芸人本書く派列伝returns vol.12 三遊亭円丈『円丈落語全集1』

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円丈落語全集 1

2016年に刊行された「本書く派」芸人の著書を整理していて大事なものが抜けていたことに気づいた。新作派落語家の頭領というべき三遊亭円丈の『円丈落語全集1』である。

この本が抜けてしまった一つの理由は、円丈の自費出版だったからだ。発行元は円丈全集委員会になっており、販売元を映像作品メーカーのクエストが務めている。といっても本にはISBNコードが入っており、大手書店には配本されている。円丈クラスであれば本を出したがる版元がいくらもあったはずなのに、なぜこうした形式を選んだのかは謎である。

まえがきによれば、『円丈落語全集』は1冊に20席を収め、全5巻で100席となる予定だという。円丈の師匠である六代目三遊亭圓生には『圓生落語全集』という著書がある。席数であればそれに並ぶことになる形だ。新作落語の個人全集でここまで収録点数が多いものは、現・桂文枝が前名時代に出した『桂三枝爆笑落語大全集』以来の快挙である。

収録されている噺は新作落語作家・円丈の初期作が中心だ。寄席でも頻繁に掛かって聞いた人も多いだろう「グリコ少年」と「悲しみは埼玉に向けて」は、円丈を語るときに必ず言及される代表作である。西欧文明を初めて見たサモア人の驚きを本の形にして話題になった(というのは嘘で、実際はドイツ人による創作なのだが)ベストセラー『パパラギ』をそのまま落語化し、演じるにあたっては着物を脱ぎ捨ててサモア人になりきったため、落語の限界を極めたものとして話題になった「パパラギ」、同じくファンタジーの領域に入って古典にしか馴染みのないファンには落語かどうかの判別もしがたいであろう「宇宙瞑想曲」など、1980年代の演芸界を騒がせた演目がかなり収録されている。

巻末にまとめられている「可哀想なウンコに香典を」「肥辰一代記」「アニマル・トラッキング」は、題名通りウンコを題材にした三部作であり、円丈がこれを大阪の放送局で演じた際には、抗議の電話がバンバン入ってきたそうだ。当たり前だ。それぞれ、異常殺人者に死体を食われウンコとして排泄されてしまった男を棺に入れて埋葬する噺、肥汲み道に邁進した男の一代記、単なる動物好きかと思って結婚した相手が動物の糞収集家だったために家庭争議が起きる噺である。円丈が二ツ目時代に作った「競走馬イッソー」は楽屋で話題になり、故・古今亭志ん朝から「あれやってくれよ」とリクエストが入ったばかりではなく、終演後に1万円の祝儀を貰ったという逸話が残っている。

世間的な知名度の高い「グリコ少年」「悲しみは埼玉に向けて」の2作は、前者が今でいう「あるある」話、後者が北関東と東京を結ぶ東武伊勢崎線をからかう内容で、投稿サイトに書き込まれるネタの先駆けのような話である(ただしダサイタマ、という揶揄の文句よりも円丈のほうが早い)。1980年代には斬新な噺だったのだが、子供の頃の自分は聴いていて「あまり好きじゃないな」と思った記憶がある。「グリコ少年」は漫談だし、「悲しみは埼玉に向けて」は人をバカにする噺なので耳障りが悪かったからだ。今回も読み返してみるとその印象が蘇ってくる。ただし、実際に聴いてみるとそこまで偏った内容の噺とは感じない。演者である円丈の印象が、「あるある」感や小馬鹿にする噺の厭味さを消し去るからだ。そういう意味では、新作とは古典落語のようにどの演者がやってもいいものではなく、演者と噺が一対一対応になっているものが多いのである。円丈の弟子である三遊亭白鳥も自分の新作を他の落語家に与えたりしているが、白鳥本人が演じるときよりも間違いなくつまらなくなっている。現時点における新作と古典の決定的な違いはそこにある。

