芸人本書く列伝classic vol.15 東野コージ(幸治)『この間。』

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この間。

「マジギライ界のパイオニア。女子供に容赦しない。時に女にゃ手も上げる。日曜8時の『ごっつ』で嫌われ、以来、嫌われ芸歴二十五年。走って泳いで自転車乗って、汗流して嫌われる。ファンは全員中年男性。Mr.好感度ピンポイント芸人・東野幸治さんです」

これ、東野幸治が深夜番組『ゴッドタン』の「マジギライ」というコーナーに出演したときの紹介文だそうだ。「マジギライ」は何度か観たことがあるが、5人の中からゲストを嫌いな女性タレントを1人選ぶという、往年の「ほんものは誰だ」のような内容だったと記憶している。

失礼ながら笑ってしまった。すごいな、東野幸治。

『この間。』(ワニブックス)は、芸人がブログやtwitterを始めることの意味を考えるためにあるような本だ。東野幸治は2011年12月2日までに、翌年の同月同日まで最低1年間は続けたい、と宣言してブログを開始した(ブログ用の名は、東野コージ)。動機は、iPad2を入手したのを契機に自身をIT化しようと思い立ったことだという。東野にはそうした「デジタル」とは程遠い「アナログ」の印象があり、Twitterを始めた際には後輩芸人の桂三度から、「俺の知っている兄さんは、絶対にTwitterなんかする人間じゃない!」と偽者扱いされ、しかも「これを正解したら東野さんだと認めよう」と本人認証クイズまで出されてしまった(敗退した)。

そんな人が、突然前触れもなくブログを始めた、と。

当然といえば当然なのだが、同じ芸人についての見聞記や身辺の話が多い。笑い飯の西田は「金属アレルギーのため、社会の窓は開けっ放し」だとか出川哲朗が「奥さんにオムライスを作ってもらったら、ケチャップで「KILL YOU」と書かれていた」とか、そういう話。

その中で異彩を放つのはやはり板尾創路に関するものだ。凄いな、と思ったのは板尾が野球ゲームのファンで、しかもCPU対CPUの試合を観るのが好き、という話。当然ながらCPUはエラーなどしないので、「東野見てみ。こいつら上手いねん。オモロいわ。何試合でも観れるわ」と悦に入るのだという。

たしかにおもしろいのだが、その芸人の私生活を知りたくなければ、いやそもそも芸人自体に関心がなければ、まったく顧みられないような内容だということもできるだろう。なぜブログなのか、という回答はそこにはない。

最初期の記事にこんな記述がある。

私は変わってしまった。昔は「白い悪魔」と言われて調子に乗っていました。一緒にラジオ番組をしていたアイドルが連れてきたワンちゃんを敵意むき出しで睨みつけていた私は、ここにはいません。(中略)許してくれ、数少ないファンの皆! 私は、あちら側に行っちゃったよ。(2011年12月4日)

――悪口は人を傷つけるんだよね。ネガティブ発言からはハッピースマイルは生まれません。おじさんは四十五年かかって、やっとベッキーのところまで、たどり着きました。

「ヤッホー!」ベッキーってこんな景色を普段見ていたんだね。(2011年12月5日)

後の方の記述にはそこはかとない悪意が感じられるのだが、その後も特に毒を吐くわけではなく、慇懃無礼な態度で皮肉を言うわけでもなく、ブログは続いていく。文面からは東野の真意は伝わってこないのである。

淡々と、当たり前に。

ブログを始めた芸人であれば書くようなことが、ごく普通に綴られていく。冒頭の「はじめに」には、37歳のときに「普通のことをやろう!」と思ったということが書かれている。その表明を信用するとするならば、これらの記述は不惑を超えた芸人が「ごく普通に」振る舞うことを目的として、その「普通ぶり」を芸人的なありようで記したもの、と見ることもできる。

日記文学というものがある。自分のための備忘録に徹して公開することをまったく意図せずに書かれた部分と、世間を意識して「まだ見ぬ読者」に向けられた部分との混合度がそのおもしろさの決定要因となる。たとえば現在青空文庫に入りつつある古川緑波のそれには、華族の出身でありディレッタントでかつグルマンでもあった古川郁郎が、喜劇役者ロッパを演じている自意識というものが滲み出ていた。美食がままならなかった戦時下においては、自意識と現状の間の乖離がはなはだしく、そこに悲哀の感覚が生まれる源泉があった。これは緑波が一般人であったら考えられない事態だ。

初めから人に見せることを目的としているブログは、極端な形式の日記である。身辺雑記から宣伝目的の記事まで、位相の違う文章がすべて、書き手の公開用の人格として並置される。しかし、そこにあるのはあくまで陳列棚なのである。

前述したように、かつての日記文学は自分用の覚書と未知の読者に向けた文章とが混在するものだったが、ブログにはもったいぶらせてもらえる余地はない。すべてを露呈することが前提になっているからだ。公開用の「素顔」を露呈し続けるのことがブログの存続の条件だ。しかし、本音を書きすぎればそれは「炎上」するだろう。求められているのは「自然な演技」なのである。しばしば書き手は疲弊し、放置したり、病んだ言葉をばら撒いたりしてしまう。女性芸能人がブログ上に「すっぴん」を公開するのが流行した時期があったが、あれも「見せてもいい素顔」であるわけで、「自然な演技」の延長線上にある。

