芸人本書く派列伝returns vol.10 広瀬和生『僕らの落語 本音を語る! 噺家×噺家の対談集』

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僕らの落語: 本音を語る! 噺家×噺家の対談集 (淡交新書)

これを書いている日の夜(注:2016年12月9日)、新宿五丁目BIRIBIRI寄席改めマイクロシアター電撃座は初めて女性落語家の会を開催する。落語芸術協会に所属する三遊亭遊かりさんの会だ。これまでも前座で女性落語家が上がったことはあったのだが、メインになるというのは初めてなのである。初めて尽くしではもう一つあって、遊かりさんは電撃座の「売り込み第一号」なのである。日本で唯一の演芸専門誌「東京かわら版」に電撃座の特集が1ページ載った。その刊行日に、「ここで落語会をやらせてもらえるって聞いたんですけど」と「東京かわら版」を持ってやってきたのが遊かりさんだった。どんな会になるのか、原稿を書きながらわくわくしている。後でみなさんにも報告しますね。

さて、そんな女性落語家とは縁遠かった電撃座だが、これまで上がった女性の前座さんを見ていて気付いたことがある。当たり前だがジェンダー上は男として行動することを求められるのである。わかりやすいのが着替えで、他の男性前座と一緒に着替える。片付けなどで忙しいときは楽屋の外に出てきてちゃっちゃっと着替えるのである。マナーとしてこちらも見ないようにしているが、着替えが視界に入っても問題ないような格好をして楽屋入りしているのだということはわかる。前座のうちは女性も化粧を許されず、男物の着物で高座に上がることを義務付けられるので、ジェンダー上は男、というのは正しい見立てだろう。

二ツ目になると、女性として振る舞うことを許される。化粧の他、女性用の着物で高座に上がってもよくなるのだ。これをせず、男性用のものを着用し続けている演者もいて、代表例が落語立川流の立川こはるだ。これは演じる上でのやりやすさということもあるのだろう。

淡交社が刊行する淡交新書にこのたび『僕らの落語』が加わった。四本を収めた落語家同士の対談集であり、司会と原稿構成を務めているのは「BURRN!」編集長で落語評論家としても知られる広瀬和生である。

四本の対談のうち最後が「将来を嘱望される女性落語家」で、柳亭こみちと三遊亭粋歌の二人によるものだ。簡単に紹介しておくとこみちは2017年秋の真打昇進が決まっており、女性というくくりを外しても今注目の若手の一人である。一方の粋歌は新作落語がおもしろいということで人気のある二ツ目で、これまた性別に関係なくファンを集めている。そういう二人だからこそ、落語におけるセクシャリティー/ジェンダーについて語る意味がある、と広瀬は判断したのだろう。対談の内容は技術論から現在の女性落語家が置かれている立場についてどう考えるかといった戦略的な問題まで、多岐にわたる。

先に挙げた着物の件についてはこんなやりとりがある。

粋歌 女性が落語やるときに何が大変ですか?」って訊かれたときに、たいてい私が答えるのは「着物の構造が違うんで、どうしてもちょっと仕草に無理が出るときがあります」って話をするんですね。(中略)脇に身八つ口が空いてるし、胸に何かをしまうっていうことがまずできないし……女性が胸に手を入れるといやらしく見えるので。だからそういうのは工夫してますよね、いろいろ。

こみち そうなんだよ。『三枚起請』だったら懐の中の胴巻から起請文を出さなきゃいけないでしょ? それをできないからどうしようかなって思ったり。あと、殿様からいただいた金子とか……まあ懐とか袖から手を入れて無理やり金子を出している感じにするんだけど(後略)

これに類するような苦労は大小さまざまにあるのだろう。

落語という芸能が女性に向いていないという意見は根強く、たとえば立川志らくは自著『全身落語家読本』(新潮新書)でこう書いている。宝塚が「女の目から見た理想の男」を描くものだ、と紹介した後で、

(前略)落語は男の世界。女が主人公の噺でも男の観点から描かれている。なのに女がそのまま落語を演じたりしたら、これは実に気味の悪いものになってしまう。宝塚の男性役を男が演るみたいな、歌舞伎の女形を女が演るみたいな、妙ちくりんなものになってしまう。

だからこそ女性の視点、女性の生理で演じられるように古典落語でも演出を変える必要がある、と論じているのである。急いで補足すると、演者の技量次第によってはこの壁は越えられるとも書いており、あくまで一般的な方法論ということだ。

もっとも、本当に巧ければ男も女も関係はないんだけどね。リズムとメロディがしっかりしていれば女だろうが、十分聴ける。中途半端に己れを出そうとするから現在(注:『全身落語家読本』の刊行は2000年)の女流落語家の噺は聴けないのである。話を作り変える才能がないのなら、徹底的に稽古をすべきだ。(後略)

