小説の問題vol.14 天童新太『永遠の仔』

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永遠の仔〈1〉再会 (幻冬舎文庫)

本年三月十六日に文芸評論家の瀬戸川猛資氏が亡くなられた。ミステリー・映画に関する評論集『夜明けの睡魔』『夢想の研究』(ともに早川書房)、『シネマ古今集』(新書館)に収録されたような知性とユーモアに彩られた氏の文章がこれ以上読めないことをファンとして残念に思う。今回取り上げる天童荒太『永遠の仔』を、氏ならどのように評しただろうか。

『孤独の歌声』(新潮文庫)で第六回日本推理サスペンス大賞優秀作を獲得し、続く『家族狩り』(新潮社)では第九回山本周五郎賞に輝いた天童荒太については改めて紹介するまでもない。ひとことで言えば、天童は家族関係に視座を据えて現代社会の病理を描くことに傾注してきた作家である。

本書にも、そういった天童の特長が如実に現れている。例えば主人公の少女・優希と彼女を慕う二人の少年・笙一郎と梁平が入院生活を送っている児童精神科病棟の描写だ。ここに暮らす児童たちは、他の子を不注意に傷つけることを避けるため、互いに特徴的なあだ名で呼びあっている(闇を怖がる笙一郎は反語的にモウル=もぐらと呼ばれる)。このリアリティが天童ならではのもの。

また、カットバックを利用し、世界観を膨らませる技法も見事である。入院生活から十七年後、成人した優希は看護婦になり、総合病院の老人科で介護が必要な老人患者を担当して働いている。そこに笙一郎、梁平の二人が偶然の導きによって現れ、十七年ぶりの再会を果たすところから物語は始まるが、天童は彼らの子供時代と成人後の現在を交互に書いて、純粋と世知、少年と老人といった対比を際立たせ、世界を造形していく。

そもそも彼らの入院生活の背景には、それぞれの家庭が抱える病理があるのだが、それを紹介することは遠慮しておく。作者が圧巻の文章量でじっくりと展開したテーマをそっけなく要約するのはあまりにも失礼な扱いだからだ。ただ、キリスト教のような絶対的宗教観のない国で原罪の問題を描くとすれば、本書以上の書き方はないと私は考える。

ここで問題にしたいのは、むしろ本書の読まれ方である。すでにさまざまな賛辞が寄せられているが、いまだ本書のミステリーとしての魅力を評価する文章に出会わないのは不思議だ。なぜならば、本書は間違いなく本格ミステリーの大傑作だからである。

語られる謎は二つ。一つは優希たちの入院時代に起きた事件で、冒頭、彼女たちが霧の山に登り、その帰途殺人の罪を犯したということが暗示される。もう一つは、優希たちの成人後の現在に起きた事件で、一見通り魔の仕業のような連続殺人が描かれる。一見関連がないように思える二つの事件だが、物語の展開にともない、どちらの事件も中核には優希たち三人がいることが明らかにされていく。特に私が感心したのは、後者の事件の方である。天童の描写によれば、間違いなく犯人は優希たちの内の誰かなのだ(詳しくは書かないが、一人は過去の症例のゆえに、他の二人は当夜の行動ゆえに犯人でありうる)。このフェアな書きっぷりこそ、本格ミステリーの醍醐味ではないか。

『永遠の仔』が切なく胸を打つのは、優希たちの傷ついた魂の救済を描く小説でありながら、ミステリーとしてそれが展開されることから、最後に謎解き=犯人の暴露という破局があることが予告されているためである。そこには安易なハッピーエンドは成立しない。『永遠の仔』が普通小説ではなく、ミステリーとして書かれた意味はまさしくここにあるのだ。どんなノンフィクションもなしえなかったテーマの重みをこの作品が実現させたことを、ミステリーファンはもっと誇りに感じていいだろう。

(初出:「問題小説」1999年5月号)

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