街てくてく~古本屋と銭湯、ときどきビール 2019年5月 平井・平井の本棚、ひらい圓蔵亭、ポール・アルテ氏来日記念対談

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平井の本棚と私。

五月某日。

午後五時から神田駅近くで来日中のフランス作家ポール・アルテ氏と日本のミステリー作家芦辺拓氏との公開対談がある。それに合わせて拙宅を出なければいけないのだが、山手線の右側に行くということで、せっかくなので何かおまけをくっつけようと考えた。

平井だな。

うむ、平井しかあるまい。

なぜ、平井なのかは考えてはいけないのである。感じろ。

強いて言えば、日本にミステリーを定着させた大恩人である江戸川乱歩の本名が平井太郎であるということぐらいか。とにかく平井なのだ。

神田駅から平井駅までは電車で一本だし、と漠然と考えていたが大違いであった。神田駅に通っているのは山手線と中央線と京浜東北線。平井駅は総武線だから乗り換えが必要だ。そんなことにも気づかないぐらい普段は縁遠い駅なのである。

平井駅には漫画人BOOKSという漫画専門の古本屋がかつて存在した。それに加えて近年は、平井の本棚という新しい店が駅至近の場所に開業しているのである。開店後一回も訪れたことがなかったので、いい機会だから寄ってみることにした。

総武線を下りてみると、駅前には土曜日の午後特有の穏やかな空気が流れている。人の流れはまばらで、陽射しの強さゆえか、みなうつむき加減に歩いている。そこから駅の北側に向けて少し歩いたところに漫画人BOOKSはあったのだが。

閉業していた。シャッターが下りているだけではなく、看板も取り外されて囲いがあり、テナント募集の貼り紙が出ている。紛うことなく閉まっている。ここまでは予想通りだったので、引き返す。駅を北に出て左に曲がり、すぐのところにくだんの平井の本棚はあった。

漫画人BOOKS跡地。

こじんまりとした店である。それだけに無個性ではなく、店頭の均一棚と、いくつか置かれた段ボール箱にもう特色が現れている。段ボール箱は均一ものだったが、そのうちの一つはイタリア関連書の特集になっていた。なぜイタリアなのか。店主がイタリア好きなのだろうか、などと考える。もう一つの特集箱は言葉に関するものが選ばれていた。語義に関するもの、文字そのものに関するものとさまざまである。さらに話題の本ということで、売れ行きのよかった本や映像化された本などの箱もある。均一棚のほうは趣味がよく、海外ミステリーなども多い。

店内に入ったところで、突然スマートフォンから警告音がした。

カウンターの中で店主が、揺れてますね、と言う。揺れてますね、と返す。

揺れている。はっきりわかるぐらいに揺れている。

後刻、ポール・アルテが、これが日本の地震か、と驚いていたらしいと聞いた。茨城県の震源地では震度5弱になったという、その地震であった。

揺れが収まるのを待って店内を逍遥する。限られた売り場面積であるが、入口から見て逆L字形に中央本棚が配置されており、背後の棚との間に通路ができている。それによって意外と多めにジャンル分けがされているのである。新入荷のところで演芸関係に見ものがあったが、持っている本でもあり、買わず。とりあえず購入したのは申し訳ないが均一棚での一冊だけになった。

平井の本棚の特徴はイベントや企画展などを積極的に仕掛けていることだろう。入って左、帳場横になる一帯は新刊も置いている企画棚で、過去には立川談吉の落語会を開催したこともあるらしい。店に入ったときは気づかなかったが、二階にイベントスペースがあるようなのだ。このときは雷鳥社と組んでのフェアの最中であり、またくじを引いて袋に入った本を買うという覆面本も実施していた。公式ツイッターを見ているとけっこう売れているようで、いい試みだと思う。

平井の本棚を出て南口へ。やや急ぎ足で歩いていく。ここ江戸川区平井は、先年亡くなった八代目橘家圓蔵が長く住んだ場所であり、終の棲家となった住居がひらい圓蔵亭として公開されているのである。木曜日から日曜日まで、10時から16時が開館時間である。今が15時30分過ぎなので、急がないと閉まってしまう。

