街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2019年8月・静岡「水曜文庫」「栄豊堂書店古書部」

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栄豊堂書店古書部。写真で見るとわかるように、左右のサッシ戸は本棚に当たってしまうため、完全には閉まらない。

(承前)

8月某日。

ひさしぶりの静岡駅である。というか、先月も静岡駅を通過はしているし、すぐ隣の草薙駅では降りているので、この駅頭に立つのがひさしぶり、というだけのことなのだが。

自宅から来ると、自宅→横浜→熱海→静岡という乗り換えになるので、あまり遠出をした感じがない。さらに高速バスを使うと、自宅→渋谷→静岡なので、自宅→新宿→八王子とまったく変わらなく感じる、と言ったらミス連関係者から奇異な生き物を観察するような目で見られたのであった。でも高速バスは座っているだけだしねえ。自宅→横浜→熱海→静岡だって、自宅→霞が関→東京→千葉と感覚はあまり変わらないのである。千葉と静岡と心理的には同じ距離だ。ちなみに湘南新宿線一本で行ける宇都宮のほうが千葉よりも近い。高崎も近い。千葉は遠い。千葉県に恨みでもあるのか。

■まずは東側から攻めるのだ

そんなことを言っている間に、静岡鉄道の線路を渡り、駿府城公演の東南側を走る北街道に出る。通りの右側にあるのが水曜文庫である。店頭に置かれた均一棚が相変わらず見事だ。文庫箱、単行本箱と三つばかりあり、どれも屑本ではなく、棚から少しやれてきたものを抜きました、という風情である。店内に入ると、主とお客とが何やら相談中であった。どうも何かのイベント開催について話し合っているらしい。店は入口付近が詩歌や民俗学の多いエリア、少し進むと左側に文庫棚があって、奥は天井までの棚で二分されている。右奥は文学系、左奥は古典芸能や映画、音楽、サブカルなどの本が棚から若干はみだしつつ存在を主張している。以前よりも古典芸能系が増えたような気がするのだが、とりあえず何も買わずに外に出る。

静岡の古本文化を支える東の横綱・水曜文庫。

そこから斜め前、通りを挟んだ位置にあるのが栄豊堂書店古書部である。戸を閉めようとしても本棚に当たってしまう、不思議なサッシ戸で有名なお店。いや、それ以外にもいいところはたくさんありますが。前回来たときは坊主だったのであまり期待しないで入る。店は中央棚で二分されたごく一般的な振り分け式の構造で、左側の壁に単行本や文庫の小説が集中している。その単行本棚を見た瞬間に心臓が止まりそうになった。

E・S・ガードナーの『続・最後の法廷』がある。

全ガードナー中、もっとも入手が困難な本が『最後の法廷』だ。正・続の二巻があって、正のほうもいい加減見ないのだが、続はそれ以上で、私はいまだかつて実物を見たことがない。これはいくらでも買う、と思って値段を見たところ、なんと500円であった。うわっ、これで静岡に来た元は取った。もう他の本を見るどころではない。帳場に直行しお金を支払う。人のよさそうな店主が本をビニール袋に入れてくれようとしているのだが、袋がうまく口を開かないらしく、幾度もやり直している。そのうちに、ええい、もうこの本を売るのは止めた、と怒鳴りだすのではないかとはらはらしながら見守った。

店を出て歓びに浸る。ついに『続・最後の法廷』を。しかもネットではなく、実店舗で買った。

魂が五分ばかり体から抜け出ていたのではないかと思う。

『最後の審判』は小説ではなく、ガードナーが組織した民間調査機関The Court of Last Resortが裁判所の誤審に立ち向かい、それを訂正させた記録なのである。つまり優れた法曹家としてのガードナーの顔を紹介するものであり、同時に優れた犯罪ノフィクションにもなっている。ガードナーの全文は格調の高いもので、全文を紹介したいくらいなのだが、長くなるので抜粋する。

[……]本書は誤審がおこり得ることを指摘し、誤審に導く若干の要素を説明しようとしたものである。[……]われわれは、行刑制度によりよき理解をもち、保護観察や御社制度を改善する必要がある。犯罪の背景や遠因を衝き止める必要がある。警察官にたいして、科学捜査に必要なよりよき施設をあたえ、法の実施と摘発に安心して、一生をゆだねられるだけの経済的な安定をはかってやるべきだ。[……]

したがって、法の正義を行う仕事に従事している人たちは、それ相応の待遇をうけられるようにしてやらなければならない。なぜなら、法を最高至上のものとしてとどまらせ、政治的な圧力に屈服させないように、十分な遵法精神を教え込むには、これしか方法がないからである。[……]

昨今の日本では、司法府が行政府におもねったとしか思えない事態が連続している。ことに伊藤詩織さんが訴えを起こした刑事事件では、法の正義を行うべき人々が政治的な圧力に屈服したというよりも自ら進んでそれにすり寄ったとしか思えない結果となった。政治的なことについてここであまり書くつもりはないのだが、三権分立の原則を無視する体制というのは、誠に困りものである。今の日本ほど「最後の法廷」が必要な社会はないのではないか、と本を眺めながら強く感じた。

おっと、暑さのせいか、思わず愚痴が出た。まだまだ古本屋はある。回らなくては。(つづく)

これが長年探し求めた『続・最後の法廷』だ。

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