芸人本書く派列伝returns vo.24 山田ルイ53世『一発屋芸人列伝』『ヒキコモリ漂流記』

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一発屋芸人列伝ヒキコモリ漂流記 完全版 (角川文庫)

ちょうど五十になりました。

この一文をあるメロディに乗せて読んでしまうのは、たぶん私と同い年か、それより上の演芸ファンではないかと思う。さらに言えば、落語協会よりも落語芸術協会が贔屓だった人。

ベテラン、東京ボーイズの持ちネタの一節である。

東京ボーイズは旭五郎、菅六郎、仲八郎のトリオ芸人で、五郎がアコーディオン、六郎が三味線、八郎がウクレレを持って舞台に登場する。「天気が良ければ晴だろう。天気が悪けりゃ雨だろう。雨が降ろうと、風が吹こうと東京ボーイズ、ほーがらーかーにー」と当たり前のことを三人で歌ってからネタに入るのが通例で、そのフレーズが聴きたくて、東京ボーイズの出番を調べては芸協の定席に通っていたのであった。そうやって追っかけた色物の芸人は、落語芸術協会では東京ボーイズ、落語協会では三遊亭小円歌、現在の二代目立花家橘之助だけであった。

冒頭に書いたネタを、記憶に文字で再現してみようと思う。

当時の東京ボーイは、リーダーが旭五郎でMC役、よく仕事をするのが若い仲八郎、三味線を持ってぼうっと立っているのが菅六郎という分担であった。六郎は言われない限り何もしないので、その態度をしょっちゅう五郎からつっこまれる。「おまえも歌いなさい」と促されて始めるが「中之島ブルース」のサビを二人に横取りされたり、ずっこけて五郎に叱られたり、という役どころなのである。そのネタの一つが「ハルちゃん」であった。正式な名称は知らないがハルちゃんの歌なので私たちはそう呼んでいた。

五郎に、サボってないで歌え、同級生のよしみで(五郎と六郎は同じ中学校だった)俺が前を歌うから、それにアドリブで歌詞をつなげろ、と命じられて演奏が始まる。

五郎 ハルちゃん、今年でいくつなの?

六郎 ちょうど五十になりました。

(演奏止めて、五郎が『終わっちゃうじゃねえか』と叱る。『つなげて、もっと長くやるんだよ』と指導が入り、演奏再開)

五郎 ハルちゃん、今年でいくつなの?

六郎 (莞爾と笑いつつ、客席を指さし)前の奥さんと同じ年。

五郎 (うなずいて)それなら奥様いくつなの?

六郎 ちょうど五十になりました。

(『また終わっちゃったじゃねえか』)

これが基本形で、六郎が出をとちるなどの、バリエーションがあり、いくらでも長くやれる。この「ちょうど五十になりました」のフレーズは、一度耳にしたら絶対に覚える調子のいいものなのだが、現在では聴くことができない。残念ながら旭五郎が他界してしまい、東京ボーイズがトリオからコンビに移行してしまったからだ。二人体制になってからひさしぶりに出番の高座に触れたとき、それまで置き物のように喋らなかった六郎が八郎と絡んでいるのを見て、びっくりしたものであった。当たり前の話だが、無口というのは演技だったわけである。

現在の東京ボーイズは八郎が喋って六郎がつっこむという形で高座が進行していく。かつての名物ネタも二人用にアレンジして使われており、定番となっているのが謎掛け問答である。「○○を謎掛け問答で解くならば」とウクレレを弾きながら八郎が独唱するもので、豊富な時事ネタが魅力だ。「最後に東京ボーイズを謎掛け問答で解くならば、種を蒔かない畑です。いつまで経っても芽が出ない」が落ちだ。

この「いつまで経っても芽が出ない」はもちろん芸人らしい自分を落とす笑いである。最後に自分を落とすことでそれまで喋ったあれこれをすべて帳消しにして去っていく、というのは笑いの基本形で、大なり小なりすべての芸人がやっていることだ。それがフレーズとして定番化しているのである。

