芸人本書く列伝classic vol.22 小佐田定雄『枝雀らくごの舞台裏』

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枝雀らくごの舞台裏 (ちくま新書)

二代目桂枝雀が1999年4月19日に亡くなってから14年経っていた。

「もう」でもあり、「まだ」でもある。私にとって上方落語はそんなに近いものではないので、肌の感覚で歳月を感じることができないからだ。

それでも感慨は、ある。私の世代の関東人は、枝雀の東進を驚きとともに受け止めた世代である。後に麻原彰晃が得意気にやってみせた座った姿勢からの空中浮遊を、最初にTVで見せつけたのは枝雀ではないかと思う(枝雀は正座の姿勢だったが)。今では高座で寝るような落語家は珍しくない。座布団を生地に見立て、こね始める者までいるくらいだ。しかし当時は本当に珍しかった。自分の身体と最大限に活用し、時には谷岡ヤスジ的な漫画表現までやってのける。そんなパフォーマーが存在することが許される世界なのか、上方落語おそるべし。そういう風に思った東の落語ファンは多かったはずである。

小佐田定雄『枝雀らくごの舞台裏』(ちくま新書)は、その枝雀の芸の魅力を伝える入門書だ。小佐田は落語作家であり、座付きとして長年枝雀のブレーンも務めた人だ。読みどころは小佐田が枝雀のネタから48席を精選し、その噺にからむ裏話や、枝雀に関する思い出を綴った第2章だろう。生前の枝雀は持ちネタを60席に厳選していたが、特にそれにはこだわらず、小佐田自身が思い入れあるネタを選んだ形である。

枝雀と小佐田の出会いは、1977年に遡るという。当時の枝雀は新作落語に目覚め、月1本新作のネタおろしをする枝雀の会を始めていた。客席にいた小佐田はまだ普通の勤め人だったが、枝雀の創作落語が客を置いてきぼりにしているような印象を覚え、軽い気持ちで自作の台本を書いて送った。それが思いがけず気に入られ、『幽霊の辻』として高座にかけられることになったのである。そうやってしばらく台本を送り続けていたある日、突然高座の枝雀が「私、これからは創るんやのうて、演じるほうに集中しようと思います。その代わり、台本はあのお人に任せます」と言って客席にいた小佐田を指さした。自分のこととは思わない小佐田は、思わず後ろを振り向いたが、そこには壁があるだけだったという。

乱暴とはいわないが、そういう風に自分の考えたことをくどく説明せずに実行に移してしまうところが枝雀にはあったらしい。大阪で言うところの、イラチである。

自他ともに認めたであろう十八番『植木屋娘』について、枝雀は高座でこんなことを言ったという。

「ほんまはこの部分(注:仕込みにあたる個所)、対話で進みましてボチボチこの噺は始まるんですけどね、わたし、イラチでして、ボチボチ行くのんかないませんねん。もうあるとこまで『こういう状況ですよ』ちゅうことをトントントンと言うといてね、途中から噺に入るのが好きですねん。途中から『ほたらなんですか』ちゅうて入って、それまでの前の部分は、みんな皆さんに想像していただくちゅうんが嬉しいんです。ほんまはサゲだけ言うて『さよなら』ちゅうのが一番ええんですけど、そういうわけにもいかんので、そのへんからボチボチ噺を始めさせてもらいます」

枝雀が自分の芸について語ったことを読むと、客席を一種の増幅装置のように見なし、そこにどのように自分の語りをインプットすると最大・最良のアウトプットが取り出せるか、という実験に取り組んでいたように思えてくる。そのインプットに熱中するあまり、あのオーバー・アクションな高座が出現していたわけだ。枝雀夫人のかつら枝代は連れ下座、すなわち専属の三味線囃子方として常に至近距離で夫の高座を見守ってきた。その夫人が枝雀に「おとーさん、フツーにやりましょうね」と小声でアドバイスしているのを、小佐田は聞いたことがあるという(『はてなの茶碗』の項)。おそらく、最も近くにいる夫人はオーバー・アクションの意味を理解していたのである。

『崇徳院』という噺を聴いて小佐田はある日感動し、その気持ちを枝雀に伝えたところ、当の本人は意外なことを言い始めた。

枝雀さん曰く、落語というものは落語家のおしゃべりと身振りを頼りに、聞き手の皆さんが各自の頭の中に世界を描くことで成立している芸能である。聞き手の想像力にほぼ頼り切っているわけで、それぞれの頭の中に描かれている景色は聞き手の数だけあると言っていい。落語家は無意識で演じているだけなのに、今日のあんさん(注:小佐田)のように、自分の想像力で勝手な景色を見て感激してくれることがよくある。(中略)その場合は落語家の演技力を褒めるより、そんな景色を見ることができた聞き手の想像力を褒めてあげるべきえある。ただ、極めて主観的なものなので、全員が同じ思いをするわけではなく、ひょっとしたら、その場で一人だけが見た錯覚かもしれない。

