芸人本書く列伝classic vol.29 坂上忍『偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方』

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偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方 (講談社+α新書)

テレビをほとんど観られない生活をしているのでそれ関連の情報に疎いのだが、「笑っていいとも!」の後継がパーソナリティが日替わりの番組で、そのうちの1人に坂上忍がいるということをネットのニュースで知った。

坂上忍、1967年生まれ。3歳のときに劇団に入り、1972年にテレビドラマデビューを果たしているので、46歳にしてすでに40年を超える芸歴を持っている男である。

それだけのキャリアがあると、さぞ芸能界を遊泳する技術に長けているのだろう、世渡り上手なのだろう、と思ってしまうが、実態は正反対であるようだ。『偽悪のすすめ 嫌われることが怖くなくなる生き方』は、「誤解を怖れない男」坂上忍が自身の思うところを書いた馬鹿におもしろすぎるエッセイである。なにしろ「はじめに」から「あ、この人は付き合いにくそうだな」と感じさせる文章が並んでいる。版元から著書執筆を勧められた坂上はこんなことを思う。

でも、僕はそういった流れが嫌いなのである。だって、なにげに一番、書くことが大好きだから。(中略)なにより、ノセられてるみたいでね。まぁ、若いころならまだしも、四〇も半ばを過ぎたおっさんがいいように、ノセられるってさ、どうなのよ? みたいな。

一方で、ときにはノセられることの大事さもわかっているつもりなの。だって「書きたいから書く」は、あくまでも理想形であって、「求められるから書く」は、仕事として成立しているわけですから。

だったらウダウダ言ってねぇで、とっとと書けよって話なわけですよ。

開巻2ページめでこのめんどくささ。期待も高まるというものである。

芸人・芸能人に常識や道徳を求める風潮を私は良いものだとは考えない。そういうのは普通に生きている人間が書くべきもので(勤勉を旨とし協調を基本とする)社会の常識から外れたところにいる芸人に一般人と同じものを求めるな、と思う。芸人がそういう風潮に合わせて生きなければいけない状況は、非常に危険である。また立川談志の言葉を借りるが、「誰かが反対しなけりゃ、みんな間違っちまう」からだ。人を呆れさせるような芸人の言動は決して真似すべきものではないが、異端として存在を許されなければならない。

期待して読み始めると、まあ出るわ出るわ。坂上が博打好きだということは以前に何かで読んで知っていたが、それも小博打どころの騒ぎではなく、かれこれ20年にわたって「大晦日にあるとそのとき手許にある金すべてを携えて東京・平和島競艇場へと向か」うほどの潔さである。手許にある金とは「口座にある金まで、すべて」、これを常軌を逸していると言わずしてなんと言うか。カジノで一晩負けたこともあり、マネージャーに「いまからおまえのカード持って限度額まで下ろしてきてくれ!」と頼んだことも。

そこまでじゃぶじゃぶ金を使っておきながら、細かいところがあるのもおもしろい。競艇場から出て再入場するとき(なぜ出るのかというと銀行に金を下ろしにいくのである)、入場券にハンコを押してもらっていないと、もう一度100円を払わなければいけなくなる。たかが100円だからいいや、ではなく、絶対に厭なので坂上は必ずハンコを押してもらうという。何百万円種銭を溶かしたとしてもそれは使うべき金、再入場の100円は無駄な金、ということになるのだろう。そういう風な筋の通し方が、自身の生き方のさまざまな局面を紹介する形で語られている。

ただの風呂好きという理由もあるのですが、購読している新聞を隅から隅まで読むために、オフの日はお風呂に五回入る。スーパーマーケットは必ず二周。一周目に必要なものを買って、二周目に欲しいものを買います。翌週の仕事のスケジュールが確定すると、一週間かけてどこから掃除するを決めて、家のなかを綺麗にする。

昔、まだ「ハードボイルド」という言葉に憧れのイメージがあり、(笑)つきで語られることが少なかった時代に、「ハードボイルドな生き方とはあらゆるものにこだわりを持つことだ」というような言説があった。それに「高峰秀子が料理で使うお醤油にこだわるのはハードボイルドなの」というつっこみが入って、世の「孤高な」人々は困ったものである。

今なら言える。高峰秀子のお醤油へのこだわりがハードボイルドであったのと同じくらい、いやそれ以上に坂上忍のスーパーマーケットへのこだわりもハードボイルドだ。できれば後をつけて、二周目に買物かごに入れた欲しいものがなんだったのかを調べたいくらいである。「嫌われることを怖れない男の二周目の買物かご」、なんともハードボイルドだ。

