小説の問題vol.58 「時代の風と時代の鏡」泡坂妻夫『飛奴』・司馬遼太郎『城をとる話』

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城をとる話 (光文社文庫)

飛奴―夢裡庵先生捕物帳 (徳間文庫―夢裡庵先生捕物帳)

ここ数年、本誌新年号の楽しみといえば泡坂妻夫の「夢裡庵先生捕物帳」だった。このシリーズは、新作短篇が一年一作年始のあたりにお目見え、という悠長なペースで刊行され、これまで随分長い時間をかけて短篇集が二冊編まれてきたのだが、二〇〇二年にはなぜか一月号、七月号と二作がパタパタ発表され、あれよあれよという間にシリーズが完結してしまった。『飛奴』がその完結篇にあたる第三短篇集である。ファンとしては、嬉しいやら、哀しいやら、複雑な心境。

本誌愛読者ならご存じの通り、夢裡庵とは北町奉行所の同心で、本名を富士宇衛門。今の警察官に当たる同心という役職は、僅かな人数で市井の事件解決に携わっていたため町人との交わりも多く、中には歌舞音曲に秀でた乙なおさむらいもいたという。ところが、この夢裡庵先生は身なりに頓着がないとみえて、「月代と無精髭を伸ばし、髷は横に傾いている。黒絽の羽織は色が褪せてしかもよれよれ」と、ひどいありさまなのだった。しかし本来の職分である検見の目は確かで、現場を一目見ただけで真相を見抜く。科学的名探偵の系譜に入る人なのである。

このシリーズのおもしろさは、毎話話者が交替して夢裡庵の活躍を物語るところにあるだろう。本書でも藪医者、大工の棟梁、川柳の宗匠、目明かしといった人々がかわるがわる語り手を務めている。

江戸という都市は、勤番でやって来た地方武士が人口の過半数を占めるいびつな階級社会であったが、都市文化の担い手はあくまで町人階級であった。町人たちに語り手の役を当てぶる作者のシンパシーは、もちろん町人の側にある。神田の生まれの作者だもの、当然だ。

それにしても夢裡庵は町人に愛されている。江戸の街の治安を守る定町廻り同心は当時数十人に満たなかったというが、町人たちから絶大な信頼感を寄せられていたからこそ、そんな少数でも十分な活躍ができたのである。彼らこそ江戸の街を最も愛した人々だった。

実は以前に作者にインタビューした際に、シリーズ最終話は江戸に官軍が到着し、夢裡庵がそれに対抗する話になることを聞かされていた。ご存じのとおり、このシリーズは世情不安な幕末を背景として描かれている。それは、新しい価値観の流入により江戸の町人文化が変質し、破壊されていった時代でもある。最終話「夢裡庵の逃走」は、その文化の終焉を象徴的に表現した一篇だ。江戸の街を愛した夢裡庵は、その守護のため彰義隊に身を投じ、上野の山に立てこもるのである。それは官軍という近代化の波に対抗し、江戸という時代の精神に殉じようという儚い抵抗であった。

結末近く、ある人物が漏らす述懐「花のお江戸にふさわしい、派手な幕切れでござんすね」は、このシリーズのテーマが、失われた文化を小説上に再現することであったことを端的に示している。寛永寺の花見、回光院の潅仏会、ふくろう稲荷の金魚狂言、大川の花火、芝飯倉神明宮の祭礼などの風物詩が描かれ、通して読めば江戸の歳時記となる試みも、もちろん今では鈍くなってしまった季節の感性を豊かに現すためのものである。

本書の中の一篇「仙台花押」に、夢裡庵が江戸の四宿と呼ばれた場所を探索する場面がある。四宿とは何か。江戸で政府公認の娼家といえば吉原だけだったが、当然それだけでは需要に応えられず、江戸近郊の四宿場町――新宿、板橋、品川、千住に私娼窟が栄えたのである。

このうち、品川の宿の雰囲気について、私たちは川島雄三監督の映画「幕末太陽伝」(五七)で覗き見ることができる。あの映画の中で、フランキー堺演じる居残り左平次は、肺を病み、海辺への転地療養を兼ねて品川に長逗留することを決めたのだった。当時の品川は遠浅の海がのんべんと続く、ひなびた海岸町だったのである。その品川宿で左平次は、一人の青年武士と出会う。潜伏中の高杉晋作である。演じたのは、若き日の石原裕次郎。

