小説の問題vol.3 ドナルド・E・ウエストレイク『逃げ出した秘宝』

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逃げ出した秘宝

最近、金に困った主人公の小説というものを、見なくなったと思う。高村薫の『レディ・ジョーカー』などその典型だ。いったいあの主人公たちはどうやって口に糊しているのだろうか。そう疑問を感じるくらい、彼らの金に対する執着は希薄である。むろんこれは作品のテーマには直接関係ない話なので、こだわられても高村薫は迷惑だろうと思うが、あれだけの大犯罪を描きながら、作品に不思議な透明感が漂っていたのは、どうもこの辺に理由があるのではないか、という気がする。

今回ご紹介するのは、同じ犯罪小説ながらも、主人公は大犯罪ならぬ「小」犯罪者がいいところのけちな泥棒である。その名もジョン・ドートマンダー。彼がふとしたことから大災難に巻き込まれるというのが『逃げだした秘宝』の趣向だ。作者は、ニューヨークの犯罪者を書かせたら天下逸品のドナルド・E・ウェストレイク。

このドートマンダー、宝石店に仕事に入り、首尾良く金庫をこじ開けたのはいいが、とんだお宝を一緒に盗み出してしまった。その名も<ビザンチンの炎>。アメリカがトルコに返却する予定の秘宝で、トルコとギリシャがその所有権をめぐって争っているという、いわくつきの代物だ。

一夜明け、事件が発覚するや、さあ大変!外交筋が騒ぎ出し、警察とFBIが威信をかけて事件を解決しようと、ローラー作戦に乗り出した。少しでも名の知れた悪党はすべて逮捕しようという徹底ぶりに、街の泥棒たちは商売上がったり。こんな目に遭うのも、間抜けなブツを盗んだ馬鹿者のせいだ、とこれまた血眼になって犯人捜しに取りかかった。かくして警察、FBIに加え、身内のはずの泥棒たちにも追われる羽目になったドートマンダーは、一か八かの賭けに出る……。

とにかく、ドートマンダーの追っ手たちの、調子外れな活躍に注目だ。警察とFBIは主導権をめぐって捜査そっちのけの小競合いを繰り返して迷走し、逆に一匹狼のはずの泥棒たちが一致団結して捜査に当たる、という逆転した構図がなんともおかしい。それもそのはずで、泥棒たちを指揮するバルチャーという男は、かつてゴリラを殴った罪状で刑務所入りしそうになったという凶悪至極な人物なのだ。追われるドートマンダーの心中、察するにあまりある。

実は彼が窮地に陥るのは、初めてではないのである。本書は彼の登場するシリーズの五作めにあたるが、第一作『ホット・ロック』(角川文庫、おしくも絶版)にしてから、何度も同じ宝石を盗まなければならなくなる災難の話だった。どうもこの男、天賦の盗みの才能を持ちながら、いったん仕事を始めると必ずトラブルに見舞われるという不運の持ち主なのである。次作の『天から降ってきた泥棒』(ハヤカワ・ミステリアス・プレス文庫)では、防犯設備の要塞みたいな高層ビルに盗みに入ったあげく、居合わせた傭兵たちに追い回される羽目になったりしているのだ。どうにもツイてない。

だがいくらツイてなくとも、ドートマンダーはまた盗みに入らざるをえない。それは彼が金に困った男であり、泥棒以外に生計を立てる術がない人間だからだ。「何で俺が」とボヤきつつも、再度の災難に立ち向かっていかなければ食えはしない。ひどく格好悪く、笑いを誘うが、よく考えてみれば生きるとはこうした格好悪さを耐え忍ぶことなのである。だからこそ読者は、この主人公の人間臭さに不思議な共感を覚えてしまう。

本書は84年の作品だけに、多少小道具などは旧くなっているが作品の本質であるユーモアを味わうにはなんの問題もない。シリーズ未読の方もこの機会にどうぞ。

(初出:「問題小説」1998年5月号)

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