小説の問題vol.31 「地震でてんやわんやの密室」獅子文六『てんやわんや』・古処誠二『少年たちの密室(現・フラグメント)』

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てんやわんや (ちくま文庫)

フラグメント (新潮文庫)

とりあえず今月読まなければいけない本は、獅子文六『てんやわんや』である。

この本は、「新潮文庫二〇世紀の一〇〇冊」という企画の一環で再刊されたものだ(注:2000年)。一九〇一年に刊行された『みだれ髪』にはじまって、以降一年に一作という規則により百冊の文庫全集を作ろうという企画で、ラインナップもそれなりの布陣である。もちろん、細かいことを言い出せば、第一回芥川賞受賞作である石川達三『蒼氓』(三五)が入っていないのはなぜか、とか(川端康成『雪国』にぶつかったのである)、高橋和巳『邪宗門』(六六)をどうしていれない、とか(遠藤周作『沈黙』があるためだ)、いろいろ言いたいことはあるのだが、今回はよしておこう。--それにしても九九年を代表する一冊が『ハンニバル』というのはさすがにどうかと思うが。

それはさておき、いつかはこの欄で紹介したいと考えていたのが『てんやわんや』なのである。刊行されたのは四九年のことだが、獅子はこの小説を四八年一一月二二日から毎日新聞に連載し始めている。ちょうど、巣鴨プリズンでA級戦犯の処刑が実行される前日のことだった。

主人公の犬丸順吉は二十九歳にもなって、自分というものを持たない男である。高慢に傲らないかわりに、飛び抜けた美点というものを持ち合わせない。では、どうして世を処してきたのかというと、出版社社長でもある鬼塚代議士の側近として生きてきたのである。側近といえば聞こえはいいが、要は体のいい従僕。それを、なんら不満に感じないのが自分というものを持たない男のゆえんだ。

さて、戦中は鬼塚代議士の別荘番として過ごしてきた犬丸だったが、戦後の新しい風を感じるにあたり、自らも鬼塚の影響を脱して独立しようと一念発起し(本当は、別荘にピストル強盗が入り、怯え上がってしまったため)、鬼塚のいる東京に向かう。だが逆に巧妙に瞞着され、代議士の地元である愛媛県の相生町へと都落ちさせられてしまうのだ。

犬丸という男は、要は臆病なのだ。食や住居を失うことが怖いし、ピストル強盗も怖い。さらに、鬼塚代議士によって自分が戦犯に該当する可能性がある(そんなわけないのだが)と信じこまされ、軍事裁判の幻影からも逃げ出すことになる。おまけに、元職場同僚の花輪兵子から、戦後の女性らしい積極的(すぎる)プロポーズを受ければ、それからも遁走しなければならないのである。

獅子は敗戦後の諸相を犬丸の背に負わせている。自信なさげで臆病な態度は、敗戦によって価値が崩壊してしまった大衆の実感そのままなのだろう。また動転しっぱなしで、常に「てんやわんや」状態の犬丸だが、鬼塚代議士とて明日は戦犯として裁かれるかもしれず、日陰者の身には違いないのだ、という認識は持っているように、一応の見識は備えている。獅子は犬丸の存在を限りなく希薄にしていくことによって、できるだけ公平で客観的な視点をとっていっている。

犬丸の厭世的な気分は、敗戦すら知らぬげに見える僻村の相生町において解きほぐされた(相生の人々たちの接触が大食い談義から始まるという無意味さも嬉しい)。この町の長閑な描写には、獅子文六自身が戦後まもなくに四国北宇和郡に再疎開した体験が反映されたと言われている。価値の倒壊と物資の窮乏によって猖獗をきわめる都会と比べ、相生町はいかにも別天地のように見えるが……、敗戦によって引き起こされた動乱は、相生町のような僻村を見逃しにするほど生易しいものではなかったのである。

戦後第一回目の衆議院選挙は敗戦の翌年に行われたが、相生にもその波が襲ってくる。隠れ里のように浮世離れしていた相生に現世の生臭い風が吹き始め、犬丸と親しい人々も急に「求心運動」なる怪しい運動に狂奔するようになったのだ。

