芸人本書く派列伝extra01 河内潔士(川内康範)『哀怨の記 天中軒雲月』(積善館)

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川内康範に二代目天中軒雲月こと伊丹秀子を書いた小説『哀怨の記』という作品があることは以前から知っていた。ただ、図書館にもないような古い作品なので読む機会はなかったのである。それが2020年の暮れ、下北沢の古本屋を回っているときに偶然見つけることができた。発見したのは、古書明日である。頼りになる古本屋だ。ありがとう。

手に入れたので早速読んでみた。一人称で書かれていて、序章「ちびた鉛筆」がいきなり穏やかではない。どこかの港に主人公が立っていて「死にたい。この乳色の霧と、むせるやうな潮の香につつまれて、永遠に死んでしまひたい。もう二度と人間に生れては來まい」とあるのだ。

どうやら語り手は三人の子の母らしいのだが、何者かによって自由を奪われて悲しい日々を送っているらしい。その恨みつらみを雑記帳に「ちびった鉛筆」で書きとめてきた。それがこの記録だというのである。以降日記形式で、第一章「幼き日の歌」ではまず生い立ちが語られる。本業は大工だが副業に刺青師の顔を持ち、彫正と呼ばれる男が主人公伊丹とめの父親だ。母は前夫との間に産まれた娘・ぎんを連れて彫正と結婚した後にとめを産んだのである。ところがこの母はぎんを連れて家を出てしまう。この小説は全体的に事実関係をぼやかして書いているのでよくわからないのだが、幼いとめの語りを見ると、彫正は酔って家族に暴力を振るうだけではなく、どうやらぎんには性的虐待をしていたらしい。

ぎんは雲井花聲の名を持つ浪曲師である。これが後に雲井式部となる。彫正の父は前妻との間にとめにとっては兄となる男子を儲けている。二代目の港家小柳だ。やがて八歳でとめも浪曲師・藤原朝子になる。芸名は、父が落魄しても自分は元を辿れば藤原姓だと自慢していたのが由来ではないか。師匠は兄と同じ初代港家小柳丸だ。

父はおそらく酒で体を病んで働けなくなり、親子は幼いとめの稼ぎに頼って暮らすようになる。学校で先生に「伊丹さんはお父さんのために浪花節をやつて働いてゐるのです。身なりが悪いからといつてけいべつしてはいけません」とかばわれるあたりが実に切ない。楽屋で大人の男女が交わっているのを見て、あのとき父が姉にしていたのはそういうことなのかと悟ったり、十五歳で清造という男に「大丈夫や。あんた體が大きいさかい」と無理矢理言うことを聞かされそうになったり、大人の世界を否応なく知っていく。清造はとめに拒まれると五圓札を握らせて逃げたが、後になって「わいは朝子を五圓でやつた」と言いふらすのである。

芸人の汚れた部分が嫌でたまらないとめだが、本人の気持ちとは別に成長していく。父親は酒を辞めて娘を日本一の浪曲師にしようとステージパパになっていた。とめの夫も自分が決めた男でなければと娘を縛ろうとする。名前は出ないが、とめはかたぎの男性にほのかな恋心を抱いている。だが、そうした思いは実らない。

やがて高田という人物が出てくる。この人は初代天中軒雲月の元弟子で、女光月という一座の差配をしている。十二、三のときから止めは彼と面識があったのだ。高田には胸の病気を患う妻がいるのだが、しきりにとめを誘う。単なる散歩だと思っていたら宿屋に連れ込まれそうになってびっくりして逃げる。父は高田を「オマヘヲヒモニスルニキマツテル」と嫌うのだが、その反発からか、あるいはつい気持ちがほだされてしまったのか、ついにとめは彼と結ばれてしまう。「あの人が私に約束した事が本当なら、私もしあはせになれる。父もしはわせになれる。暗い夜は、明るい夜明けになるだらう」という希望を持って第一部は終わる。