収録作の中では悲劇性を前面に出したもののほうにむしろ親しみを覚える。「インド」「死体置き場」「雨夜の品定め」の三題噺から生まれた「インドの落日」は、笑いという要素を抜いても話の起伏だけで満足させられる逸品である。最初期の作品「わからない」は、冤罪を扱った思いテーマに、不気味な台詞のやりとりが合致した円丈屈指の名作だ。円丈には不条理劇風の設定と悲劇的結末が見事な演出効果を上げる作品が多く、この巻には収録されていない「ぺたりこん」などの噺にも聴くたびに胸を打たれた。そういう意味では大雪の日の寸劇「掘る」もいい。

円丈の新作落語演目を知りたければ新作落語論の必読書『ろんだいえん』(彩流社)を読めばいい。落語を演じるための体の作り方、心構えから台本の書き方まで、すべてにわたって論じられた創作者のための必読書だ。その巻末に2009年時点での自作リストが付されているのである。

円丈は古典落語よりも常に新作落語を上位に置く新作至上主義者で、立川談志の欠点は新作落語を作らなかったこと、とはっきり言い切った。しかし古典落語を誹謗しているわけではなく、新作落語の基本には古典落語がある、古典落語の基礎を学ばければ新作落語は作れない、とも常々発言している。だからこそ円丈は、昭和最後の名人と賞された六代目三遊亭圓生に弟子入りしたのである。

1986年に刊行された『御乱心』は、三遊亭円丈の著書では最大のベストセラーであり、これまで落語家が書いたノンフィクションでは最もおもしろい本と言ってもいいだろう。しかし主婦の友社で刊行された単行本は、刊行後30年が経つ現在まで一度も文庫化されたことがない(注:その後、小学館文庫より『師匠、御乱心』賭して再刊された)。内容があまりにも過激であるために、円丈本人、もしくは版元が自粛しているためなのではないか――そんな風に勘繰りたくなるような事態なのだ。

ご存知ではない方のために書いておけば、これは1978年に勃発した落語協会分裂騒動の顛末を描いた本である。当時、落語協会会長を退いて顧問の立場にあった六代目三遊亭圓生は、大量真打制度を推進しようとする現会長の五代目柳家小さんと激しく対立し、自分の意見が顧みられないと見るや、新教会設立に動いた。大量真打制度とは、出世の先がつかえて腐っている二ツ目の救済のために小さんが打ち出したもので、「真打とは芸の優れた者のみに与えられるべき称号。むやみ乱発すべきではない」とする圓生と「真打になってからが勝負。まずは機会を与えるべきだ」と考える小さんとでは、妥協点が見つからなかった。

しかし分裂騒動はそれほど単純なものではなく、圓生に従って新協会に移籍しようとした立川談志・三遊亭円楽・古今亭志ん朝のうち、大量真打反対派は志ん朝だけで、談志・円楽はむしろ推進派だったのである。その後談志は圓生の決めた人事に反発して新協会への参加を拒絶、志ん朝は一旦は設立記者会見に参加したものの寄席への出番を断たれることが判明してやはり協会復帰、圓生の一番弟子だった円楽だけが師匠と行動を共にした。決して大義名分ではなく、さまざまな思惑によって人が動かされた、人間臭い騒動だったのである。

この分裂騒動において最も深い傷を受けたのが他ならない圓生一門だった。師匠が自身の面子を守ることにこだわったため協会には戻れず、寄席に出演できないという宿命を背負った三遊協会として日本各地で開かれる落語会などに活動の場を見出さざるを得なくなったのだ。その弟子たちを食わせようとして圓生は無理を続け、翌1979年9月3日に急死してしまう。翌日早暁にパンダのランランが死んだために訃報の扱いが小さくなった、俗に言う「圓生とパンダが死んだ日」である。その後、弟子の運命は分かれ、一番弟子である円楽一門だけが落語協会に復帰せずに独立団体の道を歩んだ。現在も東京の第三団体として継続している五代目円楽一門会がそれである。

