芸人本書く列伝classic vol.36 プチ鹿島『教養としてのプロレス』

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教養としてのプロレス (双葉文庫)

プチ鹿島『教養としてのプロレス』は前書きと後書き、そして16の章から成る。そのうち「なぜプロレスを教養として語る行為が現代人にとっては有効なのか」という本論を構成するのが、第1章「プロレスは誰でも体験できる」、第3章「人生の答え合わせができる」、第4章「プロレスで学ぶメディアリテラシー」、第5章「引き受ける力を持つ」の4つの章だろう。

これは「KAMINOGE」とメルマガ、プチ鹿島のブログの3つのメディアに発表した原稿を加筆・再構成して1冊にまとめた本であるが、上記の4章の内容だけで通常の新書1冊にまとまるだけの情報量がある。というか、私が編集者だったら著者を説得してそうさせる。もったいないからである。もったいないというのには2つの意味があり、第1に「複数冊の本ができるだけの内容があるのに無理に1冊にまとめてしまうのはもったいない」、第2に「あまりにも内容を濃すぎると読者の印象を散漫にしてしまう可能性があるのでもったいない」ということだ。つまり「詰め込みすぎたおもちゃ箱」のさまを呈している本なのである。そこを「もったいない」と思わず、「こんな執筆生活を続けていたら10年持つライター生命が1年で終わってしまうかもしれない」とも考えずにあえて詰め込んでみせるのが「過激なプロレス」の継承者ということになるのだろう。

今不用意に「過激なプロレス」という用語を出したが、これは村松友視が1980年に発表した『私、プロレスの味方です』(現・ちくま文庫)で提唱した概念である。詳述は避けるが、馬場全日本の「プロレス内プロレス」(後の〈王道プロレス〉〈純プロレス〉などの概念に近いが、予定調和というような、やや揶揄的な意味がある)を超えるものを村松は猪木新日本の「過激なプロレス」だとした。それは1980年代の新日本プロレスに思想的な支柱を与えることになったのである。本書の中に村松の名は出てこないが、著者が村松書を参照済みであることは第7章「人の多面性に気づく」で故・笹川良一を「凄玉」と評していることで判る。「善玉(ベビーフェイス)」「悪玉(ヒール)」ともう一つ「凄玉」という存在がプロレスラーにはいて、それが世界を支えているのだ、というのは村松がプロレスを語るときの基調であった。

村松だけではなく本書には、1980年代から現在までをプロレスファンとして過ごした人間が、必ず経由したであろう論者の影が濃厚に落とされている。いくつかの軌跡が見えるが、もっとも太いのはターザン山本(元週刊プロレス編集長・山本隆司)から山口日昇・柳沢忠之へと継承された線である。さらに正確に言うと「週刊プロレス」内の連載エッセイ「ザッツ・レスラー」(完全収録ではないがベースボールマガジン社で単行本化されている)から、「紙のプロレス」時代に山口が編纂したムック『猪木とは何か?』(芸文社)、「紙のプロレスRADICAL」において山本がほぼレギュラー化していた山口・柳沢らの参加する座談会、そして山口と柳沢の対談本『紙でプロレス ソリチュード』という流れだろう。

これらを時系列で成立すると、山本が新日本プロレスの現場監督である長州力と衝突して編集長の座を追われるのが1996年、その最後の号まで「ザッツ・レスラー」の連載は続いた(自分が退陣する号の表紙を同連載のイラストレーターだった松本晴夫に描かせた)。

山口日昇が自分の出版社である世謝出版からA5版型の「紙のプロレス」を刊行するのが1991年、『猪木とは何か?』刊行が1993年である。A5のころの「紙のプロレス」は流行の最後の時期を迎えていたミニコミ誌のような内容であり(第一号には伝説の演芸雑誌『カジノ・フォーリー』編集長であった竹本幹男が寄稿している)、糸井重里やナンシー関など、雑誌黄金時代の象徴が連載を持っている。その後山口は柳沢と共にダブルクロスという編集会社を設立し、共同で雑誌を発行しようとするが、柳沢は格闘技専門チャンネルの「FIGHTING TV サムライ」開局に伴い、スタッフ参加のために離脱する。その後山口が1996年に創刊するのが「紙のプロレス RADICAL」(後の『KAMIPRO』)である。創刊号には「週刊プロレス」を追い出された山本の幽霊姿のコスプレを表紙に使うという暴挙に出ており、この号は返本率が半端ではなかったと聞いている。つまり、山本の死に水をとって新創刊された、という意味合いを持つのが「RADICAL」当初の理念だったのである。