ギャグとフレーズの別については、本メールマガジンの読者には釈迦に説法かもしれないが、小林信彦の以下の文章を引用させてもらいたい。

なぜ、こんな初歩的なことを書くかというと、大阪の漫才師の中に、ギャグという言葉を〈キャッチ・フレーズ〉〈流行語〉の意味に間違えている人が見られるからだ。

「今年こそ、ギャグを作りたい」

とか、

「ザ・ぼんちはギャグを持っているからうらやましい」

などと、発言する漫才師がいる。

これは、

「今年こそ、〈流行語〉を作りたい」

「ザ・ぼんちは〈流行語〉を持っているからうらやましい」

の意味なのである。

だいたい、漫才は、ギャグを連発しなくては成立しないのに、「ギャグを作りたい」などと言われると、がっくりくる。(後略)。「〈ギャグ〉という語の誤用」(『笑学百科』新潮社。1982年)

小林のこの著書は1981年前半に「夕刊フジ」に連載されたものが元になっている。THE MANZAIブームの時期である。これより古い日本人の文章でギャグのフレーズ(流行語)との誤用について触れたものを見た記憶がないので、小林が釘を刺したのが最初ではないかと思う。問題になるのが用語の誤用であれば「言葉というのは世の移り変わりで意味も変わるものだから」と小林に反論する人が出るかもしれない。だがこの文章で最も大事なのは引用最後の「だいたい、漫才は、ギャグを連発しなければ成立しないのに、「ギャグを作りたい」などと言われると、がっくりくる」の部分だ。さきほどの東京ボーイズの例でいえば、謎掛け問答で連発される時事ネタがギャグ、それを受けて最後に落とす「いつまで経っても芽が出ない」の部分がフレーズということになる。数々の時事ネタがあるから最後のフレーズが印象に残るのに、「いつまで経っても芽が出ない」の部分だけを定番ギャグとして取り上げてもまったく意味はないということだ。作っては捨て、作っては捨て、していくであろうネタこそが身であるのに、それを客に提供するためのわかりやすい皮に過ぎないフレーズを身だと勘違いしてしまうことの虚しさについて、小林は1981年の段階で察知し、警告していたのだ。

ライブの場では新鮮な「身」を提供できない出演者には本来居場所がないはずである。ところが驚いたことに、寄席というライブ会場にはときおり、まったく鮮度のない干物しか提供しない芸人が出演する。漫談には「○○の穴」というジャンルがあって、流行歌のおかしな歌詞などを皮肉って客を笑わせる。それ自体はいいのだが、「最近の歌にはおかしなのがあるよね」と言って取り上げるのが最近どころではない懐メロだったりするわけである。そのアナクロニズムについては故・立川談志もしばしば失笑交じりに皮肉っていたが、さすがに最近の寄席にはこうした干物芸人の出番も少なくなっている。それでも私が寄席に通い始めたころにはまだ健在で、干物を通り越して化石としか思えないネタに客が同情の籠った笑いを送るのに悶え苦しんだりしたものであった。いや、今となってはそうした空間の生ぬるさも含めて寄席だと思えるのであるが。

自分自身ではほとんど使う機会がない言葉に「一発屋」がある。語義についてはいちいち説明する必要もないだろう。打ち上げ花火が一発で終わってしまい、あとは鳴かず飛ばずの芸人や歌手、作家などのことを指す。

話題を芸人に限るならば、この言葉が普通に用いられるようになったのは1980年代以降ではないか、と私は考えている。きちんと精査したわけではないが、前出のTHE MANZAIブームによってテレビに出演する人の顔ぶれががらりと変わった後、それ以前に売れていたが現在は落ち目の人、今テレビに出まくって売れている人を区別する笑いが一般化したのである。それを流行らせた土台は「ビートたけしのオールナイトニッポン」にある。時代遅れになっていることを気づかないキャンプな芸能人(村田英雄やポール牧)のズレぶりや、せんだみつおのような前時代の芸人がいかに落ち目か、といったことをデフォルメしてリスナーに伝える裏話的な笑いは、木曜深夜のあの番組がなければここまで広まらなかったはずである。

