街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビールVOL0

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きっかけは、栄養士さんの一言だったのである。
私には糖尿病という持病があり、これは完治することがないが、小康状態を保てば決して長命も夢ではない、という患者の自戒を必要とするたぐいの病気だ。必然として定期健診を義務付けられる。そして、あまり真面目に努力していないと見なされると、薬を変えられたり、栄養士相談を申し渡されたりする。
その栄養士相談を、何年ぶりかに命じられたのであった。
通っている病院の地下に相談室がある。ここに来るのは、生活態度の改善を求められるのが決定的だということでもあり、私は暗い気持ちでその戸を押し開けた。
ところが、その若いのに矢崎滋似で少し頭のてっぺんが薄くなった栄養士氏は意外なことを言い出したのである。
「杉江さんの場合、食生活には特に問題がありません。いえ、問題がないというと言い過ぎですが、少しずつ数値が悪くなっているのは別の要因だと思われます」
ええっ。
「ここのところあまり運動をされてないのではないですか。以前は運動習慣があった方がそれを止めると、どっとぶり返しが来ることがあるんです」
そういえば。
以前の私は、昼食後の一時間程度の散歩を欠かさなかったものであった。食事をすると血糖値が上昇する。それを低減する最もいいやり方は、運動して糖を消費してしまうことなのだった。ここ半年ほど、忙しさを理由にかまけていたことは事実だ。
そう申し上げると、矢崎栄養士氏は眼を輝かせたのであった。
「そうですよ、杉江さん。歩きましょう。歩けば絶対に数値が良くなります」

toukaidoudeshou というわけで、歩くことになったのであった。
もともと私は歩くのが好きで、町歩き程度の日々の散策はもちろん、結構な距離の徒歩旅行も機会があれば拒まない。ご存じの方はご存じかとは思うが、同業者の藤田香織を口説き落として東海道五十三次492kmをすべて歩く『東海道でしょう!』(幻冬舎文庫)という紀行本も出したし、その余波を駆って四日市から伊勢神宮まで70kmも踏破した。歩いて伊勢神宮まで行った書評家はおそらく日本にただ一人(ということは世界でもただ一人)だろうと自負する次第である。東海道の後は日光街道にも挑戦し、これまた東照宮までの道のりを歩ききったし、次は甲州街道か中山道か、などと考えているうちに時間が経ってしまい、運動不足を注意される体たらくとなってしまったのであった。
そうだよ、歩けばいいんじゃないか。
気がつけば、夜が明けてから間もない午前4時50分、五街道すべての起点である日本橋に立っていた。
2016年6月20日のことである。
ここから、再び東海道を歩くのだ。

実は、前回東海道を歩いたときのことで忸怩たるものがある。
このときの旅程は、序盤が以下のようになっていた。
第1回 日本橋~品川
第2回 品川~川崎~横浜
第3回 横浜~保土ヶ谷~戸塚~藤沢
第4回 藤沢~平塚~藤沢
第5回 藤沢~大磯
第6回 大磯~小田原
ご覧のとおり、相模国を脱出するのに六回もかかっている。実際の道中に直したら6日間ということで、結構なのろのろ旅である。これは私と藤田さんがまだ長距離を歩くのに慣れていなかったためで、第1回が8km弱しか進んでいないのはお試しの回だったからだ。
このあと、箱根越えを後回しにして三島まで飛び、先に静岡道中を開始するのだが、沼津・原宿間で私はとんだ失態を演じてしまった。足が痛くなり、まったく前に進めなくなったのだ。これは体力不足というよりは、足回りの準備がなっていなかったせいで、靴をassicsのランニングシューズに替え、LEKIのノルディックポールやMIZUNOのニーサポーターなどを購入したら体に掛かる負荷が驚くほど減少、軽やかに歩けるようになったのである。
assicsさん、LEKIさん、MIZUNOさんには本当にお世話になりました(こんな私でよかったらいつでも宣伝役を務めますので契約お待ちしています)。

もしあのとき、最初から完全武装で望んでいれば。
そして、東海道、伊勢街道、日光街道を完全踏破し、鈍っているとはいうものの以前に比べて格段に脚力が上がっている今の私がもう一度東海道に挑戦すれば。
いったいどれだけの距離を歩けることだろうか。
そんな思いがむくむくと頭をもたげてきてしまったのだ。
お江戸日本橋七つ立ち、と唄われたように、江戸の旅人はまだ夜も明け切らない早暁に旅立って、一日にだいたい10里、というから40km程度を歩き切るのが普通であった。普段からどこへ行くのも徒歩で通していた、という事情もあるが、現代人よりは遙かに長い距離を歩いていたのである。
それを見習って、がっしがし歩こう。季節は夏であり、気温の上がりきらない午前中のほうが捗るはずである。

