チミの犠牲はムダにしない! その14『これでいいのだ。』赤塚不二夫

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杉江松恋のチミの犠牲はムダにしない!

第14回「これでいいのだ。」赤塚不二夫(メディアファクトリー)

『これでいいのだ。』は、タイトルですぐおわかりのとおり、あの不世出のギャグ漫画家・赤塚不二夫の著書である。赤塚先生が北野武、立川談志、タモリ、松本人志といった偉大な芸人、アラーキーこと荒木経惟、小説家・柳美里、そしてなぜかカリフォルニア生まれの山形人、ダニエル・カールと行った対談集だ(赤塚にはこの他に『これでいいのだ』(日本放送出版協会)という自伝エッセイや『赤塚不二夫の「これでいいのだ」人生相談』(集英社)という週刊プレイボーイの連載をまとめた本があり、区別がたいへん紛らわしいがこれでいいのだ。国会で青島幸男が決めたのだ!

ご存じのとおり、週刊プレイボーイの人生相談経験者の著書に外れはまずない。『これでいいのだ。』の価値は、柳美里との対談篇を読んでいただければ一目瞭然だ。天才アカツカとの対談ということでかなり緊張している彼女は、必死にブンガクシャらしい質問を繰り出そうとするのだが、先生はそれをことごとくかわしていくのである。

「(前略)サザエさんはオッチョコチョイで母親らしくない、主婦らしくないことをして笑いを生み出してると思うんですね。だけど磯野家としてみるときちんとあの一家におさまっている、どこにでもあるホームドラマを演じているっていう感じがするんです。そういう意味では『ちびまる子ちゃん』も一緒なんですけど、『天才バカボン』の場合は、何ていうんでしょう……」

赤塚「違う! あれは家族じゃあない。あれは、要するに僕はナンセンスを描きたかったんですよ。だから、家族っていう形をとっていながらも家庭ではないんですよ(後略)」

「(前略)だから、ママと別の父親との間に生まれたのがはじめちゃんなんだけど、何か結婚できない理由があって仕方なくパパといるんだとしたら、それがなぜなのかが知りたくなりますね」

赤塚「だからッ、そういうこと考えちゃダメなんだよ漫画は(笑)。関係ないんだよ」

「なんかこう、家族らしくない家族っていうのが重要なモチーフである気がするんです。家族をぶち壊したところから家族がはじまっているというような」

赤塚勘弁してくれよォ、そんなこと考えてないよォ」

見ていられないほどのかみ合わなさである。自らの育った家庭環境についての悩みや、妻子ある男性との恋愛の結果授かった子供のことなどが自作の重要なテーマとなっている柳にしてみれば『天才バカボン』を「家族」というキーワードで読むことに意味があるのかもしれないが、赤塚先生にとってみれば実に「ナーンセンス!」なのであった。

ここで赤塚ファンとしては一言しておきたいところだが、はっきり言って本書における柳は勉強不足だ。『天才バカボン』ぐらいしか赤塚作品を読んだことがないみたいだし。もしも赤塚作品で家族について描かれたものを語るなら、完全な育児放棄漫画である『レッツラゴン』や、孤児を猫が拾って育てるというムチャクチャな漫画『のらガキ』あたりを引き合いに出すべきだ。またストレートに母子の関係を描いた『母ちゃんNO1』や、逆にマザコン男の母親への愛憎半ばする気持ちを描いた『クソばばぁ』のつまらなさを読めば、赤塚先生にとって母親というものが決して対象化することのできない存在であることがよくわかる。だから作品の主題として「家族」を採り上げること自体が難しかったのだ。そうした背景を知りもせず無理矢理自分のフィールドに引き入れて作品を解釈するような行為は、プロの表現者としてルール違反であり作家に対して失礼である

私がここで愚痴っていてもしかたない。赤塚先生は柳の発言をやんわりといなしていく。しかし彼女ったら引き下がらず、こういうことを言い出すのである。

「今、面白ければいいっておっしゃったんですけど、それが重要なことで、家族とか学校とかいう制度がなんでこうも崩壊しているかって言うと、面白くないからだと思うんですね。バカボンのパパの行動は、面白いか面白くないかの一点で全て左右されていて、それがすごく重要かなって気がするんですよ」

いや、バカボンのパパと学校制度とはまったく関係ないでしょう! 案の定赤塚先生は即座にダメを出す。

赤塚「あのね、漫画と関係ないんだよねぇ。そういう今の子供がつまらないとか親がダメだということは。それは教育の問題なんだよ。漫画なんかとは全く関係がない(後略)」

その通りだ、いいぞ赤塚先生! 柳美里はこのあとも隙を見ては赤塚先生を自分のフィールドに引き込もうとするのだが、先生はとりあわず「だからオマンコもな、背中からやるとか、斜めにやるとか、いろんな形を考えるじゃない。そういうことだよ。俺はもうできない、飲み過ぎで勃たない」だの「家族論とか何とかって難しい話はいいんだよ。それよりビールを飲もう!」だの、ふところ深く受け流していくのである(酔っ払っているだけという話もあるが)。それにしても先生、「斜めにやる」オマンコってどういう体位でしょうか。

柳が赤塚先生につきあってビールを飲み始めてからは気負いも消え、対談はなめらかに進行していく。そして柳は愚痴モードに突入! 「私、うるさいイメージがあります?」「可愛いなんて言われたことないですもん」「一度でいいから「可愛い」って言われてみたいですね。何が悲しくて無頼派とか武闘派って呼ばれてるのか(笑)と、聞いてもいない自分語りに入ると赤塚先生は「それは、自分がそういう姿勢と態度をとらなきゃいい。作品とは違うんだから」「オマンコをね、広げればいい。「いつでもどうぞ」って気持ち。そうすると「この子はいい子だな」ってみんな見てくれるよ」と絶妙なアドバイスを披露されるのだが、オマンコを広げて「いつでもどうぞ」と言うのは「いい子」ではなくて「させ子」ではないかという気がしないでもない。しかし、おっしゃりたいことの意味はよくわかります。