ひらい圓蔵亭は公園に面した通りにあった。当たり前だが普通の住宅地の中にひょっこり出てくる。中を覗くと、ご自由にお入りください、という標示があったので遠慮なく入り、扉を開いて声をかけた。中から男性が出てきて、どうぞ、と中へ促された。初めてです、と伝えると、受付で区内か区外か、年齢はいくつぐらいか、という簡単なアンケートを求められた。それに応えてパンフレットをもらう。一緒に千社札シールが二つもいただけて嬉しい。

亭内は二階が故人ゆかりの展示になっていると聞き、まずそこを見せてもらうことにした。男性が一緒に上がってきて、ビデオを起動する。橘家圓蔵、というか月の家円鏡の名を天下に知らしめた、エバラ焼肉のたれのCFである。「エバラ焼肉のたっれっ」というあのフレーズが連呼される中、展示を見て回る。羽織袴や扇子、独演会のパンフレットといったものがあり、一日警察署長をしたときの写真を入れたアルバムなども置いてある。楽屋でのオフショットもあって、これはなかなか興味深かった。

階下に降りると、こちらにはAV鑑賞室と高座がしつらえられた資料室がある。ここで落語会も開かれているそうで、立川談吉の名が出たチラシがあった。江戸川区在住なんだっけ。

男性にお礼を言う。また来てくださいね、と言われ、チラシをいくつかくれた。翌日にはここで社会人落語会が催される由である。また来ます、と応えて辞去した。

平井から神田まではあいにくすぐというわけではなかったが、無事に遅れず到着できた。受付に到達すると、並んでいる列のすぐ前に三橋暁氏、前方に横井司氏の姿がある。それよりなにより、腕を組んでどなたかを待っているのは島田荘司氏ではないか。

会場に入るとけっこうな盛況で、中には顔見知りの人も多かった。会の模様はいずれ「ハヤカワ・ミステリマガジン」などにレポートが載る由なので割愛する。千街晶之氏が行ったインタビューも某誌に掲載されるそうだ。

最後の質問コーナーではこういう会では珍しく質問が相次いだ。私も一つだけ、アルテ氏がフェアプレイをどう考えているか、という点だけ聞かせてもらった。というのも、海外の作品を読んでいると、手がかりを事前提示することについての意識が日本の作家とは異なるような気が以前からしていたからである。手がかりがなく、もしくは暗示的、隠喩的に示されるだけであっても、謎解きでどんでん返しをやっていい。そんな傾向があるような気がするのだが、どうかな、と思っていたわけだ。ポール・アルテがアンフェアだと言っているわけではないので、その点は誤解なきよう。

記事に載るかどうかわからないので書いてしまうが、アルテ氏の答えは「たとえば同じものを見ていても、作者の意図と読者の解釈では異なる場合がある。一つの表現をフェアとするかどうかは難しい問題なのではないか」というような答えだったと記憶している。引用ではなくて、通訳氏のお言葉をさらに要約しているので、不正確であるが、なるほどな、と感じるものはあった。

アルテ氏のおっしゃっていることは私の考えでは文脈上の伏線にあたり、推理のために供される手がかりとは若干異なる。だが、アルテ氏は密室なら密室、不可能犯罪という状況の情景を読者に提供することを第一として考えているのかもしれない。だとすれば、その状況を刷り込むための印象操作に使う部品が最も重要で、それが読者の中に情景を構成させ得ることが必要条件ということなのかもしれないな、と思ったのであった。公開対談という場では、これ以上の踏み込んだ質問は無理だろう。上のように考えて私は納得したのだが、同じ場にいた方のために一応質問の意図を書いておく。

終演後は新宿に移動し、五月末で閉店してしまう西口かんちゃんで有志とさよならの宴を。ここは私が単独で初めて入った居酒屋だった。かんちゃんのことはどこかでまた書くかもしれない。

私の好きな圓蔵演目は、大師匠文楽直伝の「鰻の幇間」、小僧が英語の本を読んでいる「無精床」、屑屋が「演技力ないんですぐ酔うんです」と内幕をバラしてしまう「らくだ」かな。

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