小説の問題vol.29 「小説を豊かにする趣向とは?」ベルンハルト・シュリンク『朗読者』・折原一『遭難者』

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朗読者 (新潮文庫)遭難者

ベストセラーというと最初から軽蔑して読まない人がいるが、あれは読書人の態度としてよろしくない。人がいい、いいと騒ぐものには、必ずなにがしかの価値観がこめられているはずである。それはなにか、ということを確かめるためだけでも、読んでみるべきだ。

実際に読んでみると、これは自分の価値観とは違う、と感じることもあるが、その違和を放置しないで、なぜ自分と合わないのかを考えてみた方がいい。そういった好奇心によって作られたものさしが、読書生活を豊かにするからである。

昨年のベストセラーの例でいくと、『永遠の仔』(幻冬舎)がそういう本だった。私の場合、小説のテーマよりも、テーマの開陳のために作者がとった、文章上の技法の方に感心したのである。そして、古今のミステリーのいろいろな作品を思い浮かべ、ああここはもっと改善の余地があるが、これは水準以上の作品だな、と評価し、本を閉じた。後日出た書評のほとんどは、私とまったく違っていて、作品のテーマを賞賛するもののみだったが(もちろん私だってそのテーマには感銘を受けた)、そのことが私に、彼我のものさしの違いを教えてくれたのである。このものさしが、後の読書に役立つことは言うまでもない。そうやって個人的な読書を豊かにしていくのである。

そこで、『朗読者』だ。ドイツ文学としては、ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』以来ひさびさに全世界の言語に翻訳された小説であり、特にアメリカでは既に二百万部の売上げを記録したという。日本でも朝の情報番組で取り上げられて以降、爆発的に部数を伸ばしていることはご存じのとおり。個人的な読書のためには、この小説がかっこうのテキストになるだろう。

すでに池内紀、池澤夏樹、養老孟司、川本三郎といった名代の読み巧者たちが書評を発表しており、評価は定まったも同然であるが、翻訳小説、しかもドイツ文学というとなかなか手に取りにくいという事情もあるだろうから、あえてここで紹介することにする(もし私の読み方が気に入らない人がいたら、先に上げた方々の評を参考にしてください)。

これは一九五八年に始まる小説である。十五歳の少年ミヒャエル・ベルクは、街角で三十五歳の女性ハンナ・シュミットと出会う。彼女の職業は市電の車掌だ。ミヒャエルは黄疸の症状のために難渋しているところを、彼女によって救われたのである。後日、お礼を言うためにハンナのアパートを訪れたミヒャエルだが、彼女が着替えをするところを垣間見たために、混乱して部屋を飛びだしてしまう。後日、改めて部屋を訪れたとき、ハンナはミヒャエルの欲望を見抜き、彼に性の手ほどきを行うのだった。

冒頭は性愛文学として見事な出来映えだ。ミヒャエルがついに思いを遂げるまでの文章を追っているうち、読者は性愛描写の興奮をえるとともに、彼の人物についてもよく知っていくことになるのである。特に彼が「その夜、ぼくは恋に落ちた」と吐露するのが、決して最初の情事の前ではなく、後であることには注目しておきたい。彼を動かしているのは自分本位の欲望であり、ハンナとの恋愛も精神的な愛情が先んじたわけではないのだ。このことが後に二人がたどる運命に残酷な効果を添えるのである。

さて、病気で学校も休んでいたミヒャエルだったが、ハンナに諭され努力した結果、なんとか進級することができた。もちろんその間も肉体のつながりは続いているのだが、途中からその関係に微妙な変化が生じる。ハンナがミヒャエルに、授業で習う文学作品を朗読することを求めたからである。午後の陽射しが射しこむ部屋でミヒャエルが古典演劇やドイツ文学の数々を朗読し、ハンナがそれに聴きいる。そして日が落ちてきたらベッドに入り、愛し合うのだ(なんとエロチックな読書体験!)。