対談はさらに、柳が男とのよくわからない痴話喧嘩のエピソードを話して「文学少女なんだよ」と一喝されたり、赤塚先生が「俺ってお客さんと話して最後はキンタマ出すんだよ(笑)」と無意味に言い出し「キンタマだけ出すってことできるんですか? 一緒に出ちゃいません?」と柳に不思議がられたりといった迷走をしながら進んでいく。どう見てもこの勝負は先生の勝ち。柳を傷つけず、抱擁して終わった印象だ(だから読後は柳に対して親近感も芽生える)。最後に先生が「ビール飲みな。残ってるだろぅ(笑)」「あれだよ、あまりゴチャゴチャ話すのやめた方がいい」と声をかけるのも痺れるほど格好いい。赤塚先生が非常におモテになったというのもよく判る話である。

ここまで読んで、すでに本屋へと走りたくなっている人がほとんどだろうが(今確認したらAmazonにも在庫がありました)、念のためその他の対談の内容を、ほんのさわりだけ紹介しておこう。

なんといっても重要なのは盟友タモリとの対談だ。タモリの才能を見出し、自分の仕事にはまったく関係がないのに各方面へ売りこんだのが赤塚先生であることは有名である。タモリを自宅のマンションに居候させたために赤塚先生は住むところがなくなり、しばらくは仕事場で寝泊りしていたというのだから面倒見がいいにも程がある。その二人の間柄からすれば、対談がおもしろくならないはずがないのである。二人がコンビを組んで酒場を渡り歩き、数々の伝説を残したことは有名だが、極めつけは本書で紹介されるこのエピソードだ。

タモリ「キンタマまでだったらいいんだけど、あるときバーで飲んでて「俺はここでウンコできる!」って言うわけ、この人。「面白いねぇ、やれるもんならやってもらおうじゃないの」っていうと、パンツ脱いでカウンターにしゃがんだんだよね。で、しばらく見てたら本当に肛門が盛り上がってきたんだよ(笑)。俺、思わず殴っちゃったもんね、「やめろっ!」って言って(笑)。そしたら、「ナッ、ナッ、ナッ! できるだろう」だって(笑)。真剣にやるって言って、この人ほど真剣にやる人はいないっ!」

赤塚先生は一九七〇年台の後半から芸能人との交流が多くなった。そちらにエネルギーを割きすぎたために肝腎の漫画の方が失速し、ヒットに恵まれなくなったのである。そのことを知っているファンとしては、こうした酒の上の蛮行・奇行に関しては単純におもしろがる気分にはなれない。酒を断って漫画に専念してもらいたいと、誰もが切実に願っていたからである(この本の中でも、赤塚先生はずっと酔っ払っている)。しかしタモリとの関係だけは別格だ。当時赤塚先生の周囲にいた有象無象の取り巻きと違い、タモリは芸人として大成してみせるという形できちんと先生に恩返しをしてみせた。当然ながら赤塚先生はタモリに恩を着せるようなことはしない。もちろんそのことをタモリも承知していて、嘘くさい言葉を吐く代わりに、さりげなく先生の体調を気遣うことで感謝の意を表するわけである。パトロンと芸人のもっとも美しい関係を、この対談では読むことができるのだ。

赤塚先生自身も立川不二身として一門に加わっている立川談志との対談では、談志が例のごとく鋭い芸談を披露している最中に先生が眠りこけてしまうという奇跡の出来事が発生。ビートたけしではなく北野武がゲストに来れば、永遠の映画青年である赤塚先生は当然のことだが映画談義に熱中する。北野監督からは「あれ(映画『タイタニック』)に対抗して『第五福竜丸』っていうの作ろうかな(笑)。「船沈めりゃいいんだろ!」ってことなんだから」というご機嫌な発言も飛び出すのであった。タモリ、談志、北野武ときて、そこに松本人志が加わっていることの意味も大きい。嬉しかったのは、松本が「僕は、やっぱりウンコとか好きでねぇ(笑)。単純に、なんかウンコが出てきてほしいなぁって」と『トイレット博士』好きであることを表明している点だ。『トイレット博士』は赤塚先生のアシスタントであったとりいかずよし先生の書かれた作品で、私の最愛のギャグ漫画なのである。その一言で私は松本人志が大好きになったですよ。やっぱりウンコでしょう、大事なのは……って、これは赤塚先生とは関係ない話題でした。

この他、山形弁をしゃべるカリフォルニアンの対談では先生がカールをアメチャン呼ばわりしたり、荒木経惟との対談では荒木の亡妻陽子さんに赤塚先生が小便を飲ませた話が飛び出したり、捨てるところのない一冊である。赤塚不二夫直撃世代はもうそろそろ四十代にさしかかりつつある。ぜひそれより下の世代、特に二十代の読者に本書を読んでいただきたい。赤塚先生は、本当に存在自体がおもしろい天才ギャグ漫画家だったのです。

(本書のお買い得度)

赤塚先生の漫画は、DVD-ROMの全集でほぼ全作品を読むことができる。ただし限定一九三五部の生産なので、早くしないと売り切れてしまうよ。定価七万円は、五万二千ページの漫画が収録されているという分量を考えると、破格のお手頃さだ。五万二千ページ、一日に百ページずつ読んでも五二〇日、一年半はかかる計算だ。とりあえず本書は一六〇〇円で手に入る。大全集購入前の検討材料としてどうぞ。

初出:「ゲッツ板谷web」2007年4月7日

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