芸人本書く派列伝returns vol.17 筏丸けいこ『人間ポンプ ひょいとでてきたカワリダマ 園部志郎の俺の場合は内臓だから』

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本のAmazonとりあつかいがなかったので何か神社の写真を、と思ったら板橋の縁切榎が出てきてしまった。まあ、神社です。

半径のごく小さなメモワールから始めることをお許しいただきたい。

幼い頃、東京都西部の府中市に住んでいた。お宮参りはその府中市にある大國魂神社なので、今でも気分としては同社の氏子である。大國魂神社のくらやみ祭りは関東三大奇祭の一つと呼ばれていて、日没後に神輿と山車が出る。昔は街灯を消して、文字通り暗闇で神事を行ったそうで、そのためかずいぶん荒っぽい祭だったと聞いている。祭のタカマチには見世物小屋が出ていた。足でおてもやんを踊る牛娘だとか、人魚のミイラだとかいったものを薄暗い小屋掛けの中で見た記憶があるが、たしか私が二十代になった1990年代までは普通に出ていたはずである。

祭の中心地は府中駅前の四箇町といわれる町内で、そこに住んでいたご家族に私は保育でお世話になっていた。いわゆる保育ママだ。旧甲州街道から少し入ったところにあるお宅で、今はもうそこには住んでおられない。三世代のご家族で、いちばん上のおばあさんが三味線のお師匠さんをしていた。そこによく出入りしていた男たちは鳥打ち帽に革ジャンパーといった、到底勤め人には見えない風体で、そばによるとプンと煙草の匂いがした。テレビで観たり子供向けの読本で覚えたりした落語「の・ようなもの」を男たちの前でやってみせて、いい気におだてられたという記憶がある。おばあさんはいつも長火鉢の前に座っていた、という光景が頭の中にあるのだが、それはさすがに後から作られた模造記憶だろう。

それはさておき、府中という街は賑やかな土地柄だった。一年を通して大國魂神社では何かの祭事がある。その奥には親不孝者の集う東京競馬場がある。府中本町から南武線に乗れば川崎や立川、京王閣といった競輪場にもすぐに行ける。そのころはトルコ風呂といったソープランドが東府中の駅前にあり、府中駅前にも風俗街があった。立看板に「オババ・オデブ・オブスは風俗の三悪」と書いてあるのを、高校時代に通りかかると必ず口の中で反芻していたものだった。つまりは悪所の匂いがぷんぷんしていた。プロレスを初めて生で観戦したのも、この府中市内のどこかの野外特設リングだったように思う。

高校時代の友人に珍々亭無人君という人物がいるのを以前にこの連載で書いたかもしれない。祭の見世物小屋に今年は何が来たかとか、府中駅前の男専書房(という名のビニ本屋があった)に今度潜入しようとか、つまりそういうくだらない話をする仲間である。いつだったか、その彼と久しぶりに会った際、こんなことを教えてくれた。

「おじさんは知っているか喃」

おじさん、というのは無人君から私に対する呼びかけである。ちなみに私も彼のことをおじさん、と呼ぶ。だっておじさんだから(『付き馬』)。

「何かね」

「実は人間ポンプは二人いるらしいのだ」

「なんと、あんな人は世の中に一人だけかと思っていた。世の中は広い喃」

「奇妙奇天烈である」

これだけ読んでも何のことかわからないと思う。人間ポンプというのは大道芸の一種で、いろいろなものを嚥下しては吐き出すのを客に見せるのである。単に吐くだけならばその辺の酔っ払いでもできるというものだが、人間ポンプの場合は吐き分けができる。たとえば金魚を生きたまま呑んでまた戻したり、白と黒の碁石を呑んで、その出てくる順番を当てたり、といった芸だ。さらにはガソリンを噴いて人間火炎放射器になったりもする。当時、見世物小屋を覗くのが好きな連中の間で有名だったのが、安田里美だった。鵜飼正樹『見世物稼業――安田里美一代記』(新宿書房)はその生涯について聞書きしたもので、四歳で興行者・安田与七に貰われて幼いころから小屋掛け芸人として暮らしてきた男の、貴重な語りが満載されている。一九二三年生まれで一九九五年十一月二十六日に没したが、その前月まで舞台に上がって火吹きの芸を披露している。私が珍々亭と上記の会話をしたのは、もう安田里美の出る興行も限られてきて、数奇者たちにカルト・ヒーローとして崇拝されていたころではないかと思われる。「もう一人いるのか」というニュアンスはそういうことである。