柳沢は山口と切れたわけではなく、その後も頻繁に座談会ゲストという形で登場する。この座談会は「RADICAL」の中では読者投票でたびたび1位になった人気企画であり、死に体だった山本もここで「プロレスを定義する」という芸風によって蘇生するのである。「○○は~である」という定義は言葉だけ聞くと暴論なのだが、山口と柳沢が山本を唆せて補足させていくうちに、意外にもおさまりのいいものになっていく。定義だけが存在するのではなく、その後の大幅に迂回していくレトリックも込みでの「定義」なのだ。山口と柳沢はこの手法に自信を持ったのか、2003年に2人だけの対談本『紙でプロレス ソリチュード』を刊行する。これはプロレスだけに留まらず、世の中のさまざまな事象を特異な視点から「定義」し、対談のレトリックによってそれを正当化していくという内容のものであった。『教養としてのプロレス』に最も近い本を、ということになれば、私はこの1冊を挙げる。

今、「定義」はそれだけで存在するのではなく、「レトリック」によって正当化されると書いた。切り取られた言葉は危うく、不確かなものだ。「○○は~である」という決め付けは当然ながら反論を招く。「そうではないかもしれない」「いや、そうだ」という二項対立の不毛な議論に陥った場合、そこに根拠というものがなければ「定義」は力を持たないのである。それを支えていたものが、山本~山口・柳沢ラインの場合は対談ならではのレトリックであった。道筋を迂回しているうちに加わってくるポテンシャルの力、と言い表せるかもしれない。ひねくりまわすことによって言葉は力を持つことがあるのだ。

『教養としてのプロレス』はその3Yラインの言葉の力をかなり自覚的に受け継いでいるように見える本である。すでに書いたように本書の主幹部分は、第1、3、4、5章に集約されている。第1章はまえがきの内容を受けて、「リアル」と「フェイク」の二項対立を無化するために書かれた章である。つまりそこで起きていることがリアル(プロレス陰語のシュートと言い換えてもいい)であろうとフェイク(ケーフェイとプロレス陰語では表現されるが、つまりケツ決めの状態で行われる演技的な試合のことである)であろうと、そこに「ガチな感情」という緊張を強いられるものを入れることによって、弛緩とは無縁の世界を作りだせる。そういう一文は入っていないが、「ガチな感情が入った物事こそがエンターテインメントである」というように読み変えることもできるだろう。

第3章は「人生の答え合わせができる」と題されている。これは一言で表すならば、視野の広さに関わる章だ。もっと言うならば、時系列に沿って同時性だけを追求するだけの視点には見えないものがある、ということを言っているのである。ではそれはどのようにすれば見えるか。未来において意味が判ることを信じつつ、全体を見通せるようになるまで耐えるという見方によって初めて可能になるのだ。だから「人生の答え合わせができる」なのだ。軽率な判断を戒め、真剣に長い時間をとって見通した者だけが到達できる領域がある、という主張は形を変えて何度も行われる。

この章で言及されるのは1980年代のプロレス界を賑わせた「はぐれ国際軍団」なのだが、論の最初に「理想のピン芸人の条件とは何か」という問題提起が置かれ、国際軍団の中でも親玉のラッシャー木村ではなくバイプレイヤーであったアニマル浜口に焦点が当てられる。つまり浜口のような長い脇役人生を送った者こそが最終的には最高のピン芸人になれるのだ、という趣旨なのだが、その結論までに長い迂回があるのがレトリックの魅力である。その中で鹿島は微妙に論をずらしている。つまり、「アニマル浜口がピン芸人になった」のではなく、「アニマル浜口をピン芸人として観るようになった」観客の立場に問題を置き換えているのだ。つまりは「観客論」であり、こういう文章が最後近くには置かれている。

もちろん浜口自身は、そんな「謎かけ」はしていないはずだ。あくまで解釈は私が勝手にしている。プロレスという長い物語を見てきたファンには、自身の人生に、その物語の美しさをフィードバックできるご褒美があるのだ。

