幽の書評vol.4 高橋克彦『弓削是雄全集 鬼』・柴田宵曲『妖異博物誌』『続妖異博物誌』

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弓削是雄全集 鬼

人の心の奥底に鬼の棲み処がある。安倍晴明以前に存在した陰陽師が活躍する王朝幻想小説の決定版

陰陽師というと、真っ先に名前が挙がるのが安倍晴明である。だが、晴明の名が史書に初めて登場したのは、961(天徳5)年のことにすぎない。

日本に初めて陰陽道が伝えられたのが6世紀初、空海によって「宿曜経」などの経典が日本に持ち帰られ、本格的な研究が開始されたのが806(大同)1年のことだから、当然晴明の登場前にも陰陽思想家は存在したし、官位を授かった陰陽師も多数存在した。『今昔物語集』巻24には、滋岳川人が地神の襲来を受けて遁甲隠形の術を用いたという逸話など、複数の陰陽師の活躍が紹介されている。余談ながら、数ある陰陽師の中で1人安倍晴明のみが注目される風潮を「晴明現象」と名づけて研究したのが、田中貴子『安倍晴明の一千年』(講談社選書メチエ)だ。

高橋克彦『弓削是雄全集 鬼』は珍しく、安倍晴明以外に焦点を当てた陰陽師小説である。主人公・弓削是雄は、前出の『今昔物語集』巻24に夢占いの話が紹介されている人物だ。それによると是雄は、864(貞観6)年に官人・伴宿禰世継の夢を占い、命を狙う者があると警告した。賊は家の鬼門の方角に潜んでいるので、弓矢で威嚇すべしとの是雄の言を世継が実践したところ、法師が現れ、世継の妻と通じて暗殺を企んでいたことを告白したという。是雄が17歳の時の逸話である。

本書収録の第一話「髑髏鬼」で語られているのは、それから2年後の貞観8年の事件で、是雄は当時内裏の陰陽寮の中心人物であった滋岳川人とともに働くことになる。2人を招いたのは伴大納言(善男)で、弓削道鏡の墓が暴かれ遺骨が怪しい祈祷に用いられたために都の応天門が焼失した疑いがあるとの懸念を告げられた。それが事実であれば大規模な政変を巻き起こす可能性もあり、是雄らは道鏡の墓がある下野の薬師寺に急行することになる。

状況や登場人物の設定から判るように、史実を背景にした物語である。作中是雄が「なにごとも鬼の仕業とする風潮」が増え「悪神の方が神や仏よりも力が勝る」との通念が罷り通る世情を憂う場面がある。鬼による災いよりも怖いものは、人が鬼の名を利用して為そうとする悪の方である、との戒めがそこにある。伴宿禰世継の夢占いの一件でも、結局人の悪意が根幹にあった。このように人の心の弱さが鬼を招くさまが、『鬼』では繰り返し語られるのである。

本書は、これまで複数の出版社から刊行されていた弓削是雄シリーズを1冊にまとめた全集で、巻末の「妄執鬼」はこれが初の単行本収録である。作者によれば、これでシリーズが完結したわけではないとのこと。本書で弓削是雄の活躍に魅せられた読者にとっては、続篇が待ち遠しいところだ。

妖異博物館 (ちくま文庫)続 妖異博物館 (ちくま文庫)

奇譚アンソロジーの決定版がついに復活。洋の東西を問わず、あらゆる妖異を集め尽くす。

あやしの出来事を収集した書といえば、江戸時代の『耳嚢』(根岸鎮衛著)や『甲子夜話』(松浦静山著)などの名がまず挙げられるだろう。『妖異博物館』はそれらの随筆集や、さらに遡って『今昔物語集』などの中世以前の資料にまで言及した博物誌の名著である。正編が1963年の1月に刊行され、同年8月に続編が世に出された。続編では、正編よりもさらに収集の手が広げられ、中国の古典や『アラビアン・ナイト』といった世界文学にまで目配りが及んでいる。

作者の柴田宵曲は東京生まれの人で、ホトトギス社で編集に従事し、正岡子規の門人・寒川鼠骨を得て『子規全集』編纂に尽力した。『評伝正岡子規』(岩波文庫)などの著作もある。

正岡子規は観察力の必要性を力強く説いた人だったが、そうした信念は宵曲にも継承されている。『妖異博物館』では、「狐の嫁入り」「天狗と杣」といったように、小項目によって各物語が分類の上紹介されているのだが、柴田の編纂姿勢は事物の羅列のみには留まらない。おのおのの逸話が共有するものと、語りに現れた差異点を弁別し、物語の核が何であるかを明らかにしているのである。

たとえば「人身御供」の項で柴田は、「日本の人身御供は「今昔物語」に話が二つあって、大体この型を出られぬ」と分類し、かつ古事記の素戔鳴命(スサノオノミコト)と櫛田姫の逸話と、ギリシャ神話のペルセウスとアンドロメダの逸話に、未婚の女性を生贄にするという共通点があることを指摘している。物語の系譜を縦列で整理すると同時に、異なる文化圏に共有される類型という横列の把握である。文化人類学的な分析が行われているのだ。

また「異形の顔」では、突如家人の顔が鬼に見え出すという通り悪魔の話を紹介し、「終日戸外に在って疲労して帰るということも、考慮に入れる必要がありそうである」というように、生理学の方面に考えを及ばせている。こうした具合にアプローチの手法は都度異なり、複数の尺度によって、物語は検証されることになるのである。一面的な尺度によって怪異の真贋を決めつけるのではなく、さまざまな角度から現象の不思議を眺めようという態度がそこには感じられる。真に科学的な対応の仕方ということもできるだろう。

「いわゆる研究家の諸氏とは、五分間も話していると、もう底の見え透いて来る場合が多い、柴田氏は何時間話していても、種が尽きることがなかった」とは、柴田と深い親交があった森銑三(『明治人物夜話』などの著作で知られる明治生まれの文筆家)が書いた追悼文の一節だ。その通り、柴田の文章には、単なる情報の寄せ集めに終わらない懐の深さがある。事象の深層に分け入って本質を見抜く、観察力のなせるわざなのである。

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