第1、2章がそうした自身の生き方の指針について、第3章は仕事について、第4章は恋愛・女性観、第5章は理想とすべき先人たちについて、そして第6章では自身の生き方を総括し、「極端」に生きるとはどういうことかを綴っている。大括りにまとめるならば、小さくまとまらないこと、一度決めたことは必ずやり抜くこと、他人の顔色を窺いながら時間を無駄にしないこと、といった「自身の貫き方」について書かれた本だと言っていい。そういうことをすれば必ず周囲との間に摩擦が起きるはずだが、それを気にしないようにするためにはどうしたらいいか、の指南書としてもこれは読める本である。いつも他人の意見を気にしてしまう人や、周囲からいつもないがしろにされていると感じている人は、この本を読むと気持ちが楽になるはずだ。

そうだ、今わかったがこれは「仁侠映画を見たあとで映画館から肩で風を切って出て行く」ときの気分が味わえる本なのである。

個人的には第3章の、坂上が自分の仕事観について書いた部分がたいへんにおもしろかった。「暗に予定調和を求める雰囲気を嫌」う坂上は、たとえばバラエティ番組で「その場にいるタレントさんたちがその場にただ迎合している」という感じを破壊しようという衝動に襲われるといい、視聴者からの悩み相談を受けるトーク番組で「いやあ、本当にくだらない質問ばっかりでねえ」との本音を漏らし、周囲を凍りつかせてしまったこともあるという。また、「番組の打ち上げのときの、妙に褒め合う気持ち悪い空気も大嫌い」だと言い、「そんな傷の舐め合いのような腐った場所に長居しても、何も得ることはないし、何も生まれません」と断じるのである。もともと坂上は飲み会の参加時間も二時間ときめ、どんなに盛り上がろうがそのタイミングで帰ることにしている。「もう一軒行く?」という誘いに対しては「なぜ、おまえはこの一軒目で済ませられないんだよ」と感じるのだそうだ。このメリハリ、この付き合いづらさが素晴らしい。個人業者はそうでなくちゃ!

坂上忍が初めて主演を果たした映画「ションベン・ライダー」を私は劇場で観ている。しかも複数回。「うる星やつら オンリー・ユー」の併映作だったので、何度も観ることになったのである。主演は坂上の他、永瀬正敏と河井美智子。坂上は「辞書」というあだなの眼鏡少年で、やんちゃな「ジョジョ」(永瀬)、無鉄砲な「ブルース」(河合)に振り回される役どころだった。14歳の少年少女が、藤竜也や桑名将大、木之元亮らが演じるヤクザたちと渡り合う話でロードムービーの要素が強く、画面の中で3人が成長していくのを目の当たりにしているような感じがあっておもしろかった。設定や展開に無茶が多いのは監督の相米慎二も十分承知していたと思われ、その強引さが映画らしくもあった。

この相米についての記述が何箇所かに出てくる。初主演作の監督ということで、坂上も大きな影響を受けたようだ。14歳の坂上たちを、相米は子供扱いせずに大人の役者として扱ったのである。それはカメラの前だけではなく、現場を離れてのこんな指導もあった。

別の日には、なぜだかストリップ劇場やショーパブに連れて行かれました。そこで華麗に舞う踊り子に茫然とする僕らに対し、相米監督は、「じゃ、おまえらも踊ってみろ」。「おいおい、一四歳のガキになにを言うんだこのおっさんは!」と心のなかで叫びましたよ。肝っ玉に毛が生えてしまったいまならふざけて踊れそうだけど、格好をつけたい年ごろだった当時は、恥ずかしくて恥ずかしくて踊れるはずがない。(中略)

相米監督は当時、そんなことをさせる理由をはっきり言いませんでした。でも”役者は恥をかく商売だ”ということを心と体で覚えさせてくれたのだ、といまは思っています。

今だったら完全になんらかの法律に引っかかってアウトである(いや当時だってだめだ)。この破天荒さを見習ったのか坂上は自分の芝居をするとき、ベテランの役者に偽の脚本を渡すようなことをするのだという。ギリギリになって本当の脚本を渡しなおし、慌てさせる。そこからの瞬発力を引き出すためである。

無茶苦茶迷惑、しかし抜群におもしろい。

絶対にそばにいてほしくはない。でも映画や舞台での演技はぜひ観てみたい。そういう見事な「芸人」だ。『偽悪のすすめ』、ちっとも「偽」ではなくてこれは『悪のすすめ』なのではないかという気もするが、ぜひとも読むべき芸人本である。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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