小説の問題vol.16 中島らも『さかだち日記』

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さかだち日記 (講談社文庫)

今月はちょっと趣向を変えてエッセイを取り上げたいと思う。中島らもの『さかだち日記』である。

中島らもといえば、おそらく一般的には、『明るい悩み相談室』(朝日文庫)の作者として名高いのではないかと思う。天下の朝日新聞に、「うちの父が全裸で野菜炒めを作るので困ります」といったような、かっ飛んだ相談が載っていたのだから、今にして思えば過激な連載だった。また、演劇ファンは、中島を笑殺劇団リリパット・アーミーの座長として認識しているはずである。劇団の奇天烈なおもしろさは実際に観劇しなければわからないが、雰囲気だけは本書からも伝わってくる。九七年二月十三日の日記を読むと、公演に挑む中島らもは頭をつるつるに丸め、なぜか「犬」という文字を剃り残しているのである。何の役か知らないが、こんな人物が出る芝居が普通の話のはずがない!

ミステリーファンにとっては、中島らもとは秘境冒険小説『ガダラの豚』(集英社文庫)の作者としておなじみの名前である。『ガダラ』は遠くアフリカを舞台にした小説だったが、作者はアジア圏に縁が深く、本書の中でも返還当時の香港やタイ、インド、ベトナムとほうぼうに行きまくっている。また、中島らもがプロレス好きであることは有名だが(現在『ダ・ヴィンチ』で元プロレスラーのミスター・ヒトとの対談連載中)、九七年十二月十一日にはそのミスター・ヒトの引退興行のアトラクションでリングに上がり、一曲ロックまで披露している。ちなみにバンドの名前は「PISS」(おしっこ)だ。

念のため言っておくが、この中島という人は、今年で四七歳なのである。決して若くはない。世のお父さん方もこのバイタリティは見習ってもらいたいものだ。

ところで、こういった明るい部分だけを見ると、中島らもという人はなんと能天気なんだろう、と羨む人もいるかもしれない。だが、彼の明るさは決して生来のものではない。それは一度どん底を見た人間だけが放てる輝きであり、光の陰には闇が潜んでいるのである。吉川英治文学新人賞を受賞した『今夜、すべてのバーで』(講談社文庫)は、自身のアルコール依存症治療の入院生活を書いたものだし、『アムニタ・パンセリナ』(集英社文庫)は、古今東西のドラッグについて語るエッセイとして始まりながら、連載中、中島がコディン(咳どめシロップ)の愛飲者であることを告白し、以降は自分の薬物依存症について吐露する懺悔録に変わるという壮絶な作品だった。中島には、こうした依存症に陥るような弱さがある。

実は『さかだち日記』の「さかだち」とは「逆立ち」のことではない。本書はアルコールのために入院を繰り返した中島が、禁酒一年目を機に書き記した「酒断ち日記」なのである。

もちろんきっぱりと酒と手が切れるほどの人格者ではないので、中島はたびたび酒に負ける。ワンカップを衝動買いしようとして知合いに見とがめられたり、そういうことはしょっちゅうである。「酒はいいやつだと思う」中島はそう書いている。「酒自体に罪はない。でもおれはうまくつきあえないから、まあ今日はやめて明日にしよう、その繰り返しでいまのところきている」と。無理せず、淡々と、自分の弱さを弱さのままに受け止める懐の深さが、本書の明るさとして現れているのである。

アルコール依存症に限らず、世の中にはさまざまな悩みを抱えて生きている人も多いと思う。そんな人にはぜひ本書をお薦めしたい。自分の弱さを克服するのは難しいが、なんとかうまく折り合いをつけるのはできない相談ではないと、中島は教えてくれる。

(初出:「問題小説」1999年7月号)

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