実際に女性が落語を演じる上で不都合となる部分はたくさんあるはずで、先ほど例に挙げた仕草の問題以外にもいくらでも思いつく。よく例に挙げられるのは廓噺で、女性を買いに行く話というのをそのまま女性落語家が演じると、男の役を演じているが実はこの人は女性で、ということを観客は強く意識せざるをえない。なぜならば落語の女郎買いは下卑た感情や動機をそのままに書くからで、男のいやらしさ、身勝手さを強調するからこそ、逆ねじをくらったりふられたりするだらしなさが笑いを生むのである。

同じ理由で私は、「星野屋」なども現在の形では女性が演じるのには適していないのではないかと考えている。これは、星野屋の旦那が、自分の囲っている女はどこまで実があるだろうか、と考えて偽りの心中を企むという話で、後段は旦那が不実だった女を責める展開になる。ここで妾のほうが開き直るのだが、客の感情は騙された(心中しそこなった)旦那のほうに行くようになっているので、どうしても女の方には感情移入しきれないのである。本来、女性の目から見た場合の星野屋は、金にあかせて体をおもちゃにしただけではなく、心まで試すようなことをするという厭らしい男なのではないか。であれば、それを前面に出し、「心まで売っちゃいないんだ」という噺にしてしまわないと「星野屋」は難しいという気がするのだ。女性で「星野屋」を持ちネタにしている落語家は多く、異論もあると思うのだが、あくまでこれは私の個人的な感覚ということである。

もちろん前線で活躍している女性落語家がこうした事柄に無自覚であるはずはない。特に真打昇進が決まったこみちにとっては、「男性特有のものを女性特有のものに変え」るというマイナスをゼロの状態に引き戻すこと自体はまだ出発点にすぎず、そこから自分という独自の商品を売り込んでいくために何をしなければならないかという上のレベルの闘いが待っている。他の男性落語家と比べれば不利であるのは間違いないが、真打同士の競争でハンデを背負うわけにはいかないのである。厳しい戦いだと思うが、こうも言っている。

こみち(前略)でも男性と対等に戦うために、自分ならではのことは何かって考えると、それこそ子育ても含めて、落語と全く関係ないことをガチャガチャやることが、私ならではの経験としていい方向に作用するといいなぁとも願ってるんですよね。(中略)子どもに、お客さんの前では絶対にできないベタなギャグをやると、子どもがきゃっきゃ笑うとか。「あ、こんな自分いたんだ」っていう発見もあります。

「結婚して、子供を産んだらそれでおしまい」という女性落語家に対する認識は根強い。産休・育休に対する配慮など存在してこなかった世界なのである。しかしこみちは二度の出産期間を経て、周囲からもそれを遅れと感じさせない状態で出世競争の中で活躍し続けてきた。どの業界でも女性だけが出産・育児の不利を言われるのは本来おかしな話なのだが、落語界においてはこみちがその構造的な問題を壊す存在になってくれるのではないかと期待している。

粋歌との対談ではこの他にも新作と古典の意味の違い、落語家が自分ならではの武器を持つことについての意識といった興味深い話題も出てきているのだが、あとは実際に本で確かめていただきたい。

収録されている組み合わせは最初が「桂米團治×柳家花緑」、それぞれ父が三代目桂米朝、祖父が五代目柳家小さんだったという、純粋種同士の対談である。次に「桃月庵白酒×春風亭一之輔」という巻頭における若手横綱同士の対決、白酒については『桃月庵白酒と落語十三夜』(角川書店)を作ったときに痛感したのだが、観客の前で自分がどう対処していけばいいのか、というライブ感覚が卓越している。それは一之輔も同様で、テレビでいえばゴールデンに進出したような芸人が現時点で何を考えているかという貴重な証言になっている。三つ目はは「春風亭百栄×三遊亭兼好」で落語家入門前に10年間アメリカ放浪生活を送っていた百栄と特に落語ファンではなかったのに会社員の安定した生活を捨てて入門した兼好という異色の経歴を持つ二人が、それゆえに備わったとみられる落語界との距離感を見事に言語化している。このように本書の中では、さまざまな角度から現代の落語界に光を当てることで、立体的なモデルが作り上げられているのである。これは広瀬和生の著書に共通した視点で、現代のおもしろい落語界をそのままの形で読者に提供したい、という思いを常に感じる。これは渋谷らくごを主催するサンキュータツオなどにも共通する姿勢で、「おかしな型にはめず」「そのままの姿を」「できるだけ広い層に」という考え方が、これからの落語プロデュースに求められる姿勢ではないかと思うのである。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

「芸人本書く列伝」のバックナンバーはこちら。

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