そのもう一人は、名を園部志郎という。安田里美とは同じ一九二三年の生まれで、奇しくも同じ一九九五年十一月一日に亡くなっている。安田・園部ともにほぼ独学で人間ポンプの芸を身につけ、弟子をとらずに没した。稽古をしてどうなるものではなく、体質に負う部分の大きい芸だったからだろう。二人の死によって、この国からは人間ポンプという芸は消えたのである。安田が亡くなったという記事はスポーツ新聞で読んだ記憶があるが、園部のそれには気づかなかった。知らない間に、人間ポンプの火は消えていた。

それからす二十年以上の歳月が経ち、「もう一人の人間ポンプ」のことなどすっかり忘れていた今年、ひょっこりと園部の評伝が出た。題名を『人間ポンプ ひょいとでてきたカワリダマ 園部志郎の俺の場合は内臓だから』という本だ。著者の筏丸けいこは詩人である。フラミンゴ社という版元に聞き覚えがないので見てみたら、奥付にある住所は埼玉県坂戸市のものだった。一般書店にはあまり置いてないと思うが、ISBNはついているので注文は可能である。

「前口上」によれば茨丸が初めて人間ポンプ・園部志郎と出会ったのは一九八七年、浅草ROXビル前の広場で芸を披露していたところに遭遇したのである。もともと大道芸に強い興味のあった茨丸はたちまち園部に魅了され、接近していった。亡くなるまでの八年間の聞書きと、おそらくは没後に集めたのであろう資料とで本書は構成されている。人間ポンプという芸そのものは戦前からあったというが、園部はテレビ出演がきっかけになって脚光を浴びた芸人だという。マスメディアによる特集記事やテレビ・ラジオ出演時の記録なども所収されており、鵜飼の前掲書と同様資料価値は高い。

二つの本を読み比べてみると、同じ人間ポンプを売りにしながら安田と園部はまったく違った生き方をしてきた芸人であることがわかる。前述のとおり安田は幼時に興行師にもらわれたことから生涯を大道芸の人として生きた。園部の生家は堅気の豆腐屋である。副題にある「ひょいとでてきたカワリダマ」というのは、彼が人間ポンプになった経緯に絡む出来事を指している。舐めているうちに色が変わるカワリダマという飴がある。小学一年生のとき、授業中にそれを舐めていた園部少年は、先生に怒られるのが嫌さで咄嗟に飴を呑み込んだ。それもいっぺんに三つである。急いでお手洗いに行ってえずいてみると、無事にその三つの飴が飛び出してきた。その体験が強い印象を残したために、以降いろいろなものを飲み込んでは吐き出すということを繰り返すようになったのである。小石を飲み、泥鰌を飲み、それが評判になって村の演芸会に出て優勝する。賞品をもらって来たので親も呆れて叱らなくなる。そうした体験に味をしめ、園部は十代半ばにしてサーカスに入り、巡業で各地を回るようになった。

自らが小屋掛けの芸人であることに強い自尊心を持つ安田と園部が決定的に異なるのはこの点である。昭和のテレビには奇人変人登場というジャンルがあり、さまざまな珍芸の持ち主や、変わった体質の素人が頻繁に登場していた。そうした素人番組に、園部もこだわらず出演することがあった。また、人間ポンプのバリエーションである火吹きは、時代劇の悪役やスタンドインなどに珍重された。テレビ朝日系で放映された時代劇「新必殺からくり人」で芦屋雁之助が演じた「火吹きのブラ平」も、園部が代役を演じたのだという。同シリーズの「必殺仕置人」第一話にゲスト出演したクシャおじさんこと桃中軒白雲と、テレビにおける役どころは似ているような気がする。

こうして書くと素人芸の延長に見えるかもしれないが、園部にはもちろん芸人としての強いプロ意識があった。素人の一発芸はしょせん瞬間のもので、舞台の持ち時間を支えることはできない。園部は戦後東京吉本に属し、蛇を体内に出し入れする「人間スネーク」で売り出した。その芸を持って次は進駐軍キャンプ廻りをし、大量の水を飲んで吐く「人間ポンプ」に転じて活路を見出す。キャンプ廻りはディナーショーであり、蛇を使った芸は受けが悪かったからだ。園部はそこからさまざまなものに挑戦して、いくつかの鉄板芸を見出していく。たとえば卵を飲んでヒヨコにして出す、十円玉を飲んで鋳造年ごとに吐き分ける、電球を体内で点灯させるといった芸である。

十円玉を飲んで吐き分ける、というとまるでマジックのような種がありそうな気がする。実際、人間ポンプ芸人の中には本当にものを飲まず、手品によって現象を演出する者もあったのだという。しかし園部のそれはマジックではない。吐き分けのできる原理があるにはあるが、本当にものを飲んでいる、という真実がすべての芸の土台になっていたのだ。