ところが第二部「藝術と女」でその思いはあっさりと裏切られる。高田はとめの思うような夫ではなかったのだ。生まれた子供のために結婚生活を続けようと考えるが、どうしても我慢ができなくなって離婚を切り出す。すると高田は、とめを芸人としては不本意な契約で縛り付けるのである。父の見込みは正しかったのだ。ここからは、高田の鎖から逃れられないとめの恨みが綴られていくことになる。

高田義雄は変名で、永田貞雄のことである。猪野健治『興行界の顔役』に詳しいが、浪曲界を牛耳ったドンと言うべき人物であった。何度も奴隷的契約を嫌がって高田から逃れようとするとめをかき口説いて言うことを聞かせるのが吉本興業の吉本せいと林牛之助である。とめが吉本のおかあさんとしてせいに感謝の言を口にするのが哀れでならない。第二部の終わりではついにカルモチンで自殺未遂まで引き起こしてしまう。

本書の基調をなすのは伊丹とめの夫・高田義雄への恨み節であるが、二代目天中軒雲月を彼女が襲名するまでのこともきちんと綴られている。ただし、背景がほとんど書かれていないので、浪曲に詳しくない読者にはさっぱり事情がわからないだろう。天才少女浪曲師・藤原朝子として売り出されたとめは十代半ばで自分の一座を率いることができるほどの人気を博す。そのかたわら、マネージャーであった父は箔付けのために鼈甲斎虎丸と名前だけの師弟関係を結ばせるようなこともしていたらしい。夫となった高田は、自分の古巣である初代雲月門下に彼女を入れ、天中軒雲月嬢を名乗らせる。

このくだり、事実関係がわからないので本文をそのまま引用する。

 あなた(高田)は私を雲月さんの弟子だといふけど、私が雲月一座にゐたのはほんのすこしぢやありませんか。それも結婚してすぐ、あなたの云ふがままに同座したにすぎない、座長からは、その間、何一ツとして仕込んでもらつた事はありませんよ。(中略)

あの人が私も雲月師匠のところへ連れて行つたのは、一ツの政策だつた。雲月嬢という名前をもらふための。(後略)

高田の目論見通りなのか、とめは二代目雲月を襲名する。だが、「初代の芸風とはすこしちがふ演出法を考へて」いた。それが「七色の声」である。『日本浪曲史』を見ると正岡容はこれを嫌っていたようだが、老若男女をさまざまな声色で演じ分ける芸風は多くの人からの支持を得た。その着想を得た十代のときのことが本書は以下のように書かれている。

 だけど、浪花節ちつとも上手になれない。すこしも変りがない。このままでいいのかしら……?。男。女。大人。子供。若い人と年寄りと、中位の男と女。……

いろいろな聲が出せたら面白いだらうな。

物語は高田による鎖の象徴である天中軒雲月の名と訣別し、伊丹秀子として生きていくことをとめが決意する場面で終わる。通読して思うのは、あまりにもあからさまに事実が語られていることで、さすがに永田則雄のみは仮名になっているものの、吉本せいをはじめほとんどの登場人物は本名だし、暴露本として読まれる危険もあったのではないかと他人事ながら心配になる。だが、川内は確固たる信念の下に本書を執筆したのであった。

あとがきには「人間が自己の魂をもたざる場合には、どんな結果をもたらすかといふ事を、伊丹さんの半生を通じて日本の女性に是非知つていただきたい」「如何にわが国の封建思想が、人間の幸福にとって有害なものであるかを、多くの女性と共に男性に訴へたい」「日本藝能文化の推進を阻害してゐるものは、言論人の無責任な報道と、今だに、藝界を牛耳つてゐる顔役(ぼす)連の無自覚な暴力行為にあるといふ事である」と熱い思いが語られている。つまり本書は、無教育の弊害、児童虐待やDVの罪、前近代的な芸能界体質の批判を目的として書かれたものだというのだ。本書が刊行されたのは1959年のことだが、日本の現状を見ると川内が批判した三点は改善されきったとは言えない。半世紀前の小説だというのに、いまだに伊丹とめの悲劇は繰り返されているように見えるのである。

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