幽の書評vol.6 エドワード・ゴーリー編『憑かれた鏡 エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談』

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エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 ---憑かれた鏡 (河出文庫)

その鏡は見る人の恐怖を増幅させる。奇想の作家エドワード・ゴーリーが選んだ選りすぐりの怪談集

その庭にはいくつもの石板が転がされている。形状から、それが単なる板ではなく石碑であることがわかる。禿頭の巨漢が、木陰に腰を下ろして休んでいる。もう一人の痩せた男が、立ったまま彼に話しかけている。二人の会話に耳をそばだてるような位置に、正面を見せて石碑が立っている。英文で記された碑文には、こう記されている。“「八月の炎暑」W・F・ハーヴェイ作”と。

これは怪奇小説アンソロジー『憑かれた鏡』の一ページの紹介である。この作品集は、2000年に物故した幻想作家、エドウィン・ゴーリイによって1959年に編纂された。12本の短篇には、すべて扉絵としてゴーリイ作のイラストが付されている。冒頭の風景も、その扉絵の一つだ。ただし作中では、この石碑に記された文言は異なっている。そこには痩せた男の氏名と生年月日、そして命日が刻みこまれているのだ。

韻文と線画で構成されたゴーリイの絵本は、日本でも多くの読者から愛されている。本書は彼の編集者としての手腕を示す一冊である。作品の選択は奇を衒ったものではなく、正道を行くものだ。しかし全体を通しての印象は凡庸からはほど遠いのである。作品集の向こう側に、ゴーリイの顔が見えるからだろう。

ゴーリイの線画には、鑑賞者の不安を掻き立てるところがある。作品が本質的に未完だからだ。絵の前後には何らかの連なりがあることが暗示されている。「八月の炎暑」扉絵においては、絵の外側に二人の男を出会わせた運命の偶然というものがある。またスティーヴンスン「死体泥棒」の扉絵では、画面奥の線描によって作り出された闇の中に立ち尽くす骸骨が描かれている。手前にいる男たちには、骸骨がいる空間は見えていないのだ。こうした秘された部分が、鑑賞者の心に波風を立てるのである。

怪談語りにおいて、作者は聴き手に対して同様の感情操作を行う。物語の初めでは秘匿されていた事柄が暴かれることにより、聴衆は動揺するのだ。さらに、その事柄が(すべては)暴かれないことにより、心理的動揺は決定的に記銘される。こうした心理のはたらきを無意識に察知し、感覚的な表現として紙の上に定着させたものがゴーリイ作品なのだろう。ゴーリイの眼を通して読むと、既知の作品であっても恐怖が増幅されるように感じる。まさに彼こそが「憑かれた鏡」なのだ。

収録作品中ではブラックウッド「空家」が正統派の幽霊屋敷譚である。幽霊屋敷に入って帰ってくるというだけの話なのに異様に怖い。無人のはずの屋内で消えた蝋燭が、吹き消されたのではなくて「押し消されていた」というくだりを読んで息が詰まる思いをした。誰がいったい踏みにじったのか。

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