種明かしは野暮であり、実際に本書を読んで確かめてもらいたいが、少しだけ引用をしてみたい。まずは十円玉の吐き分けについて、である。

「十円玉のまわりには、ギサがある、あれを消しておいたり、半分消したり、それを胃からあげたときに、舌でたしかめるわけ」

詳しくは書かないが、碁石の吐き分けにも同様の工夫がある。どうやったらそれを飲めるか、吐くタイミングをコントロールできるか、といった研究を園部は怠らなかった。幼少時の、自分は飲んだものを吐き出すことができるという発見に始まり、自身の体質についての探求心を生涯持ち続けたのである。『見世物稼業――安田里美一代記』との違いはそこで、大道芸人としての矜持を語ることに重点がある安田に対し、園部の語りは自身の胃袋についてのものが大半を占めている。だから「俺の場合は内臓だから」なのだ。『見世物稼業』には園部についての記述もあり、「わしがもう、いちばんお客を集めたんやから、園部なんてものの数じゃない」と息巻く。それに対して園部は「安田さんとは会ってないんだなー。噂には聞いていたけれど」と無関心を強調するのである。これはどちらかが嘘をついているわけではなく、人間ポンプという芸についての構えが違うからだろう。

「人間の体温はどのくらいあるかと申しますと、お客さんのほうがおわかりと思いますが、だいたい健康体のかたで三十六度四分から七分くらいまでです」

と人体についての知識を語るのが人間ポンプ・園部の口上だった。あまりに詳しいので本職の医師から同業かと疑われたくらいなのである。ケーシー高峰よりも早く、園部志郎は偽医者として舞台に立っていた。安田の強烈な自負のありよう、園部の謙虚であるが「自分」という素材には徹底的して執着する態度、どちらも非常に芸人らしいと私は思う。

安田里美の火吹きはガソリンだが、園部はベンジンであった。それが安田にとっては気分的な優位の根拠にもなっていたようだが、ベンジンを採用した理由も非常に園部らしいものである。

「ガソリンは危ないんだ。重いから量を余分に吹いちゃうと燃えきれずに下に落ちて、床がコンクリートでなかったら燃えちゃうからね。(中略)味はベンジンがいちばんおいしいといったらら、おかしいけど。匂いは灯油。ベンジンはガソリンの五倍くらいの速さで発火するからむずかしいけれど、蒸発も早いし、火はきれいに出る。(中略)俺の場合、飲んじまうから火傷が怖い。胃袋、吹っ飛んじゃうもんね。芸が終わってもベンジンがなくなるわけじゃないから、もちろん(吐いて)もどして、薬局で売ってる飲むと匂いが早く消え、きれいになる水薬を飲んで洗ってる」

単に口に含んで噴くのではなく、飲んだものを戻しているわけである。百ミリリットル飲んで噴くのは半分で、残りは体内に残る。それが引火しかけて、肺に火傷を負ったことも一度ならずあるのだ。

それで思い出すのが先月亡くなったプロレスラーのミスター・ポーゴである。日本のプロレス界では、ポーゴ以前に悪役レスラーが使う火といえば種に点火して投げつける程度であった。それを噴射の形にしたのはポーゴの功績である。彼にインタビューした藤本かずまさの記事によれば、ポーゴはリッキー・スティムボートからヒントを得て、火焔噴射を始めたのだという。ベンジン、ライターのオイルと試した結果、もっとも遠くまで火が飛ぶ灯油を採用した(「週プロモバイル」2017年6 月24日「ポーゴさんが語った火炎攻撃」)。

ミスター・ポーゴの火炎攻撃を初めて見たのは、FMWの今は無き川崎球場大会だったと記憶している。府中の子であるわれわれは、南武線に乗ってえっちらおっちら川崎まで行き、ポーゴのビッグファイヤーに興奮させられて、またえっちらおっちら府中まで帰ってきた。大國魂神社、くらやみ祭、見世物小屋、ミスター・ポーゴというように、私の中では人間ポンプの芸は一つの軌道上にある。たぶん南武線ぐらい都心から離れた場所にある軌道だ。人間ポンプと聞いた瞬間に焦点を結ぶ像は、懐かしいあのタカマチの光景であると同時に、川崎球場の薄闇でもある。これまでは、安田里美がまとう極彩色のオーラがそれらの情景の背景色となっていたのだが、それに園部志郎のモノトーンが加わった。両極端の人間ポンプが、記憶の奥底にあるものを立体化させたのである。そうした意味で忘れられない一冊となった。祭りの宵や悪所の暗がりに記憶の引っかかりがある方は、おそらく本書から同じような刺激を受けるのではないかと思う。

『人間ポンプ ひょいとでてきたカワリダマ 園部志郎の俺の場合は内臓だから』(hontoリンク)

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