一方で「ビートたけしのオールナイトニッポン」は、テレビの表舞台には出てこないレベルの芸人を発掘してその奇芸ぶりを笑うということもやっている。ホラッチョ宮崎なる怪芸人などは、この番組がなければ全国ネットに出演する機会など一生回ってこなかっただろう。もちろんその前に赤塚不二夫や山下洋輔がしろうと芸人だったタモリを拾って名前を広めた前例はあったわけだが、プロの参加するジャズ・セッションに飛び入りしてきたアマチュアが一夜にしてスターダムに上ったようなタモリの例とたけしの番組の例は根本のところが違うのではないか。テレビというマス・メディアの持つ傲岸さ、異常さに自覚的で、それを形にするのが1980年代のビートたけしは抜群に巧かった。かなり乱暴な言い方をすれば、その後のテレビ芸人のありようさえも変えてしまったのである。

前置きが長くなった。山田ルイ53世という芸人がいる。髭男爵というコンビを組んでいて、相棒のひぐち君と共にブルボン朝の貴族のようなコスチュームで現れ、何かやり取りをしては「ルネッサーンス」と合唱してワインで乾杯する、というのがテレビで売れたときの形であった。あまりテレビのバラエティ番組を見る習慣がない私でもフレーズと言葉の調子を覚えているというのは、露出が格別に多かったことの証拠だろう。もっとも、そのフレーズがいかなるギャグの後に繰り出されたのか、ということについてはまったく記憶がない。芸人に対して、たいへん失礼なことである。

山田は2015年に『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)という半生記を出して話題になった。小学校までは神童であったと自称する山田が名門中学に入っていかにつまづき、引きこもりとなっていかに雌伏の日々を送ったかが綴られた本で、すでに挫折しているということを認めないことに十代のすべてを費やした過去の自分と、子を持つ立場になって客観的にそれを見られるようになった現在の山田との距離の取り方に興味を抱きながら私は読んだ。

著者はまだ十代の屈辱を自身の中で消費しきれていない、というのが一読した感想である。本の内容として重く書きすぎることができないという事情もあるのだろうが、著者は過去を乗り越えたように見えてまだそこに囚われていて、持病のようにそれを引きずるしかないという自覚もあるのだろうな、という印象を受けた。過去の事件を扱うときの筆致は軽く書いているように見えて後味が悪く(たとえば所ジョージ『成り下がり』などと比べると一目瞭然である)、糊塗し切れない心の闇が覗けて見えてしまう。それが私にはおもしろかったのだが、最も印象に残ったのは以下の文章だった。

反面、僕が当時思っていたことといえば、いまだ「だいぶ人生が余ってしまったな~……」ということだった。持て余していたのだ。あまりに思い描いていたものと違う人生を、キチンと考えて生きる気力もなく、意味も見出せていなかった。(中略)

僕は、誰とも同じ時間を過ごしてはいなかった。薄いガラス一枚隔てたパラレルワールドにいるような誰とも心の底からは噛み合わない感覚が常にあった。

横に居ても横にはいない。

何となく社会復帰できたと思っていたが、まったく、順応できていなかったのだ。(後略)

『ヒキコモリ漂流記』でもっとも真意が露呈しているのはこの文章だろう。二十代前半にしてすでに余生。その恐ろしさは、体験したことがない人間には実感が難しいはずである。このあと何十年も寿命は残っているのに、すでに社会に居場所がない。そうした人はもちろん山田以外にも無数にいる。山田のように、どんな形でも生き残ることに成功した人間は声を挙げて自分の感じた違和や孤独について語ることができるが、それに失敗すれば黙って消えていくしかない。ごく幸運な成功例であることを自身がいちばんよく知っているからこそ、山田は本を書いたのだ。