後は逆転に継ぐ逆転。最後まで翻弄され尽くした犬丸が「どう考えても、これ以上にバカバカしい一年は、ありますまいよ」と物語を結ぶとき、読者は事件が結局何ものをも産みださなかったことに気づき、獅子が予見する戦後社会とは、このように空虚なものなのか、と暗澹たる気持ちになるに違いない。爆笑の果てに苦い諷刺にたどりつくというのは、ユーモア小説の真骨頂。まぎれもなく、安部公房『飢餓同盟』や筒井康隆『俗物図鑑』(いずれも新潮文庫)の原点はこの小説にある。

さて、その『てんやわんや』と古処誠二『少年たちの密室』が相似形にあると言ったら、もしかすると一部の読者からは見識を疑われるかもしれない。『少年たちの密室』は、昨年『UNKNOWN』で講談社の第十四回メフィスト賞を受賞しデビューを果たした新鋭による、傑作本格ミステリーである。

『てんやわんや』は、物語が佳境に入ったとき、まさに神の意志のように突如地震が起こり、すべてを瓦解させる小説なのである。『少年たちの密室』は、逆に地震からすべてが始まる物語だ。

始まりの状況を整理して言えば、ある高校生の葬儀の日、会葬に出かけようとしていた六人の級友と引率の教師が地震に遭遇し、倒壊したビルの地下駐車場に閉じ込められることになるのである。この七人が決して平穏な関係で結ばれた同士で無かったことが、この後に起こる悲劇のきっかけとなった。

死んだ高校生は、不良学生から受けた暴力のせいで自殺したのではないか。少年の親友である相良はそんな疑いを抱いていた。だが、閉じ込められた中には、死んだ少年の恋人や相良自身の恋人に加え、当の不良学生である城戸と腰巾着の小谷の二名が含まれていたのだ。相良は、城戸の悪事を暴露するために独自で調査を進めていたところだったというのに!疑いと憎悪が地下の空気を澱ませていく。

「ここを出たら、お前らは檻に直行だ」

だが、城戸に対する、そんな相良の警告も結局果たされることがなく終わった。城戸が瓦礫で頭を砕かれて死亡したからだ。担任教師の塩澤は事故を主張するが、相良にはそれは何者かによる殺人としか見えなかった--。

獅子の小説が「戦後」という広い位相を小説の中に反映しようとしていたのと同様に、古処は『少年たちの密室』において、「学校」という位相を小説の中に持ち込んでいる。「学校」は狭く、閉鎖的だが、生徒にとってはそこが世界の全てである意味で、極端な強制性を持っている。学舎にそこまでの監獄的性格を持たせたのは、現代社会の大きな特徴である。相良たちは、監獄の中でも自分というものを見失わず、「根」を降ろそうと懸命の努力を重ねていているが、その努力を踏みにじるものの正体を暴くのが、この小説のテーマである。

流されながら生きる犬丸順吉の場合は、始めから服従するべき権威として示されていたものが、相良たちにとっては視えずにいる。それを探すのに、ミステリーという小説形式をとった点が素晴らしいのだ。

小説の山場は、地下の暗闇における犯人捜しである。城戸が殺害されたのだとすれば、犯人は誰でありえたのか?照明もなくたがいの姿が見えない中で、いかにして犯人は城戸を発見し、瓦礫を振るうことができたのだろうか?しかも、七人の中で最も腕力に秀でていたはずの城戸が、まったくの無抵抗で殺されたのはなぜなのか?これらの疑問から、純粋な推理によって犯人が指摘されていく。

前作『UNKNOWN』でも自衛隊高官の部屋に盗聴器がしかけられていたという謎を純粋推理によって解き明かした古処だったが、今回はさらにその上をいく緻密な推理だ。エラリイ・クィーンの諸作にも似ているが、推理の過程で相良たちの間にわだかまる秘密の存在が浮き彫りにされていく点は、本家をしのぐ技量と賞賛すべきだろう。

実を言えば、獅子文六と古処誠二の間に共通点がないわけでもない。古処のデビューはミステリー誌「メフィスト」のコンテストだが、獅子の小説デビューも戦前の探偵小説誌「新青年」だったからだ。そう言われてみると、『てんやわんや』には鬼塚代議士に託された秘密文書の謎など、ミステリー的な興趣がそこかしこで顔を覗かせている。謎が解かれた後の無力感も、またそっくりである。

(初出:「問題小説」2000年10月号)

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