東京の落語家は客と対面するとき、自分の前に扇子を水平に置く。そこを結界とし、演者と客席を分離するという儀式だ。この心構えが上方落語で共有されているのか私は残念ながら知らないのだが、枝雀のこの物言いは「あちら側」と「こちら側」に絶望的な断絶を見出だしている人のものである。物理的な距離はどうあれ、「あちら側」への精神的な距離は無限大といってもいいほどに遠い。それが枝雀をして「緊張と緩和」などの理論武装へと向かわせた第一の理由なのではないだろうか。

東京落語の理論家といえば言わずと知れた立川談志だが、談志の理論はあくまで客が自分を見る(見たがっている)ということを前提として組み立てられていたように思う。談志は決して主導権を客席側に渡そうとしなかった。それでも後年になって客と自身との断絶に気づくようになり、「個人幻想論」というべき「イリュージョン」論を唱えるようになったのではないか。枝雀と談志の間で観客論についての議論が行われていたらさぞかし有意義だったろうと思うのだが、その形跡はない。小佐田によれば、枝雀は談志と議論どころか深い話題になることを嫌がり、逃げ回っていた節さえあるという(この記述は、談志本人の述懐とも符合する)。

枝雀さんとお別れした時、家元が、

「おれに助けることはできなかったのか?」とたずねてくれたことがある。その時、私は、「無理やったと思います」とお答えした。

「なんで?」と重ねてたずねられたので、

「家元は悪いことがおこったら全部ひとのせいにしはるでしょう。枝雀さんは全部自分が悪いと思わはります。多分、お互いに理解しあうことは無理やったと思います」と、今思えば実に失礼な回答をしたのであるが、家元は首をちょいとすくめて、

「ウー、そうかもしれねえ」と少し笑ってくださった。

本書の中で再三再四語られているのは、この枝雀の極端なシャイさと、人並み外れた稽古好き、努力家だった一面である。枝雀はとあることから英会話学校に通い始め、ついには「わたしはイギリス人と『ここの冠詞は”a”が正しいか”the”が正しいか?』ということで議論して理屈で勝つ自信があります」と断言するほどの境地に達した。その結果いわゆる「英語落語」にも挑戦するに至るのだが、実際海外に行くとホテルの自室に閉じこもって落語の稽古をしているという有様だった。夫人がルームサービスをとって何か食べるように言い残し、お金を置いて出かけていっても、それには手をつけずに空腹のままで我慢してしまったという。ルームサービスを呼ぶのも恥ずかしいのだ。

そうした話や、高座の前にその日かけるのとは別の噺を稽古していたので訝しんで訊ねたところ、「今稽古しているのは趣味の噺だ」と言われたという話まで、稽古マニアのエピソードには事欠かない。いや、優れた落語家は誰もが稽古好きで、人に見られないようにするか、見られても気にしないかの違いはあるにせよ、日々の研鑽を欠かさないものだろうが、枝雀のそれは異様なほどのこだわりようで、執念すら感じる。

稽古に稽古を積み、ついに口が勝手に台詞をしゃべる状態になったことを枝雀は「噺が口から離れる」と形容していた。

「噺にもリズムがあります。そのリズムにのるおもしろさと、意識的にリズムを外すおもしろさがあります。未熟な者がリズムを外そうとして失敗するのは、リズムを『外す』のではなく『外れてしまう』からなんです」(「宿屋仇」の項)

こうした境地などは、落語のみならずすべての技芸、特に音楽ジャンルのそれに従事している人には身に覚えのあるものなのではないだろうか。文章についても同じことが言え、机に向かってキーボードを触る習慣が途絶えると、一気に語彙は減少し、それまで出てきたフレーズが思い出せなくなったりする。書いたものがもっさりして垢抜けなく感じるようなときは、だいたいなんらかの理由でブランクが空いた後のことだ。語り芸と書き芸で種類は違うが、「文章が手に離れる」瞬間を幾度か私も体験したことがあるように思う。いや、それが毎度ではないのが、稽古の足りない証拠なのだが。

真面目なことばかり書き連ねたが、「これまでどこにも書いていないことを書いてください」というのが編集者からの唯一にして最大の厳命だったというだけあって、新鮮な話題ばかりで楽しめる一冊であった(上方落語の世界に疎いゆえの初心さも手伝ってのこととは思うが)。特に枝雀と師匠・桂米朝とその一門との関係をめぐる話がおもしろい。情景が目に浮かぶようで微笑ましい。二人で地方公演に行った際、前に上がった枝雀がなぜか噺を途中で切り上げてしまったため、まだ時間があると油断していた師匠を慌てさせた、という話などは情景が目に浮かぶようである。または小佐田とタクシーの中で落語論議をしていて、街にやたらと人手が多いのを不思議がっていたところ、奥さんから「なに言うてはるんですか! 阪神タイガースが日本一になったんですよっ!」と呆れられた話であるとか。落語以外にまったく関心を持たなかった人なのである。

冒頭に書いたように枝雀落語とはごく薄い縁しかなかった私であるが、本書を読んでもう一度その世界に浸りたいという感情に襲われた。あの元気のいい高座をもう一度観たかった。存命であれば今年で74歳だが、やはり座布団の上でポンと飛んでいたのだろうか。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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