自分の思い出と答え合わせができたとき、このジャンルを好きでいてよかったと感じる。

本書の中にはさまざまなプロレス外の出来事のプロレス要素への「置き換え」が紹介されるが、その中でも最も美しく喩えが決まっているのは本章における「あまちゃんとは越中詩郎の物語である」という一文だろう。ライバルとしてのアキ(能年玲奈)とユイ(橋本愛)の関係を越中詩郎と高田伸彦(延彦じゃないころの)に喩えているのだが、ここで鹿島が提供している「物語」には一読の価値がある。

第4章「プロレスで学ぶメディアリテラシー」では、誰もがメディアに送り手として関与すすることが可能になった時代においては「善も悪も混沌とした多角的な世界を前提とするプロレス」で「得た見方を一般にも応用すればよい」という主張が行われる。これは前出の同時代性だけを追わない視点の言い換えなのだが、重要なのは週刊プロレス時代のターザン山本に対する愛憎の感情が余さず書かれていることだろう。そこから「オヤジジャーナル」との付き合い方に話は流れていく。つまり世の中を牛耳っているのは今も昔も理解がなく語彙の少ない「オヤジ」だが、それを前提としてメディアに接すべきであるということが書かれる。

続く第5章「引き受ける力を持つ」は本書の中で最も秀逸な「置き換え」が出てくる章だ。ここで中心に据えられているのはAKB48という現象なのだが、誰もが平等だということになっている社会において、突出した存在のアイドルはすべてを「引き受ける力」を持たなければならないということについて鹿島は書いている。そこまで「突出」した存在として名前を挙げているのが「前田敦子」「キンタロー。」「壇蜜」の三者なのがおもしろく、それらを対比していくうちにレトリックが混乱していき、本書の中では珍しくはっきりとした定義ができないうちに話題は「小林よしのりの態度」という方向に置き換わっていく。

実はここが『教養としてのプロレス』が示している視点の最大の弱点なのである。世の中に突出した現象があるとき、それは巨大なメジャーとして意味付けを必要としないほどの力を持つ。それに対してプロレス的な視点はどのように切り込んでいくことができるのか。進んだその先で「答え合わせ」ができることを期待し、「物語」が形成されるのを待つという態度で、果たして世の中を席巻する現象に対応しきることはできるのか。

できる、と著者は言うだろうか。それとも、即時の対応は不可能であっても、後でそれができるようになればいいのではないか、と違った形で解答してくるだろうか。それはどちらでも構わない(ことAKBに関して言えば、私は現象を共有できなくても痛痒も感じない)。しかしここで問いたいのは、そういうことではないのだ。

今書いたような問題を次のように置き換えたい。では、芸人は自身の「物語」を持つだけで、世間に対峙することは可能なのか。世間はその「物語」を共有してくれるのだろうか。「世間」に通用する力を記憶の浄化に頼るプロレス的な視点は与えてくれるのだろうか。

これは意地悪な問いと感じられるかもしれない。しかし、著者自身は私が今書いたような問題に自覚的であるように思われる。ラス前と最後の章にそうした著者の揺れが現われているように見えるのだ。第15章は「マイナーに安住するなかれ」とあり、新日本プロレスがメジャー化路線によって再生したことについての章である。そして第16章「時に、勝利に固執する」では、記憶の浄化に頼れない局面に自身を置くことについて書かれている。敗者も試合後に拍手をもって送られる。それがプロレスの美学でもある。しかし鹿島は、その美学に飽き足りないものを見ているような気がする。それを出したいのではないか。本書はあくまで基礎理論であり、その先に戦時の理論書が存在するのではないか。

そういう感想を持ったのは、私自身が分野こそ違うが同じような課題を抱えているからかもしれない。すなわち同時代と切り結ぶこと、問われるのは批評の精神である。ただし、問題意識の押し付けになっていたとしたら、著者にはお詫びを申し上げたい。

本書には無類の知性の閃きを感じた。おそらくこれが切り札ではなく、さらに二の矢、三の矢が飛んでくるものと信じる。本書に与えたい評価は以下の通りである。

プチ鹿島試練の七番勝負第一戦。

○ プチ鹿島×世間 ●

決め技は衝撃度の強い定義・ラリアットからのレトリック固めであった。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

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