有名人がブログを書くことに批判的な声が上がるのは、この痛々しさを知っているからだ。ただでさえ他者の視線を集める存在である有名人は、一般人以上に「自然な演技」が得意なはずだ。しかし、ブログというものの特質を忘れてうっかりすれば、一般人よりも疲弊してしまうかもしれない。その危険に敏感であってほしい、というのがファンの声だろう。

おもしろいことに東野がブログに文章を書いている感覚は、以上のような「自然な演技」を巡る自意識からは無縁であるように見える。最初期は確かに芸人がブログを始めれば誰でも書きそうなことを綴っているのだが、次第に東野はその定石から外れていく。

そのきっかけは、ダイノジ大地、博多華丸、Bコース・ナベ(当時)、関暁夫らと中国語の勉強を始めたことだ。大地と関はすぐに授業からドロップアウトするのだが、華丸とナベの2人は残る。

最初は垢抜けない外見だった中国人の女性講師は、やがて希望の大学に合格すると、次第に変貌していく。眼鏡をコンタクトレンズに替え、唇にルージュを引くようになり、ついには嘘をついて授業をサボるようになる(電話の向こうでは「ベッドで裸の男がボサボサの髪の毛をかきながら、あくびをしているに違いない」と東野が妄想するのが可笑しい)。その女性講師に対し、真面目に学びたい華丸とナベが敵意を募らせていくさまを、東野が内心の緊張感を押し殺しながら見守るというのが、ブログ後半の主な話題である。

こういう書きぶりは、あったことをそのまま記録するという日記本来のありように回帰したものだ。たしかに公開されてはいるが、自身のために記録しているという要素が強くなり、読者の存在を抜きにしても成立する文章が着実に増えていく。そこにはすっぴんを公開する云々といった、自意識についての葛藤がすっぽりと抜け落ちているのである。書き手や読者の意識は完全に書かれた内容に集中し、興味の中心からは「東野幸治」が静かに消えていった。ブログなのに。そういう「自然」のありようを東野は選んだのである。

この中国語教室のメンバーが、ある形でブログのフィナーレを飾ることになる。

あったことをそのまま綴る日記、という性格を強く感じるのは、東野の周辺にいる芸人たちの動向が記されているからでもある。その中で不可避に登場するのは、芸人として「売れなくなる」という話題だ。リットン調査団の藤原が、売れないがための貧困から離婚することになったという泣き笑いのエピソードなどは、決して読者の受けをとるために出されたものではないはずである。芸人だから、人気商売だから時にはそういうこともある。だからだ。だから書かなければいけないのだ。

そうしたものの1つに、天津木村のエピソードがある。エロ詩吟で売れた木村だったが、ブームも一段落し、人気には明らかに翳りが見えてきた。せっかく始めたゴルフもやめるというので、東野はお別れ会に出席する。その席上で、木村が言い出すのである。

「兄さん。ここで問題です。最近暇になってきた私、木村はあることを始めようとしてます。そのあることとは“バ○○”です。○○に入る二文字とは?」

空気は凍り、宴は静まり返る。東野はその場で感情を済ませると、逃げるようにタクシーで家路に向かってしまうのである。

景色が変わる車内の中で、無意識にさっきの答えが口から溢れ出ました。

「イト」

不正解でありますように。

そしてもう一人、後輩芸人が苦境を東野に打ち明ける。しかし、そのエピソードは実際に本を読んで確認してもらいたい。

かつて東野自身も不遇の時代を体験し、妻から離婚を申し渡されたことがある。しかも散々苦労をした後、中野区方南町に借金までして念願の一軒屋を建てた直後のことだった。元妻とは40代半ばにして再婚。二人の子供を育てたのが復縁のきっかけになった。二人の子供は東野のことをダディと呼ぶという。

子供にダディと呼ばせる男。

芸能界一、収録後に帰るのが早いと自負していた男(タカアンドトシのタカに敗北してその座を譲る)。

そして元祖マジキライ男。

素材はいくらでもあるはずなのに、読み終えてみればそうした自分語りよりも、周囲のことを書いた部分のほうが強く印象に残っている。根っからの傍観者気質なのだろう。自分をおもしろく装いたいという欲望がここまで欠落した芸人だということを、本書を読んで初めて知った。また、その観察力の確かさだけではなく書きぶりにも舌を巻かされる。自分のことから語り始めるにもかかわらず、舞台の中央から次第に姿を消していく構成は1年かけたブログの記事だということを考えると、したたかすぎるほどに巧みである。まるで営業で地方を廻る歌謡ショーの司会業だ。堂に入った脇役ぶり。

東野ブログは場所を変えて現在も続いている。

舞台の袖から何を見守り、何を綴るか東野幸治。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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