幽の書評VOL.28 エーネ・リール『樹脂』、フランシス・ハーディング『嘘の木』、パク・ミンギュ『ピンポン』

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樹脂 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

少年少女の奇妙な夢を載せて物語の翼は羽ばたく

深夜の街に一人のこどもがやってくる。住人が静かに寝息を立てている家に忍び込み、そっと物を持ち出していく。あまりに滑らかなので小さな盗みに気づく者は誰もいない。

『樹脂』の作者エーネ・リーは、北欧の取り替え子を連想させる、現実離れした主人公の肖像を冒頭でまず描いてみせる。まるで妖精のようだが、〈私〉は紛れもなく人間である。しかし、その生い立ちは極めて特殊なものだった。〈私〉の一家は、とある島で孤絶した生活を送っていた。父のイェンス・ホーダーには、際限のない蒐集癖があり、そのことが遠因となって島民を病的に遠ざけるようになっていたのだ。イェンスに仕込まれた〈私〉は父に成り代わり、生活必需品調達の遠征を行い続ける。家族以外とはまったく交流したことがないその心の中には、イェンスの歪んだ倫理観や世界認識が忠実に受け継がれていた。

2016年に北欧ミステリー界最大の栄誉である「ガラスの鍵」賞を授与された本作は、こどもの視点を通じて孤独に生きる者のありようを描き出した秀逸なサスペンスである。完全に閉鎖された小宇宙のみが持つ静けさ、穏やかさが妖しく読む者の心を誘惑してくる。

同じくこどもを主人公とする、フランシス・ハーディング『嘘の木』も味わい深い小説だ。舞台となるのは、ダーウィンの進化論が大論争を巻き起こした19世紀末のイギリスである。14歳のフェイス・サンダリーは、家族と共に孤島への移住を余儀なくされていた。牧師の父が、耐え難い醜聞の主となってしまったためだ。しかし、新天地で生活を立て直そうとする一家をさらなる不幸が襲うのである。当時は女性の生き方が厳しく制限され、教育の機会さえ与えられなかった時代だった。何もかもが不自由な状況下で、主人公は自身の可能性を切り拓いていくのである。人間の嘘を養分に育つ木というギミックが時代に逆らって生きる主人公の武器として効果的に用いられ、強い浮力を物語に生じさせている。

もう1冊紹介したいのは、韓国を代表する現代作家の1人、パク・ミンギュの長編『ピンポン』だ。中学で苛烈ないじめに苦しめられている〈釘〉と〈モアイ〉は、ある日原っぱで発見した卓球台を使って球打ちの練習に明け暮れるようになる。卓球によって彼らは、苦しすぎる現実から少しずつ離脱していくのだ。場違いな空き地に置かれた卓球台の背景には隠された物語が存在し、それが小説の後半では唖然とするような逸脱を生むことになる。救いのない現実を生きる者は虚構の中に光を見出そうとする。それが根拠の薄い都市伝説のようなものであっても、救いを求める者には命綱になることもあるのだ。そうした救済の形が壮大な規模で描かれる。ピンポン球のラリーと共に。

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