その山田の新著が『一発屋芸人列伝』(新潮社)である。「新潮45」2017年1月号から12月号に連載されたものが元になっており、第24回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」の作品賞を授けられている。記者・編集者の互選で決まる賞で、芸人の連載が獲得したのはこれが初である。題名がすべてを語っているので改めて内容を説明する必要はないと思うが、平成になってからテレビに登場した「一発屋芸人」のその後について、本人のインタビューを元にして構成された内容である。全12章に登場する芸人は、レイザーラモンHG、コウメ太夫、テツandトモ、ジョイマン、ムーディ勝山と天津・木村(コンビではないが、両者に共通する問題について1章が割かれている)、波田陽区、ハローケイスケ、とにかく明るい安村、キンタロー、髭男爵である。最後に髭男爵を持ってくるのは「自分を落とす」定石だろうが、『ヒキコモリ漂流記』を補強する内容でもあるので前著の読者は興味深いはずである。

感心させられるのは、山田が他人の芸を批評する眼の確かさである。これが生来の観察眼からくるものなのか、雌伏の時が養った(猿岩石からピンで売れる間の有吉弘行のように)後天的な能力なのかは、記述だけでは判断することができない。

たとえば、とにかく明るい安村の章では、その全裸芸が売れた理由をこう書く。

ポーズを決めた瞬間、小気味よく響く「ヘイ!」の効果音は、言うなればツッコミの役割を果たしている。昨今は頭を叩いたり、練り込まれたフレーズでボケの発言を訂正するのが主流だが、本来、表情や語気、正確な“間”が伴っていれば、「おい!」の一言でも十分ツッコミたりえるのだ。

加えて、構成も秀逸。まず冒頭に披露する“全裸に見えるポーズ”で「こういうことですよ」とネタの見方、ルール説明をする。一通りギャグをやり終えると、本日のダイジェストと称し、「ヘイ!」の連発で全裸ポーズを畳み掛ける。そのテンポ感は、ピン芸というより、良く出来た漫才、優れたコントを思わせる。面白いと同時に心地よい。

全裸である、という点で思考停止せず、それをパッケージとしてどう見せるかが安村の芸であった、という分析に至る。しかも後続の全裸芸人であるアキラ100%との差異についても言及があるのだ。こうした形で全12組の芸人について長所と短所がわかりやすく呈示されるのである。取り上げられた芸人に意見を聞いたわけではないが、山田の分析に異を唱える者はいないのではないだろうか。安村の場合は長所についての分析であったからまだいいが、「なぜこの人は売れなくなったのか」について残酷なほどに端的に綴られた箇所もある。波田陽区の章の、このくだりを見てもらいたい。

皮肉にも、ギター侍は、売れていない方が面白いという構造的問題を孕んでいたのである。(中略)

駆け寄って来た連中を正面から堂々と袈裟斬りにしていたが、人気が凋落すると、離れて行く人間を背中から斬り付ける格好に。もはや辻斬り、いや追い剥ぎである。笑えない。

本書の中で最も違和感を覚えたのは、テツandトモについての章だった。山田の分析が違うと感じたのではない。ここにあるような価値観でテツandトモという芸人を考えたことがなかった、という自分にとっての発見である。

山田はインタビューに当たり、編集者が準備した各芸人の個人史年表を読み込んでいるといいい、それを踏まえてテツandトモは「“苦節な”風貌と芸風」ゆえに苦労人と見られがちだが、コンビ結成から半年で「なんでだろう♪」に行き着いた早期完成型の「スーパールーキー」だった、と断定する。そして二人の「なんでだろう♪」は「「今まで誰も言語化出来なかった」とか「痒い所に手が届く」といった昨今主流の、重箱の隅を突き破るようなあるあるネタ」ではなく「万人を分け隔てなく楽しませてくれる」「浅さと広さ」こそが強みであると指摘するのである。そして、そうした「深さ」のないネタが成功し続けている理由を、各営業先における綿密な取材と結論づける。徹底的な現地取材によってその場に来てくれている人を楽しませる、持ち時間すべてを使って密度の高いステージを作り上げる、という点にテツandトモの強さがあるというわけだ。