この日の夜明けは午前4時半前後、残念ながらその時間に日本橋に着けるような電車は拙宅の最寄り駅からは出ていない。仕方がないので、今回はタクシーを奮発した。早朝の日本橋に着いたのが前述の4時50分という時刻である。まずは街道の基点である道路原標前で写真を撮った。

午前5時前の日本橋にて。

午前5時前の日本橋にて。

ここから中央通りをどんどん進んでいく。COREDO建設などでだいぶ様変わりした◎◎通りだが、現在も建物の取り壊しと建設は続いていて、工事現場ばかりである。
そういえば日本橋付近をこの時刻に歩くのは初めてかもしれない。新宿・渋谷といった盛り場と違って酔っ払いがいない。渋谷あたりだと曜日を問わずに朝まで遊んでいる人間が多く、酔眼朦朧としてさまよっていたり、未練がましくナンパに挑戦していたりする。そういう人種がほとんどいないのだ。途中で見かけたのは、宿泊先のホテルから東京駅に向かう旅行客ばかりで、後は開店準備を進める店員や清掃作業員など、働いている人だけであった。
新橋駅を過ぎて第一京浜に合流、品川駅までは基本的にこのまま真っ直ぐである。この通りの浜松町界隈には懐かしい思い出がある。私は書籍情報誌の「ダ・ヴィンチ」でキャリアを積んだのだが、その編集部は最初この界隈の電池ビルというところにあった。まだリクルート直下だったころで、そこからメディアファクトリーを経てKADOKAWAに移るまで、だいぶお世話になったものである。電池ビル時代は私もまだ会社員兼業で、当時浜松町近くにあった某社に営業で出掛けたついでに編集部に寄ったりしていた。
もう1つ嬉しいのが、この通りに2軒の六文そばがあることだ。
昨今は十割そばだとか、一般店のそば切りに近いことを売り物にしている立ち食いそばが増えたが、私はあまり好きではない。そういうそばを食べたければそれなりの店に行くだけであり、立ち食いに求めているのはうどん粉のほうがそば粉よりも明らかに多い、あのもこもことしたそばなのだ。六文そばこそはまさにその理想像である。落語立川流が定期公演をしている日暮里サニーホールだとか、二つ目が興行をする神田連雀亭だとか、落語の会場に近い場所によくあるのも好感度が高い。
残念ながらこの日は2軒ともまだ営業時間前で六文そばには入れなかった。浜松町に近いほうの1軒は店員がいたので聞いてみたのだが、「すみません。あと30分です」との返答が。さすがに待っているわけにも行かず、諦める。

六文そば名物のげそ天そば。これは淡路町のお店の写真。

六文そば名物のげそ天そば。これは淡路町のお店の写真。

品川宿に入ったのが午前7時。ここでは『東海道でしょう!』発刊時にイベントを開かせてもらった。たしか街道歩きの関連書を集めた古本屋ができたはずなのだが、今はどうしているかな。六文そばが開いていないぐらいだから古本屋の営業状況を確かめるなんて当然無理である。
そこから道は京急線と平行になる。街頭に「東海道」の文字が躍っていることもあるが、歩いていると急速に気持ちが4年前のそれに戻ってくる。いろいろな道を東海道ウォークでは歩いたが、この品川から大森あたりまで続いている道の幅こそが旧街道の幅なのだという気がする。東海道ゲージ、略してTゲージの呼称を与えたい。
道はやがて第一京浜に合流してしまう。旧街道ウォークのいちばんつまらない部分がこの、国道沿いを歩いているときである。前回もそれでぼーっとしていて間違え、川崎に行くつもりが、いつの間にか羽田の方へ逸れてしまった。◎◎警察署のある三叉路が、その間違いの元である。今回は無事に正しい道を歩き、六郷橋で多摩川を渡河、そして11時ちょっと前に東海道第2の宿である川崎に入った。道を間違えずにちゃんと来たのは初めてだ。そういう意味でも東海道のやり直しには意味がある。

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川崎宿田中本陣前跡にて。

川崎に入ると、東海道は現在のソープランド街の北側を通って駅前に向かう。川崎堀の内といえば大学生のころ、飲み屋で中年のおやじが喧嘩しているのを仲裁したら気に入られて「あ、あ、あんちゃん。い、一緒にどうだ、今からソープ。ソープランド!」と誘われたこともあったっけ。いや、見も知らない人とそんな面倒くさい関係になるのは御免だったので断りましたけど。
それにしても暑い。まだ6月の半ばだというのに、タオルを巻いた脳天がじりじりと焦げ付きそうである。第一京浜を歩いていたときもそうだったが、無意識のうちに日陰を目指して自分が歩いているのがわかる。川崎駅前には何本からの太い道が走っており、東海道はそれを越えていく。けっこう頻繁に信号待ちに引っ掛かるので、そのたびに電柱などにもたれかかりたくなる。思ったとおり、気温が最大の障害になりそうだ。
そして、いくつめかの信号を越えたとき、私はたいへんなことに気づいてしまったのである。
(つづく)

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