立川流の門戸を開放した。有名人(Bコース)と一般人(Cコース)も上納金を払えば立川流を名乗れるようにしたのである。ビートたけし・高田文夫が入門して話題になったのはご存じの通り。Bコース入門者は談志が個人的に作っていた人脈に連なる者が多かったようで、変わった例では現・三遊亭圓楽の楽太郎が先代圓楽の門弟のままで立川流入りしたり、社会党(当時)を離れた後の上田哲がそう自称したりしたことがある。いずれも一時的なパフォーマンスだったと記憶しているが、まあ、世間を騒がせるのが芸人の仕事だとしたら、正しいことをしたことになる。ちなみに私は1995年に上田哲が都知事選に立候補したとき、選挙ポスターを貼る手伝いをしたことがあるぞ。どうでもいい蛇足の情報である。

というわけで園子温が映画監督のままで芸人になっても別段おかしくはないわけである(板も踏むみたいだしね)。先の世間を騒がすというありようを芸人の存在意義の1つだとすれば、すでに園氏にはその資格が備わっていると言うこともできる。こういう書き方をすると真っ当な演芸ファンから叱られると思うが、まあ、そこはBコース認定ということでよろしくお願いします。山本晋也の立川談遊と同じ枠で、はい。

『非道に生きる』は園が自身の半生を振り返り、自分がいかに真っ当なシネフィルに嫌われながら映画を撮り続けてきたか、を綴った本だ。おもしろいのは2012年夏から手がけていた「地獄でなぜ悪い」(2013年9月公開予定)の撮影中に本文を書いたと明かしている点で、全速力で走りながらその状態をレポートしているような感覚がある。アニメーターの板野一郎は十代のころにロケット花火を水平発射し、その間を自転車で同方向へ駆け抜けて弾の軌道を目に焼き付けたというが、同じようなものですね。「メモワールの板野サーカス」とでも言いますか。この現在進行形の感じがなかったら、『非道に生きる』はもう少し落ち着いていて、そしてつまらない、普通の回想記になったはずである。

この本は朝日出版社のidea inkという叢書自体がそんな感じで、走り続ける人があえぎながら声を絞りだしたような内容のものばかりである。そのラインアップにはアーティストグループchin↑pomの本なども含まれる。『非道に生きる』の本文中には園の結成したパフォーマンス集団「東京ガガガ」の活動が「今で言うとchin↑pomみたいに見えるかもしれませんが、僕らには社会性のあるメッセージは皆無、アートでさえなかった」という一文が入っていて、ちょっと納得する。というか朝日出版社は完全に似たものとして両者の本を配置しているよね。

「映画に向かって助走した青春」と題された第1章は、自身の不遇時代について回顧した内容である。「まあ、ヤンチャでいらしたのね」と黒柳徹子の声を脳裏で再現しながら読むことをお勧めする。この本が真価を発揮し始めるのは、第2章「メジャーの舞台に立つまでの闘い方」からだ。それまでは漫然と読んでいたが、私も「お」と思って身を起こした。徹子退場。

園はこう書く。

たとえば、シネフィル(映画通)の人たちが「いやあ、今日のゴダール映画の夕陽ってすごいよかったよね」と言って、目の前の夕陽は無視したりする。でも、大切なのは映画の中の夕陽ではなく、現実に輝いている夕陽のほうです。映画はそもそも自律的ではないし、それを定義する枠組みや自明のルールが定まっているわけでもない。だから僕は「映画的」や「映画史」といった言葉が好きではないのです。

いや、そう言われても今話したいのはゴダールの描き出した夕陽なのであって目の前にあるその夕陽じゃないから、とシネフィルの人たちは困ってしまうと思うのだが、ここで園が疑問視しているのは、例に出した夕陽云々というモチーフではなく、それを受け止める側の態度や心象風景であることが読み進めるうちにだんだんわかってくる。心象風景はいかにして描き出されるのか、それを定義できるのか、ルールとして把握もできていないものをお前は「鑑賞した」「表現した」と言えるのか、と畳み掛けてくるのだ。

こうも書く。

『希望の国』(2012年公開)の場合は、物語の前段になる震災・原発事故の部分は想像で書きたくなかったので、被災地を取材して実際に聞いた言葉をセリフに入れました。僕は基本的に「想像力を羽ばたかせる」というのが嫌いなんです。なぜなら、想像する自分があてにならないから。「想像力」と言えば聞こえはいいけれど、それは断定とか独りよがりといった言葉にも置き換えられるものだと思います。

園は本書の中で自作の現場についても書いていて、それはスタッフや出演者に自分の限界を超えるような努力を強いる、キツいものだと言っている。出演者が「いい現場でした」と笑って言っているような舞台挨拶が嫌で仕方がない、とも。製作にあたる人間の全員に限界を超えるような努力をさせるのと、上に紹介したような「想像力を信用しない」態度は同根のものだろう。1つのキーワードとして呈示されるのが「当事者になりきる」ということであり、園は自作を解説して、観客に「憑依」される登場人物を作り出すことを重視していると明かしている。そのことも間違いなく重なり合ってくる。

現実は巨大であり、人間1人の想像力で圧倒できるような生易しい代物ではない。

それをねじ伏せるためには自分が自分を超えるような努力が必要となる。

描こうとする世界の中に観客をおびき寄せるためには、自身も当事者となって足を踏み入れなければならない。

そういうことがこの本には書かれていると私は理解した。園は映画について語っているのであって他の表現方法にそれを敷衍する必要はないのだが、角度を変えて眺めると、これは私にとっては「文脈」や「レトリック」の問題となる。秀でた表現というものは単体としては存在せず、特定の文脈の中でのみ本当は光を放つことになるものだ。それは一個の表現ではなく、人間の思考を運んでいく流れの一部分を切り取ったものだといっていい。以前に紹介した『間抜けの構造』でビートたけしが繰り返し主張していたことも同じだったのではないか。世界とは人の思考そのものであり、片時も留まってはいないものだ。それを切り取ろうとする行為の無謀さ、恐ろしさを知る者だけが、表現の深奥へと続く扉をノックすることを許される。

うん。そういう本だ。そういう本として私はこの本を読んだのである。

本書の中でもっとも美しい文章は、園が『希望の国』の前に撮った作品『ヒミズ』について語っている段落に存在する。

『ヒミズ』の取材を受けるなかで「絶望に勝ったのではなく、希望に負けた」と僕は何度も言いました。絶望的な状況で「参りました」と希望に白旗を上げる、敗北宣言です。普段は「希望なんてクソくらえ」と思って生きていても、水も食べ物も酸素もなくなって、落ちるところまで落ちたときに、「仕方がないんんだ、希望がほしくなっちゃんたんだよ」と言ってしまうようなもの。

それは、やさしい面をした希望ではなく、とても残酷な希望です。水も食べ物も酸素もない限界の状態で見る。砂漠の蜃気楼のようなもの。キラキラ光るありもしないオアシスを向こう側に見るような希望です。だからこそ、それは「負けた」というネガティブな表現でしか言えないのです。

いい言葉だよなあ、「希望に負ける」。園の視点からすれば、希望とは、それを願う者の頭を鷲掴みにして壁にたたきつけるような暴君なのだ。おお、それを描くのか。描こうというのか。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

スポンサーリンク

Share

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存
スポンサーリンク