この客本位のありようは、実は寄席芸人の基本と言っていい。だからこそテツandトモは故・立川談志にも好かれたのだろうし、テレビによる広報を必要とせずとも営業の口に事欠かないわけである。

実は、「一発屋」という言葉の一般的なイメージからはテツandトモのようなライブを重視する芸人が売れる理由がすっぽりと抜け落ちている。「一発屋」にもっとも近いイメージは「昔の名前で出ています」であり「都落ち」だろう。しばしば演歌歌手が、「紅白に一回出ればその歌だけで食っていける」と揶揄されるのがまさにこの意味だ。しかし、テレビで売った顔と名前でずっと食っていく、という生き方が芸人(芸能人)のすべてであるはずがないのである。テレビというメディアが肥大化した時代だからこそそう思われていただけであって、本来自分の持つ芸を周知する方法はそれに限らなかったはずだ。近年のyoutuberと呼ばれる人々の台頭はメディアの多様化に伴う必然である。芸人の自己表現の場が寄席からテレビに移ったという過去と、テレビからyoutubeへの移行は意味として同じだろう。となれば、テレビ至上主義という束縛を外し、寄席、もしくは営業を主舞台とする芸人の生き方も肯定すべきだろう。

『一発屋芸人列伝』の中ではテツandトモの章だけがやや浮いている。山田もそれはわかっていたはずで、「営業というと都落ち的な印象があるが、テツandトモはそうした偏見を覆した画期的な芸人である」という流れが論の基調になっている。一発屋芸人という括りの中でテツandトモを扱うためにはやむをえない対応である。「テレビで露出が増えるのが芸人にとっての売れる道」という絶対の方程式があるのは確かであり、それを否定するのは現実的ではない。したがって「なんでだろう」しか一般に売れたネタのないテツandトモを一発屋の括りに入れること自体は否定すべきではないのである。しかし、そのとき一発だったのはテツandトモの「なんでだろう」というフレーズ、もしくは包み紙だったのであり、そこに詰め込まれているギャグではなかったのだ、ということも意識したほうがいい。

結局のところテレビの持ち時間で披露でき、視聴者の印象に残るものはフレーズにすぎない。そのことを「ルネッサーンス」で味わった山田は熟知しているはずである。それゆえに安村のような包み紙よりもその中身や芸進行のプロセスを重視する芸人を高く評価するのであり、波田陽区のように流行語のみを武器とする芸人の脆さを批判するのだろう。

本書で山田がさまざまな芸人のフレーズ(テレビのために準備されたパッケージと言ってもいい)を検討している背後には、自身に対する不安感があるはずである。髭男爵というパッケージのみで売れる段階を通り越したことをよく承知しているからこそ、ではフレーズに頼らないギャグとは何か、という問いが山田の中にはあるのではないか。冒頭に挙げた東京ボーイズは、いかなる語意においてもテレビ芸人ではなく、ギャグのみで勝負する芸人の典型である。たとえば彼らのような寄席芸を、山田ならどのように評価するか。

かつて引きこもりとして長い雌伏の時を過ごし、社会からはみ出して早すぎる余生に足を踏み入れかけた。そうした生き方をした人間だからこそ、将来に対する不安と恐怖は絶大なものがあるはずだ。ルポルタージュという形式を用いて、山田は自らの未来予測図を描いたのである。

エピローグにおいて山田は、本書を一発屋芸人たちの墓標ではなく、再生に向けた狼煙として読んでもらいたいという意味のことを書いている。まだ死にたくない、死ぬわけにはいかない、という猛烈なあがきがそうした形で言い換えられているのだ。大丈夫、山田ルイ53世は立派に力強く生きている。

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