このハンナと過ごした日々の描写や、二人で出かけた自転車旅行の記録などの中に、実はハンナの語られざる秘密を示唆する鍵が隠されており、それが物語の後半に重要な意味をもって明かされることになる。すなわち、この小説はミステリーとしての体裁も備えた小説なのである。それも第一級のミステリーだ。イギリスの某有名作家に同じ趣向を用いた小説があるが、それより明らかに謎めいていて、しかもその謎が効果的に使われている。なぜならば、この謎が謎として伏せられたままであることが、ハンナの運命を決定づけてしまうからである。

ハンナが巻き込まれるのは旧ナチス党員への弾劾裁判だ。彼女は第二次大戦中、一般企業から親衛隊へと転職していたのである。このことから物語は戦争犯罪の方へ話題を転じ、普通の人間がしばしば示すことがある非人間的な態度や、他人の運命に対する無感動・無感心といったことの考察が語られていく。

ここでついに現代ドイツの深層に刻まれた傷痕が悲劇の主体として姿を現すわけであるが、作者シュリンクがこのテーマをむき出しで扱わず、あくまでハンナの裁判を通じて見せようとしているのが小説の趣向として大事である。法廷小説はミステリーの重要な構成要素であるから、ミステリーを利用してテーマを開陳していると言い換えてもいい。

整理すると、ハンナの個人的な秘密とナチス活動という社会問題がぶつかりあうさまを描くのが、この小説の主なテーマである。そしてそのテーマを、法廷ミステリーという図式と、ハンナの秘密に気づいたミヒャエルが彼女の人生にどう関わろうとするのか、という関心によって貫いて描くのが、小説の重要な趣向である。この趣向を除いたら、『朗読者』は小説として成り立たなくなってしまうのではないか。

私はそこが素晴らしいと感じた。はやりの言い方をするならば、「世界標準」の文学である。テーマは一国独自のものだが、そこを語るやり方は万人に訴える力を持っている。だからこそ、一国の関心にすぎないテーマを世界の読者に訴えることができたのだ(語り口=趣向が素晴らしいからであって、テーマではない。小説読みはそこを勘違いしてはいけない)。これこそが小説の芸である。また、『朗読者』がその構造を流用したことによって、本家であるミステリー自身の株も上がり、新たな可能性を見出すことができた。小説の発展のしかたとして、これは理想形と言うべきである。

さて、『朗読者』がミステリー外の純文学の分野で行なったような実験を、ミステリーのジャンル内で続けている作家が、折原一である。彼の「倒錯シリーズ」は、ミステリーの実験的手法として独創的なものであり(特に『倒錯のロンド』)、他に与える影響度の大きさはもっと重視されるべきである。日本ミステリーの一部作品は世界に通用する成熟レベルに達しているが、その中でも折原作品はもっとも「世界標準」と呼ぶにふさわしい。『遭難者』は、その折原の、一九九七年の作品である。

本を手にして読者は仰天するに違いない。文庫なのに函入りである。しかも、中身は二冊に分かれており、それぞれの表紙には表題の『遭難者』よりも大きく、「不帰に消える--笹村雪彦追悼集」「不帰ノ嶮、再び--笹村雪彦追悼集・別冊」という文字が躍っているのである。いったいこれは何の本なのか?そして「不帰に消える」の表紙をめくってみると、そこには北アルプスの白馬岳周辺の地図が……。函入りで分冊というミステリーには、他に斎藤純『夜の門番たち』(双葉社)という作品もあるが(ただし単行本)、ここまで凝ったものは珍しい。

これは北アルプスの不帰ノ嶮付近で遭難した笹村雪彦という青年への追悼文集の形をとった、ミステリーなのである。登山記録や山岳資料などがぎっしりと詰まった本文は、ミステリーというより山岳小説を思わせる。これがこの小説の重要な趣向である。追悼文集の形にすることで青年の死に対する関心をかき立て、その死に不審な点はなかったか、それは本当に事故死であったのか、という好奇心の方へ読者を向かわせる。それが作者の企みなのだ。折原が続けてきた実験的作品の中でも、白眉といえるこの小説を読まずして、ミステリーをはかるものさしは存在しえない。

(初出:「問題小説」2000年8月号)

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