小説の問題vol.1 梁石日『血と骨』

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杉江松恋、お蔵出しシリーズの第三段は、誌名が変わり「読楽」になったかつての中間小説誌「問題小説」に十年以上連載していた書評を再掲していきたいと思う。確認したら、第一回はなんと1998年だから20年以上も前だった。今読み返すと稚拙で恥ずかしい部分もある文章だが、推敲は最小限に留めてお出しする。ああ、へたくそな書評だなあ。

血と骨〈上〉 (幻冬舎文庫)

98年はのっけから凄い小説が登場した。「血と骨」、映画「月はどっちに出ている」の原作『タクシー狂躁曲』で知られる梁石日の最新作である。

主人公金俊平は済州島出身の在日朝鮮人であり、蒲鉾職人としての腕はいいが、何者も信用しない狷介な性格の持ち主、しかも酒乱の気があり泥酔しては超人的な膂力ですべてを破壊せんと暴れまくる。危険な男である。舞台は日中戦争開戦前夜のきな臭い時代、多くの在日朝鮮人が集住した猥雑な大阪の街、猪飼野という混沌とした世界から幕を開ける。賭場に乗り込み喧嘩を売り、ドスをものともせずに素手で刺客の首をへし折る、金俊平の魔物のような暴力にまず度肝を抜かれる。

だが、梁の筆は単純な暴力によるカタルシスを与えてくれはしない。俊平の暴力は読者の思いもかけない方向に向かっていくのである。居酒屋の女将・李英姫を強姦同然に犯し、むりやり夫としてその家に住みついた俊平は、自分の子供を産むことを強要する。人を愛することを知らない男が暴力によって家を獲得し、暴力により家族を支配しようとする。その火宅の様こそがこの小説のテーマなのである。酒に酔って俊平が暴れるたびに隣家の屋根に避難する英姫たちの姿は、やるせなさを通り越してどこかユーモラスですらあるが、そんな呑気なことを言ってられないほどの暴力が彼らを見舞う。

梁の半自伝的な作品『修羅を生きる』でも書かれている通り、金俊平のモデルは梁の実父梁俊平であり、俊平が息子成漢(石日)のために子飼いの職人に殺されかかる凄絶なエピソードなど、かなりの部分が実話の筈である。(このとんでもない親父はかつてこの世に実在したのだ!)となると梁の狙いは父親との相克を文学的に清算することにあるように思われるが、そういった観点から見た場合、「血と骨」には決定的な弱点がある。それは父=俊平と息子=成漢との対決が文中に殆ど現れてこないということである。俊平のために入院までする重傷を負う成漢だが、彼が父親を越えるための試練の過程はほとんど描かれていない。むしろ梁の筆致は、俊平の狂乱をまるで虎でも観察するように眺め、突き放したような間合いを保っている。

おそらく梁は父と子の相克が単純に清算しうるものではないことを熟知している。特に自分の育った在日朝鮮人の社会においては。題名となった「血と骨」という言葉の中に鍵がある。朝鮮人社会では子供の誕生に際し、母からは血を受け継ぎ、父からは血よりもさらに濃い骨を受け継ぐと考えられている、と梁は書く。そこにあるのは家父長制度と男尊女卑を絶対的に正当化した儒教的道徳観念に基づく世界観である。

つまりこいつは単なる親子喧嘩ではないのだ! 金父子の関係の背後には在日一世と二世の間にしか存在しえない、近代社会が儒教的世界観を侵略することに起因する本質的な相克が隠れている。金俊平のエゴの犠牲となり、ばたばたと、まるで犬ころのように窮死していく成漢の兄弟たちの悲惨な運命がもう一つの鍵だ。それは今の日本にはありえない、貧困という第三世界的な残酷さを象徴している。それは近代社会が繁栄の下に塗りこめてきた犠牲者の死骸なのである。馳星周が「不夜城」で「命よりも金が大事」な黒社会の非情なリアリズムを描いたように、梁石日は弱者の命を食らうことで生き延びてきたアジアの亡霊の影を見出そうとしたのである。

父子の闘争の背後に潜む残酷な状況。抑制の利いた文章だけに、苛烈さが身に沁みる。一読後心臓を狙撃されたような痛みが読者の胸を支配する。非情の傑作だ。

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