石原裕次郎が自らの独立プロ・石原プロを興すのは六三年のことだが、翌年、彼は司馬遼太郎に映画原作の執筆を要請した。高杉晋作ならぬ坂本竜馬を石原に演じてほしいと願っていた司馬はその頼みを快諾し、しかし幕末ではなく戦国時代を舞台にした作品を書き上げた。それが、六五年一月から七月まで日本経済新聞に連載された『城をとる話』だ。映画は、小説の完成を待たずに製作され、同年三月に『城取り』として公開された。したがってこちらの方は司馬作品の骨子のみを頂いた、まったく別の作品である。

その原作と映画との違いについては、熱心な司馬ファンでも実際に確かめる機会はこれまでなかった。なぜか『城をとる話』が六五年十月にカッパノベルスで刊行されて以来、一度も再刊されずに来たからである。おそらく作者にしかわからない理由があったのだろう。今回光文社文庫版で同書が刊行されるのは、非常に画期的なことなのである。

『城をとる話』の骨格は、オーソドックスな時代小説である。関が原の戦前夜、東北の地では大崎(仙台)に拠る親徳川家康の伊達政宗と、親石田三成で会津に在る上杉景勝が領土を接し、激しい神経戦を展開していた。その上杉家の旗本・中条左内を訪ねて、車藤左という牢人が現れるところから物語は始まる。

藤左は上杉家とは盟友にあたる常陸佐竹家の譜代家臣だったが、衝動的に出奔し、最前線の会津にやって来た。そして、伊達・上杉の微妙な勢力均衡を破壊せずに上杉方を有利に導く方策として、伊達家側の国境に建設中の帝釈城を単独で乗っ取ることを思いつくのだ。

この藤左という人物の思いつきが、すべての登場人物を巻き込んでいく。カリスマが彼にはあり、本来蓄財にしか関心がない無精者の中条左内も、いつの間にか彼と同行することになる。そればかりか、途中出会った山賊や巫女、堺商人などの人々も不思議な魅力にとり憑かれ、彼につき従うようになるのである。

藤左は、非常に単純な人物である。彼が城を取ろうと思い立った背景に何の根拠もなかったように、行動はすべて衝動で貫かれている。それゆえ、谷底に跳躍しろといわれれば、深く考えずに跳んでしまうような向こう見ずなところがあるのだ。いわく「おれは途方もない馬鹿騒ぎをしてみたい」、「一番大事なものを賭けねば遊びはおもしろくならん」と。こんな男に女が惹かれるのは当然のことで、巫女のおううも、この魅力のために自らの村を戦に巻き込む手助けをしてしまう。

しかしこの人物像はどこかで見たことがある。隆慶一郎が『一夢庵風流記』で描いたかぶき者・前田慶次郎である。慶次郎は武辺者として生涯長いものに巻かれることのない生き方を通した武将だが、そのような純真さ、悪く言えばおっちょこちょいさは車藤左に酷似している。それもそのはず、映画『城取り』の脚本家・池田一朗は後の小説家隆慶一郎だからである。つまり『城をとる話』がきっかけで、隆は『一夢庵風流記』を書いたのだ。

石原が演じた映画版の車藤三は、したがって前田慶次郎のプロトタイプであり、映画は極めて映画らしく、爽快な活劇として終始した。石原が当時の剣劇スター近衛十四郎に勝つという、意外な一シーンもある。だが司馬の描いた原作の世界ではそうはいかない。後半の展開には司馬らしさが発揮されている。司馬は、車藤左の正体が火を点けてまわる以外に能のない煽動家に過ぎないことを後半で暴露してしまう。そんな人物に促された蜂起の先行きは明白である。所詮勝利は一時的なものに過ぎず、いずれは押し潰される宿命にある。後に続くのは農民たちの虐殺劇だ。『七人の侍』のごとき、農民の勝利はありえないのである。その末路の残酷さは、例えば『峠』の河井継之助などを思い起こさせる。

言うまでもなく、司馬はこの戯画の上に、左翼闘争の挫折をあからさまに重ねあわせている。そのあからさまさが、司馬に小説の再刊をためらわせたのだろう。蛇足ながら、本書では車藤左の出自が、江戸時代の非人頭・車善七の遠縁であることが示唆されるなど、まつろわぬ者、化外の民への関心が諸処に現れている。司馬が『梟の城』などの初期作品でのみ明らかにしたものだ。そのエッセンスを受け継いだのが後の隆慶一郎なのである。

(初出:「問題小説」2003年1月号)

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