杉江松恋の「新鋭作家さん、いらっしゃい」 夏樹玲奈『なないろ』

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なないろ

「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」番外編。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

ひとを好きになると世界が開けてしまう。

開く、ではなくて、開けてしまう、のである。それまでは個として完結していた世界が、対になる人を見つけたことで、自ずとそちらに向かって開けてしまう。

幸せ、と感じる者だけではないだろう。そのことに戸惑いや怖れを感じることだってあるだろう。

夏樹玲奈『なないろ』は、そうした心の動きを描いた連作短篇集である。

■人を好きになることの怖さをこの作者は知っている

『なないろ』は少々変わった構成の作品集である。五篇が収められていて、巻頭の「空におちる海」が2018年に第17回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞した。受賞時の題名は「You Can Use My Car」である。

女性の語り手である〈私〉と年上の男性が一緒に沖縄にやってくる。「よしこ」と呼ばれる語り手はおそらく二十代、英司くんと呼ばれる男性は四十代だ。一緒に旅をしているので夫婦だと間違われる場面があるのだが、そうではない。英司は〈私〉の叔父なのである。彼らが東京からはるばるやってきた理由は、津嘉山勝也という十九歳の青年を連れ戻すためだった。ある出来事のために軽傷を負った勝也を〈私〉は叔父と暮らす家に連れ帰った。英司は彼をいつまで経っても追い出さなかった。そのうちに、勝也の布団は今から英司の部屋へと移動していたのである。

〈私〉はその布団から「はみだした四本の足首が不自然に絡まって」いるのを見てしまう。「元々はふたりだった大きな生き物が、ひとつになってゆっくりと動いてい」る場面を。〈私〉は覗いていたことを気づかれないようにその場から立ち去る。

当たり前の恋愛関係はつまらないので、ちょっとねじれた形で書くようにしている。そういう意味の発言を恩田陸がしたことがあって、もしかすると恋愛小説の極意なのかもしれないな、と私は感心した。「空におちる海」はその視点転換が成功した好例であって、失踪した年下の恋人を連れ戻すために奔走する叔父を同行者の姪が見ている、という構図がいい。これだけでも小説の仕掛としては十分なのだが、さらに〈私〉の心情の問題も絡んでくる。叔父と一緒に住み始めたのは、彼女の母親、つまり英司の姉が癌で亡くなったためである。一人暮らしの弟を気遣った母親が同居を進めたからという理由で、〈私〉は叔父の家に引っ越してきたのだ。二人だけであったはずの世界は、勝也の登場によって変質した。〈私〉がそのことをどう感じているのか、という関心が導線として読者を惹きつけるのである。

収録五作のうち、「空におちる海」と「七色」が「小説新潮」に掲載された。収録順では三番目になる「七色」が、本来は夏樹の第二作ということになる。これは「空におちる海」から十年近く後の話ということになるのだろう。語り手は前作と同じ人物で、作品中で鷲見佳子というフルネームが判明する。彼女が仕事のために歌山町という山深い集落に引っ越してくるところから話が始まるのだ。

佳子が店子となった家の大家は、永正太一という人物だった。太一は廃業寸前だった酒蔵を復活させようとしていて、その挿話が重要な脇筋となる。「空におちる海」の佳子は英司と勝也という対の関係を傍観するしかない立場だったが、本作では彼女自身が太一という相手を見つけることになる。傍観者が当事者になるわけだ。主人公の対関係を描く前に、いったん溜めの話を置いた構成が効を奏している。それゆえに「世界が開けてしまった」佳子の心情が読者の胸を熱くするのである。

■感覚を小説に織り込むことの意味をこの作者は知っている

最初のほうに「少々変わった構成」と書いた。実は「空におちる海」と「七色」の間には「みどりの箱庭」という短篇が置かれている。この作品の語り手は前後二作とは違う。みどりというのが語り手の名前だ。「空におちる海」にも少し出てくる彼女は、英司が別れた妻との間に設けた娘なのである。

高校生のみどりは、直球で恋愛を語ったり、その鞘当てで人間関係をややこしくさせていたりするような級友になじめないものを感じている。というよりは自分自身の感情をそのままに開放することを忌避しているのである。その遠因は両親が離婚したことにある。母親は離婚と再婚の過程を経て、みどりに女性としての生の感情をさらけ出した。その「ナマモノ」のような無防備が怖いのだ。自分の中にもそうした部分があることを認めたくないのだ。むき出しの感情を出せないために、みどりは学級の中でいじめに遭ったことがある。そのときの経験によってパニック障害のような状態に陥りもした。

収録作中で私はこの「みどりの箱庭」がいちばん好きだ。これは五感の小説なのである。追い詰められたみどりは、あるとき学校敷地の中にあるクジャクの森という場所に逃げ込んだ。そこでクチナシの花の匂いを嗅いだことで、彼女は救われるのである。

つながった。色もなくなり、音も歪む世界で、匂いだけが空気を介して、血の通った花と、私をつないでいる。幹に手を伸ばして、白い清廉な花だけを夢中でちぎりとり、顔にこすりつけると、思いきりむせた。でも息ができる。

五感のうちで視覚は最も支配的である。私とあなた、というような認識も視覚によって支えられている。自分を巡る世界認知によって追い詰められた主人公が嗅覚に救いを見出すというというのがいい。嗅覚は視覚に比べて圧倒的に方向把握が難しい。それは逆に言えば、視覚よりもはるかに包容力があるということでもある。匂いによって包み込まれることを小説の核にした作者は、それ以外にも聴覚や触覚の描写を多く本作に盛り込んでいる。これはおそらく夏樹の最大の武器である。読めば五感が刺激される。夏樹玲奈が書いているのはそういう小説だ。

ここでは触れないが残り二作もそれぞれ視点人物が異なり、続けて読むと驚きがある。共通した登場人物が出てくる連作小説ではあるが、最後まで新鮮さが失われない優れた構成であると思う。神経を集中させながらページをめくり、あっという間に読み終えた。

新人作家と共に短篇小説も応援しています。雑誌掲載の短篇を紹介するレビュー動画「ポッケに小さな小説を」も併せてご覧ください。

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