円楽以外の弟子は協会に復帰したが、それで悲劇は終わりではなかった。実は圓生が脱会を決めたとき、2人の弟子が同調せずに協会残留を望んだ。1人は三遊亭さん生、もう1人は三遊亭好生だった。2人はそれぞれの理由から一門で浮いた立場になっていた。さん生は若いうちに売り出したのだが、古典ではなくてラテン演奏などの芸で注目されたために圓生からは色物呼ばわりされていた。好生は圓生に心酔して芸も忠実に師のそれを踏襲していたが、そのために却って煙たがられ、しかも弟弟子に真打昇進の先を越されるなど、意を失わせることが多く起きていた。そのために師匠の独断専行に耐えられず、残留を申し出ていたのである。後に名前を取り上げられ、さん生は川柳川柳、好生は春風亭一柳と改名した。その一柳は、圓生の死から2年が経った1981年に自殺してしまう。師を裏切った自責の念に押しつぶされたのか、真意は本人にしかわからない。

『御乱心』というノンフィクションが凄いのは、こうしたいきさつを俯瞰し、事態の推移をわかりやすく描くと同時に、落語に対する思い、師に対する感情、三遊派の落語家であることへのこだわりといった、自身の感情の爆発が率直に表現されている点にある。エピローグには以下のような呪詛の言葉が連ねられている。

今の俺は、反逆者円生の弟子という烙印を押された一人の惨めな戦争孤児だ。それが落語協会に拾われて協会預かりという、難民キャンプに収容された孤独な孤児だ。我が愛する祖国三遊本流は、戦争で滅亡してしまった。一体俺が何をしたというのだ。俺の何処がいけないというのだ。俺の祖国は、何故なくなってしまったのだ。あんなに愛した三遊祖国は何処へ消えてしまったのだ。俺は祖国三遊が欲しい。俺の祖国を返せッ。

バカヤローーーーッ!

円生のバカヤローーーーッ!

だから、だから俺は円生を許せないのだ。こうして協会預かりという難民キャンプに収容された時、俺は三遊本流だという誇りは自分の足で踏み潰してやった。もう全て終わったのだ。

祖国をなくし、どこの流派の序列にも属さない。俺ははぐれ鳥になってしまった。これからは俺をかばってくれる者も引き立ててくれる人もいない。自分一人で生きていかなくてはいけない。誰も助けてくれないのだ。

自分が背負ってきたものへの訣別の辞である。円丈が新作落語の担い手を以て任じ、意見の対立する者には非寛容な態度を取るのも、ここで生まれた覚悟の故ではないかとさえ思わされるのである。これと同じような痛々しい述懐が、自殺前に春風亭一柳が著した『噺の咄の話のはなし』(晩聲社)にも出てくる。序文である。

あのう……、円生師匠が亡くなりました。師匠とそれから川柳師匠には“すぐ知らせてやった方がいい”と、ウチの師匠が言ってますので電話しました。……

電話は、立川談志門下の談生(現・鈴々舎馬桜)さんからだった。(中略)一時に比べてもなおひどく癖になってしまっていたウィスキーのガブ呑みで朦朧としていた私の頭でも、事態はすぐのみ込めた。

嬉しかった。ただむやみに嬉しかった。(中略)まして落語会の巨匠の突然の他界である。「嬉しかった」などと書けば、恩知らず、義理知らずと批難もされるだろうし、何より先にまず私の人間性も疑われるにちがいないと思う。しかし、これはどうしても書いておかなければならない。なぜなら、これが正真正銘、そのときの私の本音だったのだから。

当事者でもない第三者が師弟の間の感情を忖度するのは慎まなければいけない。しかし、著書という形でさらけ出された中には紛れもない本音が含まれているはずだ。著書刊行から1年を待たずに一柳は自ら命を絶った。それと同じだけの心への負担、それを承知で吐き出さなければいけないという覚悟、己の傷の深さだけ他の誰かを傷つけなければ生きていられない、という衝動が、『御乱心』を書いた円丈の中にも存在していたのではないか。

この本で槍玉に上げられているのは師・圓生だけではない。圓生の暴走を止められなかった者にも怨みの言葉はぶつけられているのだ。次回、周辺書も紹介しながら、もう一度『御乱心』について書いてみたい。

本稿は「水道橋博士のメルマ旬報」連載を許可を得て転載しているものです。「メルマ旬報」は月3回刊。杉江松恋の連載「芸人本書く派列伝」はそのうちの10日発行の「め組」にてお読みいただけます。詳しくは公